落下傘・救命胴衣脱ぎ捨てて…護衛なき特攻、被弾した僚機の軍曹は手を振っていた 重爆特攻隊「菊水隊」の真実

2016年12月08日 15時08分35秒 | Weblog

第二次世界大戦下、陸軍の百式重爆撃機「呑龍(どんりゅう)」パイロットとして、フィリピンのクラークフィールド基地に転戦していた中村真さん(93)に運命の日がやってくる。昭和19年12月14日、「菊水隊」と命名された陸軍特別攻撃隊二番機のパイロットに、当時21歳の中村さんは任命されたのだ。それは重爆(重爆撃機)のみで編成された特攻作戦だった。「それまでの出撃は敵が攻撃し難い夜間爆撃ばかり。突然の日中の爆撃命令でしたので“これは特攻だ”と覚悟しました」。中村さんは武者震いしながら自分を鼓舞したが、同じ機には通信士や機関砲手など5人が配置されており、「自分の操縦で敵艦に突っ込み、一緒に死なせていいものか…」という迷いが何度も頭の中をよぎったという。                                         (戸津井康之)

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