ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

東急ハンズ、ミニショップ展開

2008-05-25 12:05:37 | ニュース

少し前のニュースだが、東急ハンズが都心部や駅ビルなどを中心に小規模店「ハンズビー」の展開を加速するという。もともと東急ハンズは、渋谷、横浜、池袋などの都市部大型店からスタートしたわけだが、最近では郊外型のショッピングセンターのテナントとして入ることが増えていた。都市部に大きなスペースを確保することが容易ではないこと、雑貨中心の展開ゆえ郊外に住む生活者と近いことの必要性等を感じてのことだと思うが、小型店を軸に都市部に戻るということのようだ。

要因としては、生活者の都心回帰や小型化で成功しているプラザ(旧ソニープラザ)、成城石井Selectなどを見据えてのことだと思う。モノがあふれる中で、自分好みを探しだす楽しさがないとは言えないが、ネット通販が普及し、買物が合理化していることも確か。都市部の大型ショップは、人ごみも激しくことのほか疲れる。私も例えば書籍やDVDCDなどがほしいと思ったとき、以前は紀伊國屋やTSUTAYAなどで探したが、最近は使い分けている。ほしいものが決まっていて、なおかつ急がない時はアマゾンなどを利用する。雑誌は近所の本屋や駅の売店。大型店に以前ほど行かなくなった。最近コミックを購入することがあり、(多分)初めて紀伊國屋のコミックフロアに行ったが、わかってはいたもののその作品数の豊富さに圧倒され、コミック大国を実感した。コミック好きの人たちにとってはさぞ楽しいだろうと思ったが、立ち読み防止のためにビニールカバーがかかっているので、意外とそうでもないなと考え直した。もちろん立ち読みで完読されてはたまらないので、仕方ないことだが、作品エッセンスの店頭での情報提供など、もう少し工夫がないと、大型店でほしいものを探し出すのは難しく、結局ネットや口コミに頼ってしまう。

東急ハンズに話を戻すと、時間をかけて店に行き、さらに時間をかけて商品を探す大型店も必要だが、もう少し身近にすぐにほしいものが見つけられる小型店にはさらにニーズがあるのだと思う。特に文具やちょっとした工具などは、最近めっきり昔ながらの文房具店や金物店が都市部からなくなり、コンビニにない品揃えの商品はすぐに買えない不便さがある。私は一応法人なので、アスクルのような宅配を利用しているが、本当に今すぐにほしいときにはタクシーで都心まで出かけなければならない時がある。例えば子どもが文房具を買うときなど、都心にアクセスする機会の少なければコンビニの味気ない品揃えで我慢しているのだろうか(郊外ならホームセンターや大型スーパーで買うそうだが)。そう考えれば、東急ハンズの小型店、品揃え次第だが、個人的にはたくさん出店してほしいと思うが…。


ブランクを受け入れるフトコロ

2008-05-11 12:52:12 | スポーツ

前回、新ドラマのスタートもあり、Around40について書いたが(ドラマは2回目以降観ていないが)、現実の世界で今アラフォーの話題の中心はクルム伊達公子さんだろう。彼女の活躍に勇気づけられている同世代の人は多く、最初は復帰の選択に疑問を呈していたスポーツ界の重鎮たちも、現役を続けている若い選手と互角以上の戦いをしている現実に、何も言えなくなっている。その中で同じテニスのベテラン選手である杉山愛さんが「結局、引退が早すぎた」というコメントをブログに書いたことはごもっとも、と思う。別に彼女は、伊達さんを非難しているわけではなく、同じテニス選手としての素直な思いなのだろう。

日本人の心情として、特に女性の場合、絶頂期の引退を美化する傾向が以前は強かった。山口百恵さんやキャンディーズなどが良い例で、最近では女性ではないが、サッカーの中田英寿選手も早い引退。ところが今はそういう価値観は、やや下降線で、体の衰えと戦いながら長く現役を続ける姿が評価されるようになってきた(やりすぎると痛々しいという声も聞こえてくるが…)。女性が結婚してもアスリートを続ける姿も当たり前になってきた。特に陸上選手には多いように思う。一般社会同様に、スポーツ界でも女性が長く働き続けることが潮流になりつつあるのかもしれない。

でもスポーツ界は肉体の限界との戦いであり、ライバル選手の中で常に優位に立つことが必要なまさに勝つことが求められる社会。ほかの職業でも働き続けることへの迷いは、何度も訪れるのだから、スポーツ選手がいつ引退を考えても誰も責められない。さらにプロのアスリートは大抵子どもの頃から同じことをひたすらに続けているわけで、ともすればほかの世界を知らないまま大人になり、いざ引退しても潰しがきかないということにもなる。そう考えれば、早めに見切りをつけ、次の人生を選びやすくするという考え方もわかる。

しかし伊達公子さんは戻ってきた。年齢の問題よりむしろブランクを埋められるか疑問視された。ブランクをある程度埋められたことがわかると、現役選手のふがいなさを嘆く声も聞こえてきた。全盛期に引退しても、長く現役を続けても、どちらの選択も個人の自由の時代であっても、復帰にはまだまだNO、あり得ない選択というのが社会の現実だ。

スポーツ界だけではない。ビジネスの世界も同じ。最近になってようやく、自己都合で辞めた社員を同じ会社に再雇用という事例も出てきたが、まだまだ例外。そればかりか育児休業すら、復業後に多くのリスクがある。長い人生、瞬間の選択やそのときの事情で、次の可能性が閉ざされるのは、誰にとっても不幸。再チャレンジ支援など、いくら政府や行政が主導しても、そのレールに乗れる人は限られる。社会全体や人の心に、しなやかに多様な生き方を受け入れる土壌がなければ、制度だけがあっても浸透しない。