やっさんのぶろぐ(映画、趣味、日記など)

個人日記、忘備録、反北朝鮮、島国を去りました。

犯罪者野放し国家

2012-07-30 13:47:46 | Weblog
毎日のように子どもによる暴行や窃盗、殺人未遂、自殺教唆の事件が伝えられるが、日本はいつから子どもの犯罪を野放しにする国家になってしまったのであろうか?たぶん子どもの犯罪発生率は戦後の動乱期に近いのでは無いかと思う。日本人は自ら真面目な国民性であると自負しているが、はたしてそうでろうか?犯罪を犯しても罪にならなかったり、見逃してもらえると思えば平気で犯罪を犯す国民性ではないかと思う。日本人の多くが無宗教であることも原因であると思うが、人が見ているところでは良い人ぶり、見ていないところでは犯罪を犯す。中学2年生が悪質な犯罪を起こす理由は明確であり、中学2年生までは罪が軽くなるからである。いったん罪が軽くなると思うと平気で犯罪を犯すのが犯罪者の心理であり、犯罪者は子どもであっても法律のことをよく理解している。通常の人ではどのようなことをすれば逮捕されるかそれほど知らないが、前科者や子どもの犯罪者は実に良く法律を知っているし、先生は自分達に対し何もできないことも知っている。

結果として被害者は自殺するしか方法が無くなっている。逃げてもこれらの犯罪者は逃げたという理由でしつこく追い回す。大人の世界でやくざがやっていることと同じ事を中学2年生がやっているだけである。やくざは逮捕されるが。中学2年生は逮捕されない。やくざは被害者から告発されないように被害者を脅し、金品や利益を得ているが、子どもの犯罪者も同様の手口で金品を奪って行く。

このような事が法治国家で野放しにされるのであれば、日本に仇討ちの復活を望む。犯罪を犯した子どもを親が仇討ちする権利を与えるべきである。私自身テレビで見るような子どもの犯罪者で自分の子どもが自殺し、犯罪者に何の制裁も加えられないのであれば、自分が刑務所に入れられてもこれらの子どもに対して何らかの制裁を加えるであろう。自殺に追い込むような悪質な犯罪を犯した子どもが何の罪や制裁を加えられることなく成人して幸せな生活を送るようなことを容認する国家は普通ではないと考えるべきである。アメリカであれば親に銃殺されると思う。

人が見ていなくても神様が見ているとよく祖母に言われたが、今の日本人にはこのような神の視点は全くない。知り合いの前では必要以上に挨拶をして譲り合うのに、知らない人に対しては我先へと相手を押しのけてでも前へ行こうとする。時に中国地方など田舎に行くとそれが顕著である。歩行者がいても高速で飛ばす車を見るたびに、いつから日本はこんなに思いやりのない人間ばかりになってしまったのかと情けなく思う。これから経済状態はさらに悪くなり、増税により経済活動が低下することが予測されるため、今後益々犯罪が増え、住みにくい国家になって行くことが予測される。挨拶や譲り合いがないのは日本では昔からであるが、他人の気持ちになって物事を考えられない人間が本当に多くなってしまった。


prison break 自分の子どもを殺した殺屋に復讐するマホーン元FBI捜査官 殺し屋を拷問し、携帯電話で殺し屋からマホーンの妻に電話させ「息子を殺してすまない」と言わせる。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120810-OYT1T00307.htm
子どもの犯罪者担任教師にも暴行し、重傷を負わせる。極道犯罪者を野放しにする学校は法治国家の権力を極道達に見せることを忘れている。これらの極道犯罪者が何も罪を問われず、成人して「あの時はやんちゃなことをした」などど昔話を誇るような芸能人面を許すような国家は普通ではない。罪を犯して厳罰が与えられて初めて人間は更正への道をあゆむことができるが、罰は更正の爲に行われるのではなく、被害者の代わりにその報復を行う観点からも論じられるべきである。更正しようがしまいが犯罪者の勝手であるが、被害者は死んでいたりしたら誰も犯罪者に制裁を加えられない。子どもの極道犯罪者に対する罰を論じる際にも大人の極道と同じように一番痛みを与えられた被害者(生きていようが死んでいようが)のことを中心に考えるべきである。もし法治国家では普通にできることが日本ではできないのであれば、学校は不要であるし、法律も不要である。

オスプレイ

2012-07-26 08:24:49 | Weblog
オスプレイ(米軍の垂直離着陸輸送機)が日本での飛行が安全かどうかを調査されている。なぜオスプレイだけが問題なのか疑問であるが、反米、反日運動家達はどのような兵器であっても反対したであろう。その本質は日本に軍事力を持たせないことであり、彼等は中国の不利益になることであればすべて反対する。以前は20ミリ機関砲に使用していた劣化ウラン弾であったし、それほど珍しい運動でもない。唯一異なるのは住民がこの航空機に対して異常な恐れを抱いている点である。たしかにその格好は不細工である。通常不細工で格好の悪い飛行機や艦艇はその性能も低いし、なにか問題を持っている。この航空機を設計した人はよほどセンスがなかったか、強力なリーダーがおらず集団であれこれ設計している間にこのような不細工な格好になったと思われる。まるで現在のソニー製品のようである。この航空機はたぶん何回か日本で落ちるであろう事が予測されるが、その事故範囲は限定的であるし、それによって大きな被害が日本に及ぼすとは考えにくい。

アメリカからいわせれば原発であれだけいい加減なことしかせずに世界中に放射能をばらまいている国家がなぜこのような限定的被害しか与えない航空機導入に反対するのか理解できない。日本のマスコミは本当の被害とは何かを考えてもらいたい。墜落しても米軍のパイロットと最悪住民が死ぬ程度で有りが、これは全ての航空機や車に共通することである。オスプレイより歩行者がいる狭い道を高速で走っている保育園送りのばか親や若者のほうがオスプレイよりよっぽど危ない。海上自衛隊でも「飛ぶ棺桶」といわれた水上機があったが、オスプレイより遙かに危険であり多くの海上自衛官が亡くなった。民主党政権とともに反米反日運動家達には権力の座から消えてもらうしかない。

マスコミは民主党政権の政権交代をあおり、小沢元代表を裁判で無力化し、左翼勢力が政権の座に就くことを成功させた。民主党と同様に、もはやマスコミのいうことを日本人は誰も信用しないし、信用すべきでない。オスプレイについても同様である。彼らマスコミは軍人、軍隊、全てが嫌いであり、海上保安庁、警察、検察、日教組、電力会社、中国共産党だけが好きな連中である。

要するに日本のマスコミは権力のある組織にこびへつらい彼等の思いどおりに発言し、弱い組織を徹底的に攻撃する弱い者いじめ集団である。日本のマスコミは小学生に暴行して喜んでいる中学生と同じような存在であり、権力の犬である。その証拠にどのマスコミも原子力発電所の問題を指摘してこなかったし、東京電力や関西電力のいうがままに報道してきたのではないか?今でもほとんどの新聞は原子力発電継続に好意的であり、電力会社を支持する発言を繰り返し、それに反対する政治家が出てくるとスキャンダルで失脚させる。このやりかたを常に戦後続けてきたし、これからも何もかわらないであろう。日本のマスコミは日本を益々住みにくい国に変えて行くことだけに興味があり、売り上げを伸ばす目的のため日本がどうなろうが知ったことでは無い。経団連会長や電力会社の言う言葉を神の言葉のように報道し続ける新聞やテレビは普通ではない。このような普通ではない新聞やテレビが今回もいつも通りにいつもの調子で報道しているだけであり、取るに足らない報道である。私は天気予報のつもりで聞いている。

戦争や原発事故の際になにをするか分からない営利企業

2012-07-21 13:17:39 | Weblog
福島第1事故の収束作業の際に、作業員が被曝放射線量を偽装するためにガイガーカウンターを鉛で覆うように指示されていたことが報道されていた。この事件を考えると日本という国家は非常事態時には何をしでかすか分からない国家であると思い始めた。福島第1事故の件では偽装工作がなされ、現場で働く作業員は被曝しても告訴しないことを東電から誓約書をとらされていた。少なくとも国家プロジェクトで民間企業が行う報告書の多くはデータねつ造が含まれることを国民は知るべきである。民間企業にはデータをねつ造しても誰も逮捕されないし、それを承認した役人も罪を問われることはなかった。私自身実験部隊で艦艇装備品の試験に関する勤務をした際には○菱電機の報告書の中にデータねつ造があることを見つけ、上部組織に報告前にそれを上司に報告した。その際には、その部隊の長は私自身もねつ造に荷担していると思われていたことを今でも悔しく思っている。いい加減な人間であればそのまま報告して、自分が上司から疑いの目で見られることも無かったであろう。その後私は自衛隊を退職することを決めたが、民間企業は自分の会社の利益のためなら、データねつ造など平気ですると国民は知るべきである。民間企業が常に聖人君主で役人が悪人という構造はマスコミが作り出した虚構にすぎない。本当の悪は国家プロジェクトを受注する民間企業であることをこの事実は示している。戦前の「財閥富を誇れども社稷を思う心なし」が現在でも生きている。

福島第1事故の件を見ると、自分の利益のためであるなら民間企業は犯罪行為でもデータねつ造でも何でもする企業が極めて多いことが分かるし、国家プロジェクトを請け負う企業の多くはモラルの欠如した大企業が多い。電力関連会社はこれまであらゆる嘘とデータねつ造、データ隠しを日常的に行っており、彼等の唯一の仕事は事実を隠し原発は安全であると言い続けることであった。活断層の問題でもこの事実は福井県に住む人間なら誰でも知っている。それらを報道させなかった関西電力の力が弱ってきたので、今になって思い出したようにマスコミが報道している。なにを今頃言っているのかしらないがこの国はどさくさに紛れてなにをしでかすかわからない国家であることは間違いない。営利企業の思惑道理に戦後政治家が操り人形として機能してきた。その延長線上に原発再稼働と消費税税率アップがある。自民党、現在の民主党政権で一度たりとも営利企業の思惑に反した政策を行った政治家は一人もいなかったし、今後もいないであろう。全て既存の営利企業が儲かりかつ新規産業により既得権益を持つ企業が損をしないような政策がなされてきた。戦後ホンダヤソニー等多くの企業が出てきたのは既得権益を有していた財閥が解体されたからであるが、今では経団連に象徴するような営利企業の会長がいうとおりに政治が動かされている。これだけ原子力発電が危険であるこことを経験しながらも、企業の思惑のためなんのハード面でも処置もせず再稼働するような国家は普通ではないと国民は知るべきである。

従軍慰安婦問題も戦前の政府や軍はそのような従軍指示をしなかったであろうが、赤線を経営する者は国家の威厳をかさにきて拉致やあくどいことをしてきたのではないかと思い始めた。大東亜戦争時生還する希望が1%もない命令を出し、若者を特攻隊に行かせるような国家である。日本は戦争や事故が起きたとき何をしでかすか分からない異常な国家であることが今回の収束作業でも証明された。


おごり高ぶった電力会社

2012-07-17 13:50:20 | Weblog
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120717-OYT1T00682.htm 「中長期的なエネルギー政策に関する政府主催の意見聴取会で電力会社社員による意見表明が相次いでいる問題」

政府主催の意見聴衆会は利害関係のない国民の意見を聞き取ることが趣旨であるが、電力会社社員は勝手に意見を述べている。一企業の人間が自分の会社の利益になる発言を政府主催の聴衆会で許されると考えている。電力会社の社員は普通ではない。そこまでおごり高ぶった連中が電力会社の社員である。彼等の給料をもっと下げてもよい。電力会社の社員は国家の方針を決める役人や政治家ではない。発言したいのであれば電力会社をやめて、全く利害関係のない会社に就職してから発言すべきである。このようなことが許されるのであれば日本には民主主義が全くないと言っているに等しい。電力会社社員は組織的にこのような発言を以前から繰り返してきたが、原発事故でも全く意識改革ができていないようである。

福島第1原発事故現場には電力会社が自らマスコミ宣伝用に「がんばろう福島県」と登りを上げていたが、おまえ達のせいで福島が被害を被っているのに何を考えているのか理解できない。例えば、化学会社は大爆発をおこして周辺住民に多大な迷惑をかけても会社の中に「がんばろう福島県」とは掲げないであろう。「多大なご迷惑をおかけして申し訳ございません」と記載すべきである。聴衆会で発言した社員が自らの判断で出席したとは考えられない。組織的に国民の意見を自分達の給料や税金投入に利用するために参加していると考えるのが普通であろう。

電力会社とは本当に下劣で国民を冒涜した組織である。電力会社の課長は聴衆会で「5年たっても10年たっても医学的に福島に住む人間に全く影響を及ぼさないと断言できる」と述べていた。彼は医者でもないし専門家でもない単なる電力会社の課長である。なぜこのような人間が断言できると言い切るのか?よほど頭がおかしいか、狂っているとしか言いようがないし、このような人間を課長にしている電力会社のレベルも理解できる。根拠のない断言は政治家と御用研究者だけで十分聞き飽きた。電力会社とは阿呆者の超文系社員の集団であることが理解できた。この課長は自分の会社の利害の爲であるなら例えたばこ、チクロ、水銀でも毎日体内に取りいえても健康に影響を及ぼさないと断言するであろう。放射能と癌発生率は線形関係である。閾値はなく、できるだけ放射線量を減らすのが唯一の癌発生率を減らす方法である。健康に影響を及ぼさないと言い切れるのであればこの電力会社の課長は、毎日放射能をあびて、放射線物質入りの食料を食べ続け5年後に癌にならなかったと立証してもらいたい。

「恥を知れ」とこの狂った課長に言いたい。一度電力会社以外の企業で汗水垂らして働かない限りこの馬鹿者は何も理解できない。

子どもをいじめる人間の脳は普通の人間の脳とは異なる

2012-07-08 12:42:20 | Weblog
日本では子どもが異常ないじめを受けて自殺したりけがをすることは非常に多い。公的な権力を著しく排除して学校の内輪だけですべてをもみ消そうとする学校と教育委員会の陰湿で内向的な体質の犠牲者といってもいいであろう。いじめる人間の脳はいじめることにより快感物質が脳内発生することが立証されている。したがって、しつけでどうこういう問題でなく、このようなサディストの脳を持った人間から子どもをいかに守かが重要である。このようないじめをする人間は社会にでても社会の役に立つことより、他人の害になることしかできないであろう。このようなことがおきても日本は何もかわらないことを全てが知っている。何もかわらず、何も変えたくないのが日本の公務員であり、学校教師である。

異常な暴力をいじめという言葉を使ってごまかすことも問題であり、いじめではなく、「暴行」「強盗傷害」等の言葉で報道すべきである。子どもの子どもに対する暴行や犯罪行為は30年なにも解決せず、何もかわっていない。この問題一つ見ても公務員、教師がいかに普通の社会とはことなり、隠蔽体質のなかで自分達の保身のみを考えて組織化されているかを知ることができる。日本の子どもの暴力は10年たっても何もかわらないであろう。このような暴力を継続的かつ陰湿に行う人間から子どもを守る方法は刑事告発と逮捕以外にない。なぜ、被害者が転校したり、登校拒否になる必要があるのか。このような学校には子どもを行かせる必要もないし、見て見ぬふりをし続ける教師のみの学校も不要である。

教育委員会は後は司法判断に任せるといってのけた。すなわち、彼等は因果関係を立証しないようにこの問題を隠蔽し、証拠を自ら無視するか無策により隠滅した犯罪者と同罪である。自分の子どもは日本の学校に1年程度しか行ったことがないが、二度と日本の学校に行くのも日本に行くのもいやだと言っていた。それくらい陰湿な体質が日本の学校にある。ODAで多額の税金を中国や発展途上国に使う前に、日本で暴力に苦しんでいる子どもに使うことはできないのか?暴行を加え続ける子どもの犯罪者は逮捕、収監、退学、矯正プログラムや社会奉仕をさせるのがアメリカの学校では普通であるが、なぜ日本ではこのような強制措置ができないのか不思議である。

なにもしないし何もかわらないのが日本の教育現場である。いつから日本はこのようないやな国に成り下がってしまったのであろうか?このような司法判断に任せると言ってのけるような教育委員会や学校に子どもを預けることは危険である。先生の力だけではどうにも成らない場合には無視するのではなく、公的権力を行使して、社会の厳しさを犯罪者に教えるのも教育ではないのか?一般社会では相手を押すだけでも暴行罪が成立する。その際にはその暴行を見た証人いれば立証は容易である。子供であっても証人がいれば教師は暴行を行う犯罪者を刑事告発すべきである。

教師達は自分達が破廉恥な事件や飲酒運転をしても新聞報道に実名を上げられることもなく、懲戒免職になることもなく勤務を続けてきた。性的犯罪をした教師であっても教師を続けられる異常な国家である。アメリカでは性的犯罪者は教師だけでなく、学校に関わるあらゆる仕事をすることはできない。なぜ犯罪者が教師でいられるのであろうか?犯罪者がなぜ子どもの教育をできるのであろうか?日本の教師には多くの世界的な水準では考えられない基準がある。教師が公的権力介入を恐れるのは子どもの保護の観点より、自分達が摘発されるのを恐れるからである。他の会社や公務員組織でも教師ほど犯罪発生率は高くない。一般の会社員がちかんや盗撮で逮捕されれば、懲戒解雇である。教師以外の公務員であれば実名を出され、懲戒免職される。性的犯罪者に教えられる子ども達は不幸であるが、日本では何もできない。この特権階級犯罪者集団を何とかしない限り子どもの犯罪を減らすことはできない。

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=8967503&expand

なぜいまさら尖閣諸島国有化か

2012-07-07 18:00:57 | Weblog
外務省と政府が動いて尖閣諸島を都が購入することを阻止しようとしている。外務省のねらいは尖閣諸島を国有化しても島に人を寄せ付けず、中国を有利に使用としていると思われる。尖閣諸島を国有化すればそれは中国に尖閣諸島の実効支配を容易にさせることになる。都が購入し、そこの日本人が住んだり施設を作ることによって実効支配できるが、それを外務省は必死に阻止しようとしている。日本の外務省はいうまでもなく、外交的にはなんの力を持たずひたすら中国の要人を接待して彼等の機嫌を損ねないようにするだけの存在に過ぎない。戦後領土問題での外務省による外交交渉で日本に有利になるような交渉はしたことがなく、竹島についても政府と一体化して見て見ぬふりをし続けてきたし、防衛庁には竹島には近づかないような課長クラスの文章や軍艦が本来なすべき権利をすべてそぎ落とすために多くの制約を防衛庁に課してきた。今でも護衛艦士官室秘の金庫には多くの護衛艦無力化のための外務省課長クラスの文章が保管されている。

外務省と防衛庁文官の戦後唯一の仕事は自衛隊から実行力を取り上げることであり、彼等は今でも自衛隊が旧軍のように軍国主義化することをパラノイヤになったように病的に恐れているし、そのような教育を部下達に継続している。外務省役人と防衛省文官は中国共産党より自衛隊を恐れている。通常の省庁であれば、官僚はその組織の保身を考えるが、防衛省文官は全く逆である。外務省の犬になって、何か事件や事故が起きると必ず自衛隊を非難する。イージス艦あたごが漁船と衝突した場合でも事実確認をする前に、防衛省文官は自衛艦を非難し、彼等に過失があると断定してマスコミ報道したときのことを今でも覚えている。その後刑事裁判によって多くの事が明確になり、あたご当直士官に無罪が言い渡された。

尖閣諸島を国有化することには反対である。国有化は中国が望んでいることである。中国は日本政府、外務省、外務省の犬防衛省文官などどうにでも操れるが、東京都と日本人を思い道理にすることはできないことを知っている。日本政府や外務省などなくなってしまったほうが、外交的に有利な方法を選べるであろう。それくらい外務省は過去のしがらみから軌道修正できない売国官庁に成り下がっている。

私がなぜ小沢代表を支持するかと問われれば簡単である。彼はマスコミ、官僚、自民党、民主党左翼主義者が徹底的につぶそうとしてもつぶされずに戦っているからである。外務省、防衛省文官、検察、朝日新聞、東大出身自民党リベラル派は自衛隊を常につぶそうと戦後なしうる全ての方法を用いて自衛隊を無力化してきた。この手法と小沢代表つぶしがほとんど同じようにマスコミ扇動を用いてなされているからである。小沢代表の好き嫌いは別にして彼くらい全てを敵に回しても戦おうとする政治家は日本にいるであろうか?

私は評論家、経営コンサコンサルタント、テレビの解説者等を職業としている人間が言うことを決して信じない。なぜならば、彼等は常に檻の中でたたかっている人間を檻の外から安全な場所で見ているだけで檻の中で一度も戦ったことがないからである。彼等がどんなに言葉巧みに訴えてもほとんどの人間は政府、自民党、民主党、マスコミを信用しないであろう。しかし、檻の中で戦った人間の言葉だけが力を持つし、多くが信用する。東京都が購入し、自由に日本人が尖閣諸島にでいるできるようにする以外に日本のプレゼンスを示す方法はないであろう。民主党、自民党、外務省は口を出さず、消えてなくなればよい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B9%E8%89%A6%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85
ウィキペディアより抜粋
2011年(平成23年)1月24日の論告期日において、検察官は、被告人に対し、禁固2年を求刑した。同年5月11日、横浜地裁(秋山敬裁判長)は、水雷長Aおよび航海長Bのミスがあったことは認めた[6]が、航跡図については、検察側の供述調書は恣意的だったとして信用性を否定し、弁護側の主張も一部を除き依拠できないとした[6]。その上で独自に航跡を推定し「回避義務は清徳丸側にあり、あたご側に回避義務はなかった以上、Aの注意義務は認められず、それを前提としていたBの注意義務も生じない」としてAとB両名に無罪判決を下した[6]。それに先立ち、清徳丸が事故直前に2回右転し危険を生じさせたことも指摘した[7]。

レノボ rescue and recovery 手順 備忘録

2012-07-01 22:59:16 | Weblog
1.MS outlookのバックアップをとっておく。rescue and recoveryはデフォルト以外に保存したMS outlookファイルを消去してしまうため。
2.高度な設定を選択し、リカバリファイル作製後に作製したファイルを「なにも保存しない」とする。
3.ログイン名、パスワードをリカバリファイル作成時のものとする。

収税人に成り下がった首相

2012-07-01 13:54:32 | Weblog
首相は政治生命をかけて消費税を上げると述べたが、政治生命とはいったいどういう意味であろうか?首相であろうが、議員であろうが、今まで有事や事変、事故があっても戦前戦後を通じて議員や首相で誰一人腹を切って自決した人はいない。すなわち政治生命とはなんの意味もないことをだれでも知っている。侍や軍人であれば生命をかけてといういみは最後に自決するという意味である。生命は一つしかないから価値があるが、政治生命はいくつでもある。一つの政策が終わっても何度も議員になるであろう。政治生命というのであれば、これが通らなかったら首相を辞めると言うべきであるし、いい加減なことで生命という言葉を使ってほしくない。国家のリーダーが命をかけることは国防や外交等その他いくらでもあるであろう。どこの馬鹿者が税金を上げることに命をかけるであろうか?戦前の艦長は艦が沈むときは艦と運命を共にして自決した。このようなことこそが生命をかけるという意味である。

首相を見ていると収税人に成り下がった哀れな姿をさらけ出している。キリスト教国家では収税人とは最も卑しい職業とされている。イエスの弟子でも収税人マタイがいる。イエス自身は大工であり、その弟子たちは漁師であったり一部を除いて労働者階級であったり、マクダラのマリアのように罪深き女であった(石打の刑になったが、イエスが石を投げる人達に「この中で誰か罪を犯したことが一度もない人はいるか?」と訪ね、だれも石を投げられず助けられた女)。

首相が税金を上げることに自分の生命をかけると言ったならばキリスト教国家は日本の首相とは卑しい職業の代弁者であると思われていたであろう。軍人は国家を守るための命をかけるが、財務官僚や役人は誰一人として国家のために命を捨てた人はいない。福島第1原発事故でも役人で誰一人として腹を切った人はいないし、直後に現場に行った人すらいない。そのような役人集団の頂点に天皇のように君臨する財務省のためになぜ首相が命をかけられるであろうか?かける必要もないしその価値もない。首相は原発事故直後にもかかわらず原子力発電所を再稼働しているが、もし福島第1と同じ事故が起きた場合自決する覚悟はあるかとマスメディアに聞かれた場合、何も答えないであろう。もし、首相が原発事故が再度起きた場合自分は自決すると言えば多くの国民は納得するし、そのような事に命をかけるのであれば意味がある。

艦艇で艦長以外は艦と運命を共にする必要はない。しかし極限状態のなかで艦長は最後には自決する覚悟で命令を出していると思えば部下は極限状態まで自分の最大限のことをやろうとする。もし首相が自決覚悟で原発再稼働をすると言ったならば多くの官僚ですら最大限のハード面での処置をするであろう。

生命という言葉を安易に使う首相には怒りを感ずる。リーダーがこのような言葉を使うのであれば、我々は何回でも生命をかけられる。マスコミや評論家は増税賛成にまっしぐらであるが、これだけ国民の意思を無視した政治が行われるのであれば、日本には選挙は不要である。政治家の公約も無意味であることは誰でも理解しているが、ここまで無能な民主党政治家の集団は先進国ではまれであろう。

自決する覚悟もない人間が「命をかける」。本当に自決覚悟で仕事をしている人間を侮辱していることと同じである。