今日は、午前も午後も受験生のみんなに応援をしてきました。
殆どの人が「将来の夢」に向かってガンバレと言われてるのだと思う。
もしかしたら「誰か」の功績のために頑張らされてるのかもしれない。
塾の「◯◯高校20人合格!」
という誰かの実績のためにやることが勉強ではない。
「将来の夢」と「人生の目標」は全く違う。
似てることに「贅沢」と「幸せ」は全くの別物ってこともある。
彼らにはそんなことを伝えていかなくちゃいけない時代になったように思います。
クールぶってかっこいいと思われるのは今だけ。
ドンドン学ぼうという姿勢と根性が大事だよ、やはり。
人が少なくなっているのであれば、尚更です。
悩みや怒りの奥行。
喜びや笑顔の深度。
それらが全部、ダメな方に戻っているような気がします。
ダメではないんだけどね。
ダメな方に向かってる。
ご飯が食べられるっていうこと。
電気が点くっていうこと。
仕事があるっていうこと。
お風呂に入れるっていうこと。
君がいるっていうこと。
そしてなにより、お互いに、まだ生きているっていうこと。
好き嫌いが出来るのは平和だからです。
当たり前の「明るさ」に、忘れずに感謝しなくちゃいけない。
忙しいなんて、最高じゃん。
大嫌いなアイツも、知らない国とかで会ったら親友になるかもね。
言葉の通じないような国で「たまたま」出会ったら、アイツもいいとこあるかもよ。
「あたりまえ」ではなく「有難い」こと。
「あたりまえ」は特別なこと。
思春期だったり反抗期だったり。
一番面倒な時期に「受験」させるってのは、そろそろおかしいのではないかと政治家は気付かないものかね?
冷静に考えられるときに、大切な岐路に立たせるべきなのに。
やりたいことの殆どは、お金があれば可能なことが多い。
でも、贅沢と幸せは別物と考えるのであればだ。
僕らの幸せの礎にお金はない。
礎になり得るものは「変わらないもの」でなければならない。
お金の価値は変わりすぎるからダメだ。
大金持ちになっても、不幸な人がいる。
明日死ぬって分かってても、その命や時間はお金じゃ買えない。
生きているなら価値はあっても、死んだら価値はないのがお金。
ゴミ同然。
生きる手段であるお金を、生きる目的にしてはならない。
つまり。
「価値」のあることなんて、本当はないのかもしれない。
この時代にも、その状況にも、「変わらない価値」なんてものは僕はないんだと思う。
目で見た限りでは。
(外にねぇんなら、中にあんじゃねぇの?)
心の奥底に、小さい頃の記憶と共に。
学力より前に、育てるべきことがある。
適当な夢を掲げ、適当に頑張るのはもうやめよう。
本気になれる目標を掲げ、本気でやる時が来たぞ。
頑張れ受験生。
大変なのはさ、君一人じゃないわけ。
自惚れんじゃねぇよ。
そんな風に話して終わる。
だいぶ端折ったけれど、そんな内容。
ちゃんとした熱量で話すから子ども達は泣く。
親も泣く。
先生も泣く。
そして、胸の内を打ち明けてくれる。
声優になるって子がいました。
アニメ。
楽しみにしていよう。
現場も忙しいでーす。
今は原町に美容室をこさえています。
猛烈なスピードで作ろうと思っています。
そうだ、そうだ。
お願いがございます。
皆さまのお子さんが小さい頃着ていた稽古着。
柔道でも空手でも合気道でも、稽古着が余ってはいませんでしょうか?
すぐ大きくなるので、僕らはお下がりで対応していました。
思い出があるから取っていた、というものは取っておいてください。
そうじゃなくて、なんとなく捨てられないんだよね。
という場合。
この子たちが着ます!
大半はうちの息子が小さい時に着ていたものや、阿部先輩の娘たちのお下がりで賄えてたんだけども、ちびっ子が増えたの。
この子たちが着ます!
ご連絡頂けますと幸いです。
rtaira0512@gmail.com
もしくは、連絡すら面倒だ!
という場合には着払いで送りつけてもらっても平気です。
9893122
宮城県仙台市青葉区栗生6-10-17
平 了
さ。
今日は東京です。
打合せが続きます。
明日の夕方まで。