僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

しょーがねーなの精神

2016-12-04 08:15:03 | 日記
無理なこと。
その大体は面倒臭がらなければ無理じゃないことでした、ということが多い気がしませんか?
しょーがねーなーの精神で出来ちゃうことって多くはありませんか??っつってんの。

【しょーがねーなーの精神】は、この世を明るくします。
「はい、喜んで」が僕は嫌いだ。
【よろこんでの精神】に違和感がある、それは嘘の場合もあるからだ。
全部ではないよ?
その場合もあるという話。

(最近、行間の読めない奴が多くてうるさいし、邪魔だね。)

「ははは、あいつ喜んでねぇじゃねぇか。」
それが見えるからだ。
心の奥底から喜んでる人は素晴らしい。
素晴らしいけどさ、やらされてるうちに本物になるとか言ってますけどさ、目の前のお客様は偽物ではないわけです。

「おしぼりください。」
「よろこんで!」
変なの!
(あなたのためなら喜んで!)
というアピールなんじゃろ?
さっき会ったばかりの他人に。
しかも猛烈に。
変なの。

「おしぼりください。」
「しょーがねーなー!」

普通じゃんか!

(そこにあるから自由に使っていいよ。今ね、すごく忙しい。でも、あなたがどうしてもって言うのならばとってくるよ。しょうがない。仕事だもの。)
こんな本音が見え隠れするからいいね、と思う。

どうせやるなら気持ちよくやってやれってのも理解してますけどね。
その前に、お互いがフェアでありたいと思うのです。
お互いが同じ立場でありたい。

客が偉いなんて勘違いしてる奴は、いよいよ、マジで、最低なカスです。

他人に対して従属的な振舞いは必要ないし、逆に強いてもいけない。

同じ立場でとはどういうことか。
それは一度、相手の人生を想像し、その立場に立って考えてみる。というのが名人だ。

理解の輪とは、想像力の先にある。

そんなことは思わせたイライラするニュースがあります。
親しい距離に盲導犬がいればいいのだが、僕も含めて殆どの人がそうではない。
超残念です。
こちらのニュース

新潟の学校の先生は、いつか必ず会って話をしようと思います。
俺はお前を許さないぞ、と言ってやろうと思う。
コメント
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