ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

新宿の映画館ウォーズ

2006-09-29 02:00:46 | まち歩き

映画百年

2006年末から2007年初旬にかけて、新宿を拠点にしている映画ファンには、楽しみなニュースがある。2007年2月には、山手線内側を都心というなら、都心3施設目となるシネコンが開業する。東宝と東映が手を組むらしいので、いずれか1企業がかかわるものより、ソフトのバリエーションも期待できる。これに先駆け、近隣地の新宿文化シネマはリニューアルし、大人向けの良質ソフトを上映することで知られるガーデンシネマと、アジア映画専門のシネマートを開業する。また、2008年には新宿松竹会館の場所がシネコンになる予定らしい。

もともと新宿に映画館は少なくないが、歌舞伎町の深い場所に集中していたり、古くて汚かったりと、特に女性客にはきついものがあった。新宿3丁目に至っては、レイトショーもほとんどやらない、忘れ去られた感すらある映画館ばかりだった。

シネコンは都市部にはほとんどなかった。六本木のような大規模開発でもない限り、新設できる場所も残っていないだろうし、何よりも街の集客力という点で設備に凝らなくても人が来るという慢心があったのだろう。ところが郊外にどんどんシネコンができ、わざわざ休日に映画を観るために都市部に出てくるという行動パターンを期待できなくなってきた。ちょっとレンタルビデオを借りに行く気軽さで、近所のシネコンに行けるのであれば、何も交通費をつかって汚い街中の映画館に行く必要がないわけだ。ショッピングの場も郊外に増えていることもあり、通勤以外の都市部への移動が総体的に減っているのかもしれない。

さらに東宝が製作しない映画ビジネスで成功していることもシネコン増設に拍車をかけている。製作や広報はテレビ局など外部に委ね、資金はファンドを組成し、内容の良し悪しの判断は別にして邦画ヒット作を連発している。映画ファン的には邦画も洋画もシネコンで上映されないような作品により魅力があるわけだが、そうした作品が発掘され、ネットなどを通じて話題を呼ぶような現象もまた、大手資本が映画産業全体を活性化しないとなかなか出てこない。メインストリームがあってこそ、小品の秀作が存在感を発揮することもある。そう考えれば、今の現象も悪いことではない。新宿に先立ち、10月5日にオープンするららぽーと豊洲内にユナイテッド・シネマができる。旧態依然とした、サービスも、上映作品にも、スクリーンや音響にも特徴がない映画館はますます厳しくなると思う。


年齢にこだわらない国に

2006-09-27 01:33:58 | ニュース

スウェーデンの高齢者福祉

こんなことを書くと、オバサンの戯言と思われるかもしれないけど、新内閣のキーワードの一つに「再チャレンジ」というのがあるので、こっそり書いてみようと思う。

再チャレンジにもいろいろなパターンがあると思う。リストラされた中高年が再就職、定年後に新しいことをしたい、会社を倒産させた人や自己破産した人の再生、子育て後の再就職、フリーターやニートの再生etc. まあ、明るめのヴァージョンから、閉塞感を伴うものまであるわけだが…。

私は個人的にはあまり格差のあることが悪いとは思っていない。別に私は勝ち組ではないし、子どもの頃も金持ちではなかったし、相続する財産もない。でも知恵のある人、努力して学歴や資格や能力を勝ち取った人が報われない社会はエキサイティングではない。資源が乏しく人口が多い日本が、スウェーデンのような高福祉国家になるために払わなければならない代償も大きい。国や誰かのためだけでなく、人は一方で自分自身のために自立をしなければ、バランスがとりにくい。幸福感には多様性があった方が健全。誰もがマザーテレサにはなれるわけではない。競争は努力の重要な源泉だと思う。

それでも人によって子どもの頃は大切なことに気づかなかったり、大器晩成であったり、親や生まれ育った環境で思うように人生を歩んでこられなかったケースもある。そういう人が死ぬまで希望を持続できる社会が再チャレンジできるということなのだと思う。そのために、まずは政治も経済社会も一般の人も、アメリカのように(住んだことがないので本当かどうか知らないが)人に年齢を聞くのをやめたらどうだろうか。80歳くらいまで普通に生きる時代に、30歳までの人しか就職できない会社とか、50歳だからこれをしてはいけないとか、ナンセンスと思う。もちろんジェンダー同様、体力差はあるかもしれないが、それは個人を見て判断すれば良い。

日本でも学歴を聞かない企業が出てきているが、学歴は本人の努力だってあるわけで、それより年齢を聞くことや年齢のみの基準で活動を制限することを禁止したらどうだろう。履歴書の年齢なんてごまかしている人もいる程度のものだ。どうしても見た目の若さが必要な仕事やコトならば、年齢申告なしで外見や体力テストで判断すれば良い。年齢も頑張れば多少は若づくりできる。余計なお金はかかるかもしれないが…。


魚はマグロだけじゃない

2006-09-23 01:25:56 | まち歩き

三崎メバチマグロ切落し約1kg

マグロの価格が高騰しているという。BSE問題の影響で遠のいていた米国牛が徐々に輸入再開され始めた折に、今度は人気魚の品薄。正直消費者の立場でいえば、飽食の時代、マグロがダメでも他に食べるものはある。でも魚市場からみれば、由々しき事態だ。

マグロ問題の随分前から魚全体が売れなくなっている。「♪魚、魚、魚♪」なんて軽快な音楽や、タレントのさかなクンの出現(といっても、どちらも随分古い話だけど)もマーケットの危機意識があったからではないか。要因はさまざまある。食生活の洋食化、中食人気、その背景にある核家族化や女性の社会進出など、いまや当たり前のトレンドが海洋国の日本の魚を危うくしている。年配の人は魚をおろせる女性が減ったとか、切身で泳いでいると思っている子どもがいると眉をひそめるが、もはやそんなことを棚上げしても、魚を食べることが選択肢から外されないように考える必要がある。ちまたで健康志向、日本食回帰と言われていても、実は消費者は矛盾した食行動をとっている…というより、嗜好が変化した挙句の反動で健康志向といわれているだけかもしれない。

そのなかでも安定的に売れ続けている魚もある。その代表格がマグロ。「食卓に載る魚料理は刺身だけ」と言っていた人がいたが、そんな家でもマグロは食べるだろう。最近はオリーブオイルで焼いたり、洋風サラダにまぜたりと、手軽にできる洋風料理のバリエーションが紹介されている。外食で出てくる頻度も高いから、馴染みもある。肉のように、部位によって味わいが違い、他の魚ほど淡白でないことも、若い人の味覚に合うのかもしれない。だから郊外の大型スーパーの魚売場は妙に赤い。マグロと鮭が牛耳っているからだ。

もしかしたらマーケットにとって、マグロの価格が上がることで困るのは、魚全体がますます食べられなくなることかもしれない。だからいまこそ、魚の供給者はマグロ以外の魚への注目度をあげるチャンスと捉えることが魚市場全体を救う。ところが扱いが難しいといわれる生鮮三品(魚、肉、野菜)の中でも、特に魚を扱う人は職人的気質が強い。生産者はもちろん、買い付けも、店頭で売ることも、特別な技術や経験が必要で、男社会。それ自体は悪いことではないが、どうしても今の生活者とギャップが生じる。熟練したプロにしてみれば、おろすことさえできない主婦は論外というより異星人のような存在で、その層に向けた提案力がどうしても弱い。この両者のギャップを埋める通訳のような売り方の施策が必要かもしれない。


デパ地下のない有楽町

2006-09-20 02:08:57 | まち歩き

銀座の百貨店が相次いでリニューアルしている。銀座というネームバリューに反して、他の地域に比べて個々の店ではパワー不足(各企業の一番店で銀座にあるのは松屋だけ)の感があるのに加え、丸井進出の準備という面もあるらしい。

ところで本来デパートに食品売場はなくて普通。デパート業態の本家パリのル・ボン・マルシェプランタンにも、大型店舗業態先進国アメリカのニーマンマーカスブルーミングデールズバーニーズにも食品は売っていない(但し、チョコレートなどちょっとしたものやギフト系はある場合も)。何しろデパートメントストアなのだから、イコール百貨店ではない。でもなぜかロンドンのハロッズには、日本ほどではないが、地下に食品が売っているが…。

日本でも今でこそデパ地下あっての百貨店と考えられているが、そもそも食品はおまけみたいなものだった。それが噴水やシャワー効果(つまり買い回り)を狙って、究極の日常的な商品である一般食品を置きだしたのが今に至っている。でもこれが客層を分化する結果ももたらしている。本当はNYのニーマンマーカスのように、ある種のオーソリティであるはずの三越本店や髙島屋東京店に、中央区の人口増加に伴い近所の自転車客が増えているのは周知の事実。みんなデパ地下目当て。かくいう私も伊勢丹のデパ地下には、自転車でTSUTAYAの袋を提げて行く。この場合、化粧品や洋服の買い回りはしない。買い回るのは他の店のレンタルビデオ、本などである。でも化粧品と洋服、ランジェリーは同じ日に買う。つまり百貨店はある種、地下と1階の間で分断されている。

これが良し悪しはともかく今の日本の都市型百貨店の標準だが、有楽町にあるデパート群は一線を画して、食品売場がない。多分丸井も置かないだろう(意外と予想に反して食品のあるファミリータイプを持ってきたりして)。正直、有楽町から帰るときには不便だなと思うこともあるけれど、顧客層を絞り、ファッション文化を引き立てるためには、本来デパ地下は要らないのかもしれない。既に改装を終えた有楽町西武は、個別のファッションパーツが百貨店にしてはターゲットがセグメントされていて、そのなかでの品揃えがかなり豊富だった印象がある。いま、ファッションに復活の兆しがあるといっても、実際には低価格カジュアル主流傾向は健在で、相変わらずメッセージ性やパワーに欠けている。109世代やその下はともかく、大人の女性のファッションは特にマンネリ化しているように思う。こうしたなかで本来の意味でのデパートメントストアの存在は、女性ファッションの本格復活への牽引力になるかもしれない。

百貨店の未来 百貨店の未来
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:1998-06


不便なメガバンクの規制

2006-09-14 00:48:10 | まち歩き

リテール・ユニバーサルバンキング時代の到来

セキュリティ強化のために簡単に銀行口座を開設できなくなっているが、不届き者への抑止のためにこれは仕方ないとして、最近不便に思っていることがある。みずほ銀行に続き、三菱東京UFJ(←この銀行名が何よりメンドクサイ?)銀行の普通口座1日あたりの引き出し金額の上限が50万円になる919日~)。ただ、個人口座に限ってのようなので、まだみずほ銀行よりはマシだけど…。私は法人も個人もこの2行なので、他の銀行のことは知らない。でもみずほから随分経って変更になっているところをみると、完全に足並みが揃っているということではないのだろう。

最初みずほ銀行が上記措置を始めた時には、唖然としてそして困った。苦肉の策として徐々に三菱東京UFJに振込先を移動していたところだった。もちろん窓口を使うとか、ICカードを持つとか、取引形態を変えれば良いわけだが、このICカードも結構魔物だ。以前に三菱東京の個人名義の口座で、スーパーICカードに申し込んだという話はブログに書いたが、使い勝手がすこぶる悪い。何しろ静脈認証してくれない。もちろん正真正銘私の静脈で…だ。何度やり直してもダメで、結局引き出せなかったことが2回くらいある。それ以来、その口座は引き落とし専用にしている(←あまりお金が残留しない口座になったので、ほとんどセキュリティの意味なし)。

昔からそうだったが、もはやメガバンクは貧乏人の個人や零細企業経営者は、来るなということかもしれない。にもかかわらず、東京スター銀行がATM無料化を進めることに、メガバンクが事実上妨害ともいえる取り決めをしようとして波紋を呼んでいる。まあ、そもそも都内では都市銀行以外は窓口やATMが少なくて不便なので、いずれにしてもメガバンク優位は動きにくい。

周知のように銀行経営は、多くの銀行で近年過去最高益をあげており、今後も上昇基調にある。ようやくゼロ金利は解消されつつあるが、それでも貸出金利は高く、預入の金利が低いのは相変わらず…。せめて使い勝手くらい良くしてもらわないと、あまりに割に合わないと思うのだけど、支店の統廃合でATMの数も減っているし、イイコトはあまりない。あとは民営化を控える郵貯銀行に頑張ってもらって、リテールに対する競争意識を高めてもらうしかないかも。