荒浜中学校に行ってきました。
応援をするとはどういうことか。
応援団とは、何を思えばいいのか。
僕たちはたくさんの応援を受けて、今がある。
親、兄弟、先生。
そして、かけがえのない友達。
全ての愛や祈りが応援なのだ。
応援をすることに資格はいらない。
その人のことだけを想い、祈るような気持ちで頑張れと言う。
声の大小ではない。
では何故、大声を出すのか。
それは、その人がたとえどんなに遠くにいても「聞こえるように」するため。
実際には聞こえるはずもない声が聞こえる時もある。
届けたいからこそ、必死で声を出すだけだ。
その結果として、声が大きくなる。
そして応援される側からは、様々な要望があると想像すればいい。
かっこ悪い応援ならば恥ずかしいからやめて欲しいと思うだろう。
頑張ってもない奴に頑張れと言われても、むしろ頭にくるものだ。
「頑張って練習してくれたんだなぁ、よし!俺もやってやるぞ!負けないぞ!」
と鼓舞してやればいいのだと思う。
なるほど。
やはり、結局敵などいない。
仲間に負けないように、己の怠け心だけが敵なのだ。
じゃあ、そんなもんぶっ飛ばしてやろうぜ。
心にかかった雨雲は、俺たちで吹き飛ばしてやろうぜ。
雨は決して一人だけには降らない。
皆に平等に降るのだ。
それでも止まない雨ならば、僕が君の傘になろう。
君達はその人の傘になれ。
あるべき場所は違い、歩んだ道も違う。
しかし、見上げる先は同じ。
同じ時代に生きる仲間ではないか。
先生はいつだって僕の応援団長だった。
だから学ランもよう似合っとる。
恥を知れ。
人を羨むな。
そして、人をナメるな。
人とは、人生である。
人をナメるな。
それが、応援団なのだと思います。
押忍!
応援をするとはどういうことか。
応援団とは、何を思えばいいのか。
僕たちはたくさんの応援を受けて、今がある。
親、兄弟、先生。
そして、かけがえのない友達。
全ての愛や祈りが応援なのだ。
応援をすることに資格はいらない。
その人のことだけを想い、祈るような気持ちで頑張れと言う。
声の大小ではない。
では何故、大声を出すのか。
それは、その人がたとえどんなに遠くにいても「聞こえるように」するため。
実際には聞こえるはずもない声が聞こえる時もある。
届けたいからこそ、必死で声を出すだけだ。
その結果として、声が大きくなる。
そして応援される側からは、様々な要望があると想像すればいい。
かっこ悪い応援ならば恥ずかしいからやめて欲しいと思うだろう。
頑張ってもない奴に頑張れと言われても、むしろ頭にくるものだ。
「頑張って練習してくれたんだなぁ、よし!俺もやってやるぞ!負けないぞ!」
と鼓舞してやればいいのだと思う。
なるほど。
やはり、結局敵などいない。
仲間に負けないように、己の怠け心だけが敵なのだ。
じゃあ、そんなもんぶっ飛ばしてやろうぜ。
心にかかった雨雲は、俺たちで吹き飛ばしてやろうぜ。
雨は決して一人だけには降らない。
皆に平等に降るのだ。
それでも止まない雨ならば、僕が君の傘になろう。
君達はその人の傘になれ。
あるべき場所は違い、歩んだ道も違う。
しかし、見上げる先は同じ。
同じ時代に生きる仲間ではないか。
先生はいつだって僕の応援団長だった。
だから学ランもよう似合っとる。
恥を知れ。
人を羨むな。
そして、人をナメるな。
人とは、人生である。
人をナメるな。
それが、応援団なのだと思います。
押忍!
今月で宮城を離れます。
押忍
校長先生、どんなにか嬉しかったことでしょうね。
厳しい練習だったのか、怖い応援歌指導のような雰囲気だったのか(時代が古いので応援練習は怖いイメージしかありません(笑))は想像するしかありませんが、太鼓の前で団長を囲んで練習をしているその様子が全てを物語ってますね。
なんとも羨ましい出来事です。
私達の学校にも来て欲しいです。
僕が君の傘になろう。
君はその人の傘になれ。
ぐっと、きました。
応援とは
愛と祈りなんだということも
教えて頂きました。
愛と祈りなら
私にも出来ます。
私のできるところから
まず始めようと思いました。
ありがとうございます(*^^*)
本当は青空応援団の方々にエールを送ってほしかった
のですが、時間がなく見よう見まねでエールを送りました。
恥ずかしがってはいけない。この人のために、心をこめて送ってみました。
喜んでもらえたと思っています。
ありがとうございました。