日経新聞の一面の連載特集で、先進国では平凡なホワイトカラーは総体的に人件費・物価の安い新興国の労働力や産業機械等に代替され、先行き難しいというようなことが書かれていた。折りしも、日テレで「OLにっぽん」というドラマを放映しているが、その中の重要なエピソードに大手商社の総務部の仕事の大半が中国にアウトソーシングされるというものがある。現実にもそういうことは既にある。
私は会社員ではないけれど、たった10年足らず個人事務所をやっているだけでも、世の中の景色は様変わりして難しくなったと思う面も多い。しかし一方でICT(情報通信技術)やサービス業が今ほど発展していなければ、細々と仕事をこなし、さらにそこそこの自由な時間を謳歌することはできなかっただろう。グローバル社会の問題だけでなく、ドメスの社会も功罪織り交ぜ変化しているということだ。
人に関していえば、昔と価値観は意外と変わっていない。前述のドラマの中でも大企業に勤め、結婚退職するOLの姿が描かれているが、少子高齢化の中、結婚退職、専業主婦の道を公然と批判する人はあまりいない。確かに少なくとも私の母親くらいの世代の女性は、それでも平凡に暮らしていた。苦しい家計をやりくりし、自分で料理をし、子どもに我慢することを教え、自分を抑え生きていくことが普通だった。それでも幸せだと実感できたと思う。熟年離婚という言葉も聞かなかった。ところが今は専業主婦で、消費環境が豊かになった世の中の風潮にあわせながら、普通に暮らせる人は恵まれた人たち。平凡の質や中身が良い悪いは別にして変化している。
ホワイトカラー同様、主婦も生き難い世の中になるかもしれない。そもそも普通に生きている人にセーフティネットはない。それは当然のことだが、今までは行政のセーフティネットはなくとも、会社や地域社会にある程度守られてきた。そして働く人たちも今よりがんばっていたようにも思う。おしなべて豊かになったことで、普通の人がもっとこうなりたいと、もがくことがなくなったのではないか。野心を持たず、普通でいい、平凡が一番と、あまりに言い過ぎているような気がする。ドラマに出てくる中国人の女の子のように、貧しさをバネに這い上がろうとする気概は持ちにくいところまで、とにかく日本は来たのだけど、いつかまた逆戻りしないとも限らない。
ところで現時点では比較的元気な日本で普通に生きて働いている人にも交付金をくれるという政策が発表された。表向きの目的としてはみんながもらって適当に使わないと意味がないが、車を買って高速道路を走るほどの金額じゃないし…。しかも交付って、勝手に振り込んでくれたり、コンビニでくれたりするわけではなく、役所にもらいに行くのだろう。きっとむちゃくちゃ込んでいる役所にわざわざ行きたくないなあ。もらえるものはほしいし、要らないというほど、豊かではないが、1回限りの2万円弱を放棄しただけで将来破産するなら、もらってもきっと破産する。選挙対策で何かをすることは、政治家や政党である以上勝たないと意味がないのでしょうがないが、交付金についてはニンジンをぶら下げられているようで、立案した人の品性を疑う。