不合理ゆえに我信ず

文(文学・芸術・宗教)と理(科学)の融合は成るか? 命と心、美と神、《私》とは何かを考える

汎地球経済社会の支配者/哀しいAI社会

2017-04-22 13:24:46 | 哲学
100年から200年以上前は、民衆を過酷労働や重税で苦しめるのは、王や将軍といった封建社会の支配者だった。いまこの現代社会の中で、民衆を支配しているのは、グローバル企業の経営者たちだろう。

スマートホン、衣料、コンビニ、ネット通販といった世界企業の経営者たちは、建前では顧客満足と株主利益の最大化とか言いながら、従業員(ほとんどが非正規)や外注業者を過酷使役し、しかも租税回避地を利用して税金をまともに払っていない。

彼ら世界企業の経営者たちに、社会貢献の意識が多少ともあるのなら、従業員や外注業者も顧客同様大切にして、税金もきちんと払うだろうが、そういう経営者は少ない。(というか、そういう真面目な経営者はグローバル経済の中での競争に勝てないのだ。)

彼らの人間味のない冷酷な顔に、私は市場制覇ゲームに憑かれた偏執者のようなものしか感じない。市場とはつまり民衆社会だ。彼らは、自分の用意した商品やサービスに民衆が群がってきて、自分の支配下に入ることが、快感なのだろう。

しかしこのことを問題視する学者やジャーナリストは、あまりいない。「安くて便利」に誰も文句をつけられないからだ。しかし例えば、本来なら顧客からもらうべき送料を無料にして、従業員や配達業者に低賃金で過酷労働を強いるのは不当廉売であり、批判されるべきものではないか。

「安くて便利」を買うことが、逆に自分たちの生活を苦しい方向に導いているということに、ほとんどの人が気づいていない。生活が苦しいのはもっぱら、首相や大統領といった政府の政治家のせいだと思ってる。

しかし首相や大統領は、言われているような「権力者」ではない。議会を通さずに企業や国民に何かを命令する力はないのだ。

社会貢献意識の低い「市場制覇ゲーマー」に、民衆が支配されてしまうのを防ぐにはどうしたらよいか。各国政府が協調して、企業家が不当廉売や、労働者の過酷使役や、租税回避という名の脱税ができないよう、法整備をするしかない。これが急務だ。

しかしそれをやっても、若年失業者や低収入者が今後も増えて、社会が貧しくなっていくのは止められない。高度な自動生産システムや、自動物流システムがますます進化しているし、人間の知的な仕事までAIがとって代わろうとしているからだ。

AIの近未来社会を明るく語る学者の気がしれない。あれの背後にあるものは「市場制覇ゲーマー」の野心であり、彼らの巨富への執念なのだ。AIによって労働者はますます要らなくなる。ごく少数の資本家・資産家や、「頭がよくて能力のある経営者」だけが勝者となり巨富を手にする。

そういう近未来社会がいやなら、人類は資本主義を捨てて、社会主義か共産主義の理想を再び目指すしかない。しかし過去のケースの失敗をみれば、誰もそれを望まないだろう。平等配給や資産共用なんか、まっぴらごめんだと。自由選択、自由売買、成果報酬のほうがいいと。

つまり人間とは、そういうものだ。自主自立とエゴや排斥は、表裏関係にある。人間が心に持つ、他者への自然な情愛が有効となる範囲は、限りなく小さい。

かく言う私も、ネット通販、スマホ、コンビニを毎日のように利用しているばかりか、その関連産業が発注してくる仕事で生活している。

スマホのような超多機能で超便利で安い小型機器と、全地球を覆い尽くすインターネットが、社会から旧来型の産業や労働力を根こそぎ不要にしていていることを、どうすることもできない。