離日の米空母レーガン、登舷礼で海自に敬意 乗艦ルポ、強固な同盟支える軍人と家族の献身

2024年05月19日 19時21分19秒 | Weblog

離日の米空母レーガン、登舷礼で海自に敬意 乗艦ルポ、強固な同盟支える軍人と家族の献身

1人がようやく通れる幅の廊下を進み、ほぼ垂直な階段を上りきると、空母の飛行甲板にたどり着いた。甲板上では米日それぞれの国歌である「星条旗」と「君が代」が順番に流れ、白い制服姿の米海軍兵らが整列して聴いていた。米国への帰還を前に、母港・米海軍横須賀基地を離れる原子力空母ロナルド・レーガンを取材した。

レーガンは2015年、横須賀基地に配備され、中国が覇権的な海洋進出を強める東・南シナ海をはじめインド太平洋地域で任務に当たってきた。16日に同基地を出港し、第7艦隊が担当する西太平洋地域で最終任務となる警戒・監視活動を行った後、本国に戻る。

レーガンは世界最大級のニミッツ級空母で、艦体は「パナマ運河を通過できない」(外務省幹部)ほど大きい。全長は333メートルで、甲板を艦尾から艦首まで一直線に歩くと成人女性の足で3分ほどかかった。

16日午前10時20分ごろ、レーガンは日本や海上自衛隊に敬意を示すため、乗組員がこの甲板の端に沿って整列する登舷礼をして出港した。米軍によると、レーガンを見送るため、基地に停泊中の海自艦艇でも登舷礼が行われた。

出港の30分前になると、日本に残る乗組員の家族が港に集まってきた。子供たちは「パパ大好き」などと書かれた画用紙を持って手を振った。甲板から手を振り返す乗組員もいた。視察に訪れたエマニュエル駐日米大使が甲板上で記者団の取材に応じ、「無私、貢献、犠牲に対し心から感謝申し上げる」と述べた。念頭にあるのは、こうした乗組員やその家族だ。出港日の朝は降雨が続いていた。甲板上を歩いていると、何かに足をひっかけて転んだ。転倒した筆者のもとに、米軍人らが次々と駆け寄り、英語や日本語で「大丈夫?」と声をかけてきた。記者の手から血がにじみ出てくるのを見た米軍人らは、すぐに絆創膏や消毒シートが入った救急セットを持ってきた。

足を引っかけたのは、着艦する艦載機が、限られた滑走距離で機体を制止させるために甲板を横断する形で張り付けられたアレスティングワイヤだった。

レーガンの艦長を務めるカードーン大佐は、記者団に「私たちを市民として迎え入れてくれた日本の人々や横須賀市、日本政府に感謝している」と語り、日本側の支援で米軍の即応体制を維持できたと謝意を示した。

レーガンを中核とする第5空母打撃群司令官のニューカーク少将は「海自の仲間と友情を育むことができて大変名誉に思う。一緒に力を合わせれば成し遂げられないことはない」と日米同盟の結束を強調した。 とはいえ、在日米軍を巡っては、受け入れ自治体の住民から駐留への厳しい声が上がる。日本では先の大戦への反省から、「自由などの価値を守るために人生をささげる」(エマニュエル氏)軍人に敬意を示す米国流の発想に共感を持てない国民も少なくない。

だが、外務省幹部は「軍の活動は本質的に危険が伴い、日米同盟はその任務に当たる一人ひとりの努力に支えられている」と話す。エマニュエル氏は、レーガンとその乗組員の働きによって「インド太平洋全域の何百万人もの人たちが強制や侵略、抑圧のない生活ができるようになった」とたたえた。(岡田美月)  産経新聞  

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