僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

遊び潰す

2022-07-30 11:55:00 | 日記

息子たちが小さい頃。

車に乗る時、ごはんを食べる時、靴を履かせる時正直なところ早く自分でやれるようになりなよ、と思ってしまうような場面はありました。

でも僕は、

(あと何回こうしてあげられるのだろう?)

って思うようにしていた。

その回数は数えてもいないし、もちろん覚えてもいない。

意識してないうちににその「回数」は終わり、存外にその時間はあっという間に過ぎ去った。


いつからか勉強しなさいよ?とか身だしなみをちゃんとしたら?とか要望のレベルが上がっていく自分にも気付いていた。


【どちらでもいい】

そんな題で息子に手紙を書いたことがある。

自戒のような手紙だった。

要は、勉強しようがしまいがどちらでもいい。

行って欲しい学校も、なって欲しい職業もない。

違う人間なのだから違う人生であることは間違いないし、影響は与えることは出来ても、人に他人を変える力などはない。

まして、父さんが常に正しいというわけでもなければ、世の中で正しいとされていることが必ずしも正しいということでもない。

生きていてくれれば、それでいいんだ。

そんな旨を伝えてきた。


すっかりと大人になり、優しく礼儀を心得、素直な子たちに育った気がする。

手前味噌ではなく、本人たちがそのようにオートで育ってくれたのではないかと思うほど立派である。

本当に立派。


話は遡って、彼らが小さい頃。

遊びに連れて行ったら「遊び潰す!」という僕の中のテーマがあった。

キャンプでもなんでも。

ヘッッッッッットヘトになるまで、遊ぶ。

普段、僕は厳しいからね、その時ばかりは「ダメ」と言わない数日間にしたりした。


先日、長男が帰省してきたもので嬉しくなってアベテツ一家と遊びに出かけた。

男のみの一家同士。


カップラーメンでよかろう。

カップラーメンがよかろう。




みんなで風呂に入る。

小さい頃から変わらない。

変わったことは、自分の頭は自分で洗ったりするってこと。

自分のことは殆ど自分でしちゃう。



夏休みに入って、

「修行のような時間だ

と殆どの親御さんたちは言うけれども、本当にそうでしょうか?

楽しいし、いい機会じゃん。

親子と言えども、キチンとした人間関係がないといけないと思う。

いつか必ず、それぞれの人生になるのだから。

だから彼らがいつか誰かにそうできるように、思い出という心のブースト剤を持たせてあげたい。

躾ではなくてさ、挨拶はする、させる。

おはようだけではなく、全ての「あいさつ」

可愛がられるようになって欲しい。


思い通りにならないのは当たり前のことです。

自分とは別な人間なのだから。


思い通りにしてはいけないのです。

自分とは違う人格なのだから。


自分とは違う。

自分の求めていることとは違う。

自分の想像と違う。


そのように不満を数え始めると、人はすぐに不幸になる。

眼前にある楽しさとか嬉しさ、幸せを数え、そういう生き方を見せることしか僕には出来なかった。


そうしないとファミコンを買ってくれなかった!

という一点のみで家出する!というワガママな子と変わらんし、そんな子にしたくなかった。

そして、そのまんま大きくなったらヤバい。

かなりヤバい。


「ないものはないし、あるものでどうにかするしかない。」


どこに行っても、僕はそうだった。

教えることなんて出来ないから、動物がそうするように、僕はそういうことを見せてあげることしかできなかった。

だから彼らは、そうなった。

彼らは、僕から見てそうなりたいと思える人になった。


でもね。

やっぱりまだ僕の可愛い子たちなんです。

人おもいのいい子たち。






遊び潰してやった。

そうすると、あの頃と変わらない子どもに戻る。



そんな夏休みにしましょう!

今日から東京。

明日には戻ります。


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応援を

2022-07-14 14:28:41 | 日記
前の日に、会長さんという方から連絡が来た。
「夜分にすみません」
本当に夜分だった(笑)
そして長かった。
要領を得ないというか。

でも。
なんかそれが良かった。
熱量がある人だなぁと思った。
一方で僕はめんどくさがりだから、
「あとは現地でお会いした時に。」
と切った。

6年生に向けた講和と応援、それと応援指導。
それらを50分の一コマの中で。

やれなくはないと思うけど…いや、やれないかな。

流れはお任せ頂くことになった。

さて!
大雨の中、川渡小学校へ。
鳴子の手前。
ここまで来たなら温泉行きたいなぁと思いながら、古い街並みへ。

僕らの控室は音楽室でした。
控室が音楽室の時は、いい応援になる。
木琴、鉄琴、アコーディオン、タンバリン、ピアノ、バスマスター。
楽しくなっちゃう。

校長室に挨拶に伺うと、兄と同じ名前だった。
読みも漢字も。
絶対にいい人だと思った。

会長さん、登場してやっぱり熱量のある方でした。
質疑応援を全員からという変なコーナーがあったので、それはお断りしました。
質問は決められたものをするのではなく自発的に、且つ、話を聞いた後に感じた心のままにしなくちゃ「心がバカ」になる。
本当に聞きたいのは別なことなのに、原稿があるから私はコレを聞かなくちゃいけない。
これは不幸。
別に質問なんかないのに、言わなくちゃいけないから質問した。
これは、僕も含めて不幸。
「時間が無駄だと思いますのでお断りします。担任の先生にその旨を話さなければならないなら僕の方から話します。」
そう話すと兄と同じ名の校長が、
「僕もそう思います。大切なことは心が動くこと。」
「では決まりで。会長ごめんなさいね、やりづらいですか?悪気はないんです。いい時間にしたい。きっと、二度と会わない子もいるだろうから、できる限りのことをしたいんです。」
「お任せします。」
「はい。」
「それと、1年生は一番前でいいものですかね?」
「はい?」
「1年生から順番でいいですか?」
「え?6年生だけじゃないん…だ…ですね…全校生徒…?ひょっとして父兄も?」
「はい。全校生徒と保護者の方々も全員参加です。」
「あ…そうでしたか。」

これは大変だ!
1年生は去年まで幼稚園。
6年生は来年から中学生。
お話しするのが難しいのでやんす。
いつも、小学校の校長先生ってすごいなぁと思っちゃう。
各学年の先生はいいじゃん。
校長とか教頭とか全体に話すわけじゃん?
大変よね。

覚悟がないまま来てしまった。

全校生徒さんでしたか〜。
そうでしたか〜。

軌道修正しながらのお話しでした。



「一人だけ応援するから、他薦ではなく自薦で。」
女の子が手を挙げました。
僕と彼女だけの話の時に会長がクノイチのようにマイクを持って彼女の心の声を拡声しようとしたので、その時だけはキツめに止めちゃった。
ごめんね会長。
よく頑張って手を挙げたね。
目に力のある人だった。
絶対になれるよ。
応援もしたし。
みんなが君を愛してくれますように。
君がみんなを愛せますように。
それが応援なのだと僕は思う。

少し感動的な時間でした。

校長先生も、
「お任せしてよかった。団長カッコよかったです。遠慮をしない意思の人という印象を受けました。」
「ありがとうございます。校長先生は俺の知ってる校長先生たちの中でベスト5です。」
「え??下から??」
「上からです。」
「それを励みにこれからも頑張ります。」
「そうですね。世の中を変えよう校長。」
「はい。」
渡り廊下を歩く僕らの会話でした。

散々歩いて間も無く校舎ってところで、後ろからマリコが、
「たいらくーーーん!だーーーんちょーーーー!しゃしーーーーーーーん!」
「は?!」
「しゅーごーしゃしーん!忘れてたー!」
「あ、はい。校長。戻りましょう。」
「はい。」

お見送りの時に、みんなが手を振ってくれました。
車まで一緒に歩いた子たちは色々お話し出来たね。
かわいい。

いい日でした。




今ですか?
今、僕は沖縄に来ました。
もちろん仕事です。
次男を連れて来ました。
キリキリ働いてもらうぞ?
Q、受験生なのにいいんですか?
A、だから連れて来てんじゃん。




日曜に戻ります。
明日のアオゾラジオは、中継で参加します。
やるの?
やるよ?
スタジオにはあべてつとサダポンのみ。
不安だけど、やむなしだね。
ゴミのような時間になるか神回になるか。
それは彼ら次第。
めんそーれ!




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それでも人生は

2022-07-12 13:33:22 | 日記
安倍さんが、どちらかと言うと好きだった。
政治のこととか関係なくね。
みんな、会いもしないで色々言うけれど、僕は会ってお話をして、握手をして、
「私たちには出来ないことをしてくれて…胸がいっぱいになりました。ありがとうございます。平団長は大丈夫ですか?」
そう言ってくれた。
握手をした手が柔らかくて温かく、
(この人にも家族がいて、応援してくれている好きな人たちが大勢いるんだよな。)と当たり前のことを思ったことを覚えています。
そして、そのふと思ったことが今も考えの底に残っています。


安倍さんがいなくなっても地球はまわる。
じいちゃんが死んでも、ばあちゃんが死んでも世界はグルグルまわる。
昨日見た仔猫が死んでも、それは同じ。

僕が死んでも、それは同じ。

当たり前であることなんて、ない。
その当たり前に感謝をしなければ、その日々は永遠に続くこともない。

青空応援団の講演の際に、必ず言うことがあります。

「つらい時に頑張るのは当たり前だけれど、幸せな時こそ頑張らなければいけないんだと思います。」

ところが人は幸せな時はなぜか努力をしない。
その状況を俯瞰的に見たり客観視することが出来ず、その状況に満足していない。
仕事で言えば売上とか数字の状況がいいからこそ、努力したり新しいことにチャレンジしたりしなくちゃいけない。
益々の努力をして期待の範囲を上回るからこそお客様に喜んでもらえたりするもので。

でも、人は決して満足しないからどうするかというと人の粗探しをしたり「ナニカ」のせいにしたりする。
ひどいと妬んだり、恨んだり、裏切ったりする。

凄そうなことは大きく派手に見える。
でも大切なことは小さかったり、場合によっては目には見えないのかもしれないね。

信賞必罰って大切だと思う。
でも、それは個人間の感情なんて邪魔なだけだし絶対に入れ込んではいけない。
僕たちは人を殺してはいけない。
人の心も殺してはいけない。

敵討ちであっても?
多分、それでも殺してはいけない。

その人が愛されて育ったとか、頑張って取り組んだこととか、履歴書には書く欄がないことなんかを全て何も知らない人が踏みにじるようなことだと思うから。

僕らは11年前に思い知ったはず。
「ありがとうの反対は当たり前」

仕事があることも、命の危険がないことも、音楽が聴けることも、ご飯が食べられることも。

目には見えない日常は「あたりまえ」ではなくて「特別」なもの。
誰かの努力の上に成り立っているもの。

そう感じることが出来れば、人はきっと強くなれるんだろう。

安倍さんのピアノ、素敵だったね。
ピアノが弾ける人なのではない。
ピアノが弾けるように努力した人なのだ。
総理大臣だったのではない。
総理大臣になる努力をした人なのだ。
その先に好き嫌いや考え方の違いはあっていいと思う。

でも。
その人の。
その人が小さかった頃の思い出やマッスグだった頃の気持ちや思い出までをも殺してしまうのと変わらないから

人を殺すのは、ダメ。
平等に、ダメ。

僕はそう思います。

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たすけてちょー!

2022-07-06 19:58:00 | 日記
急なお知らせで恐縮です。

7月9日土曜日、震災復興最後の植樹活動が行われます。

命を守る森の防潮堤プロジェクトとして震災後からずっと続けてきた活動ではありますが、これで最後。

なにごとも必ず終わる時が来るけれど、この活動はこれにて終了と言われ、なんだか寂しいけれど、
「じゃあ、最後バシッとやってやんよ!」
という気になっております。

雨天決行。
午前10時から12時まで。

いわぬまひつじ村さんの駐車場に集合。
9時半くらいには行ってなくては。という感じかしら。

長靴と軍手があれば大丈夫です。
大丈夫ですが、移植ベラなどあればさらにいいのかな?

いわぬまひつじ村
〒989-2423
宮城県岩沼市押分須加原61

突然来てくれてOKでやんす。

助けてちょーーー!






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