gooEisen の とーくおーばー

一足 また一足。 

友がいて、花があって
時にお気に入りを見つけたらシャッターを押す

ひそやかに

2013-03-30 00:28:22 | 徒然なるままに
急に気温が上がり よく降る雨に土はうるおい
雑草がたくましく株を張らせ 庭が一気に青くなってゆく。
あわてて草を抜いているいて見つけた春蘭 父に教えてもらった”じじばば”という名前。
今から何年前だろう 
実家の桃畑のそばの林の中で見つけた株を持って帰って庭に植えたのだ。
何年たっても株は張らないのだが 1年おきくらいに1,2輪花をつける。
この花を見ると 
小学生のころ 両親、姉妹と山に焚き物(枯れ松葉、枯枝)を何度か
取りに行っていた時のことが思い出される。
その時代は家にはガスなどなく 炊事には山から集めた焚き物、
風呂は 桃やブドウの剪定をした枝を燃やしていたのだ。
今は その頃の父や母の年よりはるかに上で 祖父母に近くなりつつある。
そのころの山は その枯れ枝がかたずけられ いらない木々も片付けられたりと
山の中は掃除がされているようにきれいでいつでもしゃがんでおにぎりを食べられる。
今の山はどこも 人が入ることもなく ゴミも雑木も雑草もうっそうとして
不健康な木々、荒れ放題。。

予行演習

2013-03-18 23:31:30 | 徒然なるままに
毎年 学区の中、小学校の卒、入学式の花を活けさせてもらう。
大きな体育館のステージの上に活ける。
師匠から 祝いの式典には松がつきものだと。
毎年 人を頼って松と枝物を援助していただく。
式の前日には 在校生たちが会場つくりをしたり
予行演習をする忙しい中での活けこみ。
最初はなかなか集中できなかったのだが
最近は 彼らの中に混じって 一緒に準備しているようで楽しい。
先日 10日に中学校を終え
今日は小学校の活けこみ。
相方Seisenがいなくなっって 後ろからの指示がない。
大きな枝を固定するのが大変だと覚悟していたら
教頭先生が気を使ってくださり 若い先生の手を貸してくださった。
ようやく活け終えたのだが ”ここでいいよ”と
いう声がない。 一人というのはやはり不安だ。
子供たちの練習が済んで帰って行った。
しばらくして 先生方が大勢入ってこられた。
今度は先生方の明日のための予行演習。
手短ではあったが 厳かに行われていた。
こちらの音を立てるのが 気になるくらいに。
先生も子供たちと向き合ってくださっているのだと。
うれしくなりました。





誰?  誰?

2013-03-10 21:07:18 | 徒然なるままに
中学卒業50年。学年同窓会に参加。
三年時担任の先生82歳。 ご健在でした。
多くの生徒(50年前だった)に囲まれ
今もエネルギーを発する彼女に感動。
学年同窓会 1組43,4人、 6組。
団塊の世代といわれた多くの中でひしめき合った時代に育った。
その昔30年余り前にも1度参加したのだが
そのころは 妻になり・夫になり・親になり、
それぞれの人生を歩いていたが
誰もが中学時代とあまり変わらない面持と
30年前の話題でにぎわった。
皆、前進の真っただ中だと思っていたのが
アルバムをめくって騒いでいたような違和感を感じた。
そんな不安が気になりながらも
1歩踏み出すこと言い聞かせて参加。
経過した時間・・・・・・。
今を生きる人。これからを生きる人。
やはりそれぞれだが 元気な人が多いのによかった。
中学時代、周りよりもっと子供っぽい自分が歯がゆかった。
それでも数人から旧姓で呼ばれ
意外な自分がそこにあったのに驚いた。
ところが問題!! 記憶の中にとどめている人がほとんどなく
自分自身に唖然としたのだが
参加した多くの人もそのようだった。
時間とともに パズルの小さなピースを見つけ出したように
一人一人の面影を見つけた。


久しぶり

2013-03-07 22:07:38 | 徒然なるままに
春とともに 花のイベントが増えてくる。
先日、天満屋岡山での 6日間の、県華道展。
今年は社中の若い力を出させてもらった。。
20年余り前から毎年出展していたのだが 
自分の花がないというのは奇妙な感じだが
彼らのやる気を延ばしてゆく時期なのだろう。
3月半ばには学区の小、中学校の 卒業、入学式の式典会場の花の依頼。 
今年からはSeisenの手を借りることができない。
心もとないが やるしかない。
今日 知り合いを頼って松をいただきにゆく。
幸いなこと。 こんな知り合いがいるということ。本当に感謝です。
現場で見たよりも家に持って帰って
なんと立派な木だろう!!。
この木に恥じない花材を取り合わせて活けこみたい。

久々に山坂、急こう配を 落ち葉で滑 獣道のような道を
枝を抱えて 息が切れ 何度も休憩。
ここ半年は歩いていないその結果だ。