小泉首相がなぜ靖国参拝にこだわるのか、正確にはわかりません。本人も言葉では、あまりうまく説明できないようです。しかし私はその決心に共感します。
小泉首相はいつだったか、南米かどこかで、開拓移民やその子孫の方々の前でスピーチをしていたとき、急に言葉につまらせて、涙を流したことがありました。
首相が靖国参拝にこだわる理由は、この涙と共通するものの中にあるように、私は感じています。(先人の苦労をないがしろにせず、その痛みを思い、それを敬う心です。)
若い人のなかには、当時の日本の「悪い政治家」が、突然、善良な日本国民をそそのかして、朝鮮や中国を侵略し、収奪や虐殺といった悪逆の限りを尽くしたと思っている人も、少なくないのかも知れません。
しかし日本が戦争の悲劇に突き進んだ歴史が、そんな単純なものでないことは、いくつかの歴史書を読めば、すぐにわかることです。この悲劇には悲しいほどの必然性がある。
アジアで唯一日本だけが、早々と近代国家体制を形成できて、軍艦や戦闘機を作れる国になってしまった。そして欧米やロシアといった勢力に対峙するだけでなく、自らも同じ領土拡大の野心で、大陸に侵出してしまった。
それに対して、まだ弱かった中国や朝鮮は、例えば便衣隊という、普通の市民や農民の格好をしたゲリラで対抗してしまった。(近代国家と呼べる体制がなかった。)
結果、日本軍は少しでもあやしい現地人を、皆殺しにするようになった。中国戦線の泥沼化のなかで、日本軍が野獣化し、食糧など物資の補給不足を「現地調達」というかたちで略奪するようにもなった。これを本土の国家指導者が、ほとんど統率できなくなり、文民政治家の力はどんどん弱まった。
そして軍人が首相の座につき、アメリカから石油禁輸という、領土拡大政策の妨害をされた日本は、真珠湾の米軍基地に奇襲攻撃をかけ、アメリカとの戦争に突入するという、最悪の選択をした。
日本は、日露戦争で大国ロシアに勝って世界中を驚かせ、軍部も国民も、自信過剰になっていたのです。乃木希典や東郷平八郎は、国民に絶大に英雄視され、少年たちは皆、彼らのような軍人になることを目指した。そんな時代だった。
真珠湾を奇襲されたアメリカは本気で怒り、太平洋で日本軍を全滅させたうえ、日本の戦意を喪失させるために、都市をことごとく空襲で爆撃し、2発の原爆を落とした。そして東京が、広島が、長崎が、多くの地方の街が、灰になり、50万人以上の人が死んだ。
日本軍は、大陸での残虐があった一方、太平洋戦線では、文字通り国家の存亡をかけて、若者たちが国を守るために決死の戦いをした。彼らの遺影や、国や故郷を思う遺書などは、涙なくしては見ることのできぬものです。
誰が悪いのか。何が悪いのか。
私たちは謙虚に歴史に学ぶしかないです。小林秀雄も言っていました。「我々は、ああすれば、こうはならなかった、というような失敗をしたのではない。正真正銘の悲劇を経験したのだ」と。
当時の戦争の全体が、日本にとっては国難でした。いろいろな過ちや間違いも、いまだからこそわかることです。中国侵出が、広大すぎてあれほど泥沼化するのも、誰も予見できなかった。
戦後に生まれて、平和主義の良い子の立場に立って、戦争の直接指導者だけを悪者と断罪して、彼らだけに責任をとらせて、荒縄でくくって闇にほうむることは、私はできないと思う。
戦死軍人たちは、A級戦犯といえども、私欲によって国民を利用しようとしたわけではなかった。彼らは、日本を守り、日本を発展させるために戦ったのです。
アジアの日本以外の地域が、ほとんどすべてイギリスやフランスやオランダの植民地だった時代に。ロシアがジリジリと南下してきていた時代に。アメリカが太平洋の島々をジワジワと我が物にしていった時代に。
文字どおり食うか食われるかの弱肉強食の時代で、日本が国家体制を整えて毅然としていなかったならば、21世紀のいまでも、北海道はロシア領、本州はアメリカ領、四国はイギリス領というようなことになっていたかもしれない。
ソ連の参戦がもう少し早ければ、北方領土を奪われるだけでなく、ドイツや朝鮮のような分断統治の悪夢を、日本も経験していたかもしれない。
戦後民主主義者たちは、戦争の犠牲者と指導者を切り分け、善人と悪人を切り分け、後者に罪を負わせて公的な場面からすべて追放することが、戦争を反省することであるかのように言います。
しかしそれは違う。そういうのを反省とは言わない。
そんなにすっきりとした善と悪の切り分けなどできないのです。
われわれが「平和は尊い」と声を大にして言えるのも、彼らの(そしてアジアの人々の)大きな犠牲があったからこそです。
戦争当時の日本は、初戦でまだ調子がよいころ、戦果があがるたびに、街では市民がお祭り騒ぎをしていました。われわれも当時に生まれていたら、間違いなく一緒に騒いでいたでしょう。W杯の勝利に酔うようなものです。
当時の歴史を、いまのわれわれが、いまの倫理や、いまの価値観で断罪するのは、事後法で犯罪を裁くのと同じです。(だから反省しなくていいとは言ってないですよ。アジア侵略が正しかったとも言ってないですよ。)
われわれも当時に生まれていたら、間違いなく同じ過ちを犯していました。この感覚こそが、今日や明日の平和を生むと思います。
そう思えば、自然と、大失敗ではあったが祖国のために死んでいった先人たちを、慰霊しようという気持ちにもなるのではないでしょうか。
歴史を知るとは、過去に起こった事実の知識を頭に入れることでないのはもちろん、現代の倫理で過去を断罪することでもないです。
死者と向き合い、彼らの体験した苦悩や、悲痛や、無念や、あるいは悔恨を、我が身に感じることです。彼らの魂にふれることです。これは鎮魂であるかもしれないし、反省の共有であるかもしれない。
この心情の明瞭な分析や定義はできない。しかし先人の貴重な経験は、このようなかたちでしか、私たちのなかに生かされてはこない。
小泉首相はいつだったか、南米かどこかで、開拓移民やその子孫の方々の前でスピーチをしていたとき、急に言葉につまらせて、涙を流したことがありました。
首相が靖国参拝にこだわる理由は、この涙と共通するものの中にあるように、私は感じています。(先人の苦労をないがしろにせず、その痛みを思い、それを敬う心です。)
若い人のなかには、当時の日本の「悪い政治家」が、突然、善良な日本国民をそそのかして、朝鮮や中国を侵略し、収奪や虐殺といった悪逆の限りを尽くしたと思っている人も、少なくないのかも知れません。
しかし日本が戦争の悲劇に突き進んだ歴史が、そんな単純なものでないことは、いくつかの歴史書を読めば、すぐにわかることです。この悲劇には悲しいほどの必然性がある。
アジアで唯一日本だけが、早々と近代国家体制を形成できて、軍艦や戦闘機を作れる国になってしまった。そして欧米やロシアといった勢力に対峙するだけでなく、自らも同じ領土拡大の野心で、大陸に侵出してしまった。
それに対して、まだ弱かった中国や朝鮮は、例えば便衣隊という、普通の市民や農民の格好をしたゲリラで対抗してしまった。(近代国家と呼べる体制がなかった。)
結果、日本軍は少しでもあやしい現地人を、皆殺しにするようになった。中国戦線の泥沼化のなかで、日本軍が野獣化し、食糧など物資の補給不足を「現地調達」というかたちで略奪するようにもなった。これを本土の国家指導者が、ほとんど統率できなくなり、文民政治家の力はどんどん弱まった。
そして軍人が首相の座につき、アメリカから石油禁輸という、領土拡大政策の妨害をされた日本は、真珠湾の米軍基地に奇襲攻撃をかけ、アメリカとの戦争に突入するという、最悪の選択をした。
日本は、日露戦争で大国ロシアに勝って世界中を驚かせ、軍部も国民も、自信過剰になっていたのです。乃木希典や東郷平八郎は、国民に絶大に英雄視され、少年たちは皆、彼らのような軍人になることを目指した。そんな時代だった。
真珠湾を奇襲されたアメリカは本気で怒り、太平洋で日本軍を全滅させたうえ、日本の戦意を喪失させるために、都市をことごとく空襲で爆撃し、2発の原爆を落とした。そして東京が、広島が、長崎が、多くの地方の街が、灰になり、50万人以上の人が死んだ。
日本軍は、大陸での残虐があった一方、太平洋戦線では、文字通り国家の存亡をかけて、若者たちが国を守るために決死の戦いをした。彼らの遺影や、国や故郷を思う遺書などは、涙なくしては見ることのできぬものです。
誰が悪いのか。何が悪いのか。
私たちは謙虚に歴史に学ぶしかないです。小林秀雄も言っていました。「我々は、ああすれば、こうはならなかった、というような失敗をしたのではない。正真正銘の悲劇を経験したのだ」と。
当時の戦争の全体が、日本にとっては国難でした。いろいろな過ちや間違いも、いまだからこそわかることです。中国侵出が、広大すぎてあれほど泥沼化するのも、誰も予見できなかった。
戦後に生まれて、平和主義の良い子の立場に立って、戦争の直接指導者だけを悪者と断罪して、彼らだけに責任をとらせて、荒縄でくくって闇にほうむることは、私はできないと思う。
戦死軍人たちは、A級戦犯といえども、私欲によって国民を利用しようとしたわけではなかった。彼らは、日本を守り、日本を発展させるために戦ったのです。
アジアの日本以外の地域が、ほとんどすべてイギリスやフランスやオランダの植民地だった時代に。ロシアがジリジリと南下してきていた時代に。アメリカが太平洋の島々をジワジワと我が物にしていった時代に。
文字どおり食うか食われるかの弱肉強食の時代で、日本が国家体制を整えて毅然としていなかったならば、21世紀のいまでも、北海道はロシア領、本州はアメリカ領、四国はイギリス領というようなことになっていたかもしれない。
ソ連の参戦がもう少し早ければ、北方領土を奪われるだけでなく、ドイツや朝鮮のような分断統治の悪夢を、日本も経験していたかもしれない。
戦後民主主義者たちは、戦争の犠牲者と指導者を切り分け、善人と悪人を切り分け、後者に罪を負わせて公的な場面からすべて追放することが、戦争を反省することであるかのように言います。
しかしそれは違う。そういうのを反省とは言わない。
そんなにすっきりとした善と悪の切り分けなどできないのです。
われわれが「平和は尊い」と声を大にして言えるのも、彼らの(そしてアジアの人々の)大きな犠牲があったからこそです。
戦争当時の日本は、初戦でまだ調子がよいころ、戦果があがるたびに、街では市民がお祭り騒ぎをしていました。われわれも当時に生まれていたら、間違いなく一緒に騒いでいたでしょう。W杯の勝利に酔うようなものです。
当時の歴史を、いまのわれわれが、いまの倫理や、いまの価値観で断罪するのは、事後法で犯罪を裁くのと同じです。(だから反省しなくていいとは言ってないですよ。アジア侵略が正しかったとも言ってないですよ。)
われわれも当時に生まれていたら、間違いなく同じ過ちを犯していました。この感覚こそが、今日や明日の平和を生むと思います。
そう思えば、自然と、大失敗ではあったが祖国のために死んでいった先人たちを、慰霊しようという気持ちにもなるのではないでしょうか。
歴史を知るとは、過去に起こった事実の知識を頭に入れることでないのはもちろん、現代の倫理で過去を断罪することでもないです。
死者と向き合い、彼らの体験した苦悩や、悲痛や、無念や、あるいは悔恨を、我が身に感じることです。彼らの魂にふれることです。これは鎮魂であるかもしれないし、反省の共有であるかもしれない。
この心情の明瞭な分析や定義はできない。しかし先人の貴重な経験は、このようなかたちでしか、私たちのなかに生かされてはこない。
ただ、政治家という以上、「思い」の根底に、如何に純真な心があったとしても、それ以上に「政治家の心」が必要なはずです。
全世界の政治家が皆、「愛国心」を至上の理念とするならば、争いは必至です。サッカーの試合での観客同士のぶつかりを抑制するものは、観客同士にはなく、第三者です。互いに引き合い、思いやり、自制する力が必要ですが、当事者同士の「思い」が強ければ強いほど、当事者同士のみでの解決は不可能に陥る。
政治家というものは、「愛国心」のみならず、「愛国心」以上の第三者の心をも持たねばならないものだと思います。
●<あらゆる政治家の行為の正・誤を評価することは、私にはできかねますが、純真な心を持つ政治家がいたとすれば、その根底にある「思い」には、moriさんのおっしゃるところが共有されうると思います。>
理屈ならば、正の立場でも、誤の立場でも、いくらでも立論できると思います。これは果てない無限論争になります。(きすぎじねんさんもおっしゃるように。)この問題は、「共感する」「共感しない」「興味がない・関係ない」の三つのうち、どのように感じるかだと思います。そして「正しい感じ方」というものはありません。逆に言えば皆が正しい。様々な感じ方をする人がいることで、この世は成り立っています。だから特定の意見の人たちが、自分と違う意見の者を弾圧したり、封じ込めたりしては、絶対にいけない。(議論ならいくらしてもいいけど。)
最近、「生きている」とは「つねに内部矛盾を抱えている」ということではないかと考えています。そのことが「自己」をも維持している。(国家も生物です。)
●<政治家というものは、「愛国心」のみならず、「愛国心」以上の第三者の心をも持たねばならないものだと思います。>
そのとおりだと思います。が、しかし、政治家が選挙で選ばれる代議士のことだとしたら、自分や自分を選んでくれた国民以外の、第三者の立場に立っての行動を期待するのは無理です。彼らだってできない。政治家という仕事は道徳商売ではないので。
小泉首相は、日本国の代表として、当然のことながら日本国にloyaltyを誓うものとして、行動しています。自分の自主性を捨ててまで相手国を立てようとしたりしない。これは当然と思います。
第三者の心というのは、かえってわれわれのような一般市民のほうが、中国市民と仲良く交流することによって、発現されると思います。(われわれは直接的には国家を背負っていないので。)
moriさんもそう思われます?
私のサイト(ブログでない方)に書いています。
http://www.geocities.jp/kisugijinen/nayami_main.html#hitorigoto
===ここから
独り言(2001年からの記述)
人は矛盾する故に自らを滅ぼし,
人は矛盾する故に生きてゆける。
人はゲーデルの不完全性定理によって,
自らの思考を越えることが出来ないということを,
深く考えるべきであり,
自らの思考を越えた存在によって生きていけるということを,
深く知るべきである。
それは,貴方の回りに生きている人々であり,
動植物であり,
空気であり,
水であり,
貴方が忌み嫌うものであり,
貴方が愛するものであり,
貴方が何ら関心を示さないものである。
ある人は、その存在を「神」と呼び、
ある人は、その存在を「自然」と呼び、
ある人は、その存在を「大宇宙」と呼び、
ある人は、その存在を「悪魔」と呼び、
ある人は、その存在を「同胞」と呼び、
ある人は、その存在を「敵」と呼ぶ。
===ここまで
上記「ゲーデルの不完全性定理を越えるとか越えないとか」は、
「人智(知)」を超える・越えないに等しいです。
で、もし、政治家が「第三者の目」を持ち得ないのであれば、それは「敵」を常に作り続けることに相当します。
で、
それこそが「政治家」を「政治家」として生かし続ける矛盾
という考え方もできますが、それこそが、過去の「政治的に引き起こされた戦争」の根本的な原因ではないのでしょうか?
一般市民も、「政治的な発言」をし始めれば、「無矛盾・論理性」という知的論争(論理武装)に走らざるを得ない。
それは、上記「政治家」への転身に他ならず、「第三者の目」は、永遠に葬り去られることにもなりかねないと思います。
長々何を書いているのかと思ったらこんな間違いを書いている。上記のブログ主の間違いは
>(そしてアジアの人々の)
の部分、靖国神社には日本兵に殺された敵兵もアジアの民衆も祀られていない。ブログ主は基本的にこの本が読めていないのだろう。
この本の中でも直接「尊い犠牲のおかげで今の平和がある」というよく聞くフレーズの間違いが説明されていた。兵士が死んだのは単純に戦争の目的のためであり、その後に平和がきたのは戦後の日本国のあり方の結果であり、兵士の死の結果ではない。これは日本が戦争に勝っていた場合を考えれば気づきやすいのではないか?
どんなに多く日本兵が死のうと、日本が戦後再び戦争を正面から肯定し、他国への武力威嚇を行っていれば、再度の戦争は避けられないだろう。
その最もよい例がアメリカである。あの強大な国は勝利したためWW2の後も「戦争をしない」という意思をもてなかった。持てばWW1の前のように世界の戦争から離脱でき、平和を維持できただろうに。そうしなかった。
兵士の死はその後の平和には直接結びつかない。当たり前のことを確認すべきだ。