新卒で働き出してまもなく、大阪のある有名高級和食店で仕事関連の知人と食事をしたことを今も覚えている。知人は私より年上で銀行系シンクタンクに、当時はまだ珍しかった総合職として勤める女性だった。ランチだったと思うが、割り勘が堪えたから記憶にあるのだろう。でもその背伸び感は、決して居心地は悪くなかったし、そんな些細なことの積み重ねが成長の糧になっていたのかもしれないと思う。
その時に行った店も誰もが知る高級店だったが、吉兆はさらに何ランクも上でとても手が出なかったというか、行こうという発想にすらならなかった。その後、さまざまなところに足を踏み入れたけれど、いまだに吉兆には行ったことがない。高嶺の花だった。
やがて私がムリをして出かけた和食店の方は、吉兆グループより随分早くに東京のあらゆるデパ地下に和惣菜店として出店し始めた。その企業は何の問題も起こしていないし、デパ地下に出ることは何も悪いことではない。でもその大阪の店で板前修業をしていた若い男の子たちは、10万円に満たない給料で朝から晩まで働いていた。どうってことのないチェーン店に行けば倍くらいもらえるのに、厳しい修業に耐えていたのは、その店に脈々と受け継がれてきた老舗の暖簾があり、学べる技術があったからだ。彼らは今もそのモチベーションを持ち続けられているのだろうか。もっともそのときの彼らは既に一人前になっていると思うけど、今の若い人はどうだろう。プロ野球じゃないが、ヨーロッパの有名店で修業をしたフランス料理やイタリア料理のシェフ、パテシェの方がもてはやされているように思う。
国内の飲食やサービス業のあらゆる店の敷居が低くなったのは、自分が歳をとったからだけではない。企業の接待が減り、粋に遊ぶ人が減り、運営・維持費用ばかりが膨れ上がり、スタイルを守れなくなってきているから、企業側から敷居を下げてきている。各社の拡大路線を責める意見はあるけれど、そうしなければならない事情もあったのではないかと思う。
それにしても、賞味期限の偽装はくだらないし、セコイ。大事に至る可能性もあるわけで、くだらないと言ってはいけないかもしれないが、他にコストやロスの削減方法は考えられなかったのだろうか。従業員に責任を被るように脅したというけれど、今のスタッフが何も学ぶべきところがない保身だけの暖簾継承者に屈すると思ったとしたら、勘違い甚だしい。最近そういうセコイ事件や議論が増えているように思う。昔は違った、というほど、歳はとっていないつもりだけど、やっぱり昔は違ったかもしれない。時代や人はブランドを求めているようだが、安易に求めれば求めるほど本物のブランドは稀少になり、遠ざかっているような気がする。