ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

2017フェデラー公式戦復帰

2017-01-17 00:24:31 | ビジネス

今年は新年早々、中東旅行という今までにない幕開けをして、昨日15日に日本(浅草)で初詣、おみくじは大吉でした(昨年は確か「凶」)。

 

そして、2017年の大きな楽しみのひとつだった、テニスのロジャー・フェデラー復帰戦が先ほど勝利に終わり、今年は良い年になりそうです。

テニスとは直接関係ありませんが、昨年後半自分の中でもやっとしていた世間の話題は、例の新卒女性の自殺問題でした。もやっとしてしまっている理由は、「仕事」「働く」ということのとらえ方が「時間を売る」という一点で語られていることへの違和感です。もちろん土日もなく、寝る時間すらない勤務時間は異常だし、心を壊す主原因になりますから、そこを無視していいと言っているわけでも、昔はそれが普通だったというつもりもありません。そこには一定の保証や会社の制度設計は必要ですが、そのうえで労働=時間を売ることではないという視点が必要だし、働く人にそう思わせない、働く人もそう思わない努力がなければ、たとえ8時間労働が厳密に守られても、人は幸せにはなれません。心を壊す人も出るでしょう。ちょうど自殺問題が話題になったころに視聴率をとったドラマ『逃げ恥』で、「やりがいの搾取」という言葉が出てきて、それにも共感する人は多かったのですが、本当に問題なのはやりがいすら与えない職場やその周辺の環境にあるのではないでしょうか。

この話がなぜタイトルと結びつくのか、わかる人がいれば相当なテニス通だと思いますが、彼が世界中のテニスファンや選手、外国においては一般の人にまで愛される理由のひとつを次の言葉がうまく表しています。

「テニスをやっている人の中で一番楽しそうで、そこに憧れます。あの年齢でもあれだけ勝って、楽しそうに頑張ってやれているところです。あの『テニスを生きている』という感じのバイブ(雰囲気)がすごく好きですね」

これはネット記事のコピペで、ダニエル太郎選手の発言とされている言葉そのままですが、要するに自分の仕事が好き、愛しているのだということです。

様々なアスリートやファンやメディアが様々な言葉を尽くしてフェデラーを持ち上げますが、私にはこの言葉が一番印象に残っていて、そしてこれは仕事をする誰にとっても通じることだと思うのです。

「才能にあふれ、世界的に有名な億万長者と、ただのサラリーマン、あるいは正社員でもない非正規社員とは違う」

確かにそういう反論もあるでしょう。でもどんな仕事でも、どんな社会的地位の人でも、自分だけのために働いている人はいません。お客さま(消費者)のため、会社のため、取引先のため、社会のため、あるいはファンのため、主婦なら家族のためかもしれませんが、皆が自分以外の他者のために自分の時間の3分の1以上は犠牲にしています。その時間になんのやりがいも幸せ感も楽しさも感じることができなければ、たとえ著名人だろうが、高額所得者だろうが、外で仕事はせず家族の介護やわが子の子育てをしている人だろうが、心身は疲弊をしてしまいます。

社会では労働は厳しいもの、人生はつらいものという前提で生きている人が多いような気がします。ある程度自分自身を律することは必要ですが、例えばコンビニのアルバイト店員に些細なことで責め立てる客は、パワハラをする上司に憤る資格はありません。怒りや不寛容は連鎖を生みます。どんな仕事も遊びではないけれども、楽しくて悪いことは何もなくて、実はそれが一番大切なことではないでしょうか。それが前提になければ、他者に対しても無駄に厳しくなりがちです。あるいは他者をねたむようになります。

今年は初心にかえって、仕事を楽しめる1年にしたいと思います。楽しさというのは自然に感じられることではなく、「ラクをすること」と「楽しいと思う気持ち」は、似て非なるものです。楽しさのためには自分を高める鍛錬、他者と良い関係を築く努力や心持ちが必要なところがなかなか奥が深いところです。いくつになっても、なかなかその域に達することはできませんが。