不合理ゆえに我信ず

文(文学・芸術・宗教)と理(科学)の融合は成るか? 命と心、美と神、《私》とは何かを考える

目覚めよと呼ぶ声あり

2004-11-03 02:23:38 | 哲学
「”光あれ”と神は言われた。すると、光があった。」
(創世記)

「太初に言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」
(ヨハネによる福音書)

これについてもう少し考えてみたいと思います。

「ヘレン・ケラー物語」から再度、要約引用です。

■引用はじめ■
当時22歳のサリヴァンがヘレンに会ってみると、7歳になった彼女は予想に反して四肢のすくすくと伸び、リンゴのような頬をした元気のいい子だったのでほっとしたが、一方怒りっぽくて乱暴、いささかも疲れを知らぬようにはね回り、両親も時に手を焼く有様なのを知って、この子に素直さを教えることは並大抵の苦労ではないと直感した。サリヴァンは着いた翌日から早速教育にとりかかった。まず最初に、パーキンス盲学校から贈られた人形をヘレンに抱かせ、指文字で「DOLL(人形)」という字をその掌に書いた。もちろんヘレンは何のことか判らなかった。繰り返しているうちに、それが自分の抱いているものの名前であることを覚り、この調子で努力しているうち、2週間目にはすべてのものに名のあることを理解するようになった。
■引用おわり■

それからこれはバッハの曲です。「目覚めよと呼ぶ声あり」

ヘレンにとってサリヴァン先生の指言葉は、音も光もない恐ろしい大暗黒のなかで、はじめてふれた明かりでした。サリヴァン先生の指が、ヘレンの目や耳の役割を果たしたわけではないです。先生の指が、ヘレンに語りかけてくる「神の声」だったのです。(と、私は思います。)

それまでヘレンが乱暴だったのは、何かに反抗していたのではない。音も光もない巨大な闇の底で、自分の前に立ちはだかって自分の自由を奪う「障害物」と闘っていたのだと思います。目も耳も不自由なヘレンにとっては、両親による教育やしつけのための行為も、外界の暴風雨みたいなものだった。両親の心は、おそらくほとんど通じていなかった。

でもサリヴァン先生の指言葉によって、「何か、自分に必死に呼びかけてくれている存在がいる」ということが、わかってきた。それは同時にまた「自分というものが、ここにいる」ということに、気づくことでもあった。自分の存在と、自分にメッセージ送ってきてくれている存在の両方が、わずかのあいだにはっきりと見えてきた。

生まれたての赤ん坊に、母親や周囲の人々は、何度も名前を呼んだり、話しかけたりします。それはまさに「目覚めよと呼ぶ神の(愛の)声」です。その声こそが《心》を誕生させる太初の光です。

私は正直言って「神界」とか「チャネリング」とかいったものには懐疑的です。あの世にまで、まるで現世におけるような、世俗的な上下関係や支配関係があるとは、信じられない。死後の世界のような、時空を超越した世界は、もしあったとしても、われわれには、たぶん想像もできないものでしょう。

芹沢光治良さんの「神の微笑」にはじまる一連の著作(彼はすべて実話だと言っていました)も、ずいぶん熱心に読みましたけど、そして彼は嘘など決してついていないと思いますけど、「天の将軍」のような部分は、そのまま信じるわけにはいかないです。

でも私は神の存在は信じます。

けれど「神とは何か」について、少しでも分析的・論理的に語りはじめると、すぐ嘘くさいものになっていく。まさに「語り得ぬもの」です。

神と《心》は、非常に深い関係があります。これからも、じっくりこれを、考え続けていこうと思っています。


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