25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

栃ノ心 いいぞ

2018年05月17日 | 日記
独特な伝統を創り出していった大相撲の世界は「国技」とまで称されるようになり、神への「儀式」とまで呼ばれるようになった。この大掛かりな興行には先人は必要な芯のようなものだったのだろうか。
 現在は「公益財団法人」となって税金も免除されている。土俵上への女人禁制も頑固に守っている。女人禁制を守る意味がどこにあるのか、語れるものはいないだろう。ただ「伝統だから」「そういう風にしてきたから」が精々だろう。
 伝統的なものは徐々に変化して受け継がれていくのもまた事実である。
 番付によって着る物、足袋、草履、帯まで違ってくる。乗り物さえも。
 鬢付け油の香りも大相撲独特のものだ。

 日常生活も朝が早い。新入りの弟子はさぞかし辛抱の生活だろう。料理、買い出し、稽古、昼寝、自主練習、筋力をつけ、体を大きくすることも目標のひとつである。
 力士の凄まじいぶつかりは恐ろしいほどである。
 現在、ぼくは栃ノ心に声援を送っている。怪我で十両まで下がり、そこから這い上がった。遠藤も同様である。怪我で不調であったが、彼は休まず、回復させながらも相撲をとった。そして膝の痛みとうまく付き合いながら、相撲をとるようになったという。
 照の富士も気の毒である。また上がってきてほしいが、今のままだと幕下へ転落である。
 栃ノ心のような這い上がり方をすると、応援したくなる。廻しをとったら俄然強さを発揮するが、この頃は右でも左をとっても、左右上手でも、突きでも勝負ができるようになった。
 今場所を見ていると、今一番強いのではないかと思える。よく相撲という重心や力の伝え方などの極意のようなものを掴んだのかもしれない。
 幼い頃から相撲を見、遊び相撲を取って、またクラブなどで、相撲をとってきた日本の力士とは違い、全く相撲を知らなかった栃ノ心は相撲を身につけたように思える。
 毎日楽しみである。