25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

無常

2016年10月25日 | 社会・経済・政治

  この前、スーパーに買い物に行った時、キャベツの半分が250円した。これには驚いた。同じ日の夕方別のスーパーに行ったら、キャベツ一個が150円だったので、また驚いた。その翌日からテレビで東北の野菜が高騰している、というニュースを見た。11月になると関東産のものがでてくるので、それまでの我慢ということだった。キャベツや白菜をよく使う店みはこたえることだろう。馴染みの中華料理店にいったらキャベツ、白菜などをよく使うので、よわりきっていた。

 地震に津波に土砂崩れ、台風に高潮、大雨。日本で、「無常」という心的情緒が起こるはずだ。過不足なく食べる量の食料があって基本的に経済は安定する。そのための設備が住まいえあり、衣服であり、道具である。現代社会では、とても需要になっているコンピュータもその道具入ることだろう。すると、コンピュータの回線インフラがいる。移動のための輸送道路や鉄道トラックもいるだろう。すると農業者がそれらを支える人の分まで生産しなければならなくなる。商工業の発達ということは余剰食料が生産されるようになったということである。江戸期には飢饉があった。昭和の戦前でも飢饉があった。日本人が飢饉から解放されたのは、まだ60年くらいのことである。

 中国やインドのようにな人口の多い国は大変なことだろう。それにしても日本。自然災害だけでなく原発事故災害まで加わっている。

 阿蘇の爆発被害でも、台風による被害でも、頭を抱えている農家は多いだろう。昔だったら飢饉である。

 政治家は借金をして金を配り、財政を自分たちが悪くぢておいて、消費税を上げると言い、年金を物価スライド制という巧妙な方法で年金を下げようとする。なすすべのないぼくらはたった一票でしか政治家を決めることはできない。これも無常感を募らせるだけである。貯金でも封鎖される事態ともなれば、国民の怒りは爆発し、それが四方八方と散るのだろう。どうなるのだろう。