不合理ゆえに我信ず

文(文学・芸術・宗教)と理(科学)の融合は成るか? 命と心、美と神、《私》とは何かを考える

民主国家は互助会、憲法はその基本規約

2013-06-11 23:50:24 | インポート

(1) 民主国家の本来の姿は、国民の互助会であるはずだ。

(2) 従って憲法は、その互助会の基本規約という性質のものでなければならず、政治思想や集団精神を国民(会員)に強制するものであってはならない。

(3) いまの憲法を全文読んでみたが、国(互助会)が国民(会員)の自由や権利を保障することばかり唱っている感がある。

(4) 識者は「憲法は国家権力から国民を守るためにある」と言うが、どうも大時代的な気がする。右派も古いが、左派やリベラル派も古い。

(5) ほとんどの民主国家では、十分に代議政治が浸透し、定着している。問題はむしろ互助会の代議員総会(国会)が、会員(国民)の意思決定機関として機能していないことだ。あるいは、できもしない会員迎合政策を意思決定してしまう事だ。

(6) 国家は互助会なのだから、集めた会費(税金)以上の事はできない。会員が何でもかんでも際限なく互助会に期待するのは無理というものだ。

(7) 互助会は会員を助ける義務があるのと同じように、会員は互助会に積極参加し、互助会を維持する義務がある。(主体的納税、主体的投票など)

(8) 日本で国家権力者と言えば首相や閣僚だが、国家権力者という言葉に見合うような安定した地位にいる訳じゃない。首相も閣僚も、地位の危うい、立場の弱い、投票で選ばれた住民代表にすぎない。

(9) 彼らは、たまたまいま互助会の代表として、その席にいるだけで、仕事に失敗したら、たちまち引きずり下ろされるのだ。

(10) もちろん代表の座についたものが暴走しないように、代表を縛るさまざまな制約を、基本規約(憲法)の中に入れておくのは、当然のことだ。

(11) 互助会が破産しそうなのに、会費を上げる事も、支出を減らす事もできず、短期でくるくる変わる互助会長は皆、会員のご機嫌取りばかりやっている状況だ。(そうしないと自分の地位が保てないから。)

(12) この互助会は、会員規模が巨大すぎて、会員は自分の納めた会費がどこでどう使われているか、よくわからない。ただ、会費が高い、自分にご利益が回ってこない、不公平だ、という不満をつねに持っている。

(13) この互助会では、会費を納めることを「税金を取られる」と言う。

(14) この互助会が特殊なのは、全員、強制加入であり、脱会が許されない事だ。これは基本的人権の侵害かもしれないが、そういう訴訟は、まだない。しかし誰もが、この互助会を離れては生きていけないことは、明白だ。

(15) 会員(国民)は互助会(国家)に支配されているという誤認識のもとに、マスメディアや識者が、首相や閣僚や、その部下である役人を権力者とみなして、批判し叩くから、住民たちも、「世の中がよくならないのは、こいつらのせいか!」みたいな目で見てしまう。

(16) これを衆愚政治と言えば言えるだろうが、そうなっている責任は、マスメディアや識者にある。

(17) 私は以上のような考え方をしているので、「生活に困っている人を助けるのは国(互助会)の役割だ」とは、単純には思わない。それは家族や親族や近所の人や友人の役割だと思う。

(18) ただしそれを互助会の基本規約(憲法)に書く必要はない。

(19) 繰り返すが、基本規約(憲法)で政治思想や集団精神を会員(国民)に強制してはいけない。それは個人の自由に属することだからだ。

(20) 個別の政策法案が出されたときに、その是非をさまざまな視点から具体的に議論すればよい。是非の根拠が、「憲法に書いてあるから」とか言って、違憲・合憲の神学論争になるほうがおかしい。

(21) 個人の自由と権利、集団の安全秩序と助け合いは、ともに両立させねばならず、難しいバランスがつねに要求されるのだ。憲法に「個人の自由と権利の保障」を1行書いておけば済むというような問題ではない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿