栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (174)”総裁”(Okubo_Kiyokuni)

2023年06月12日 | 大久保(清)

 総裁

小柄で、痩せたからだにダブルの背広を着こみ、大きな耳の青年が成田空港の出国ゲートから現れたとき、出迎えの人たちは、その小男をやり過ごし後ろに続く恰幅の良い随行員らしき男に歩み寄っていったことがあったが、実は、この童顔の小男がタイ工業団地公団の総裁なのである。

一見、その容貌は貧相だが、ひとたび口を開き、自信に満ちた高音で畳みつけるように喋られると、相手は逃げ場を失うほどの威圧感がある。この男はバブル経済にわき立つタイ国の工業団地の許認可を一手に握る要職にいたのだが、どこかチグハグなところもあった。執務室のテーブルには色とりどりのキャンディーの詰まった何種類ものガラス瓶がおかれ、秘書室にはメイドカフェ―風の小柄な女性が控え、まるで保育園のような不可思議な空気が漂っていた。煙草も酒も嗜まず、大人と子供が混在するような、独特な風貌は40代にも見えるのだが、本当の年齢はわからない。

名門アジア工科大卒の土木エンジニアとのことで、港湾の経験はないものの、押しの強い流暢な英語で東南アジアでは有数のマプタプット工業港の建設の技術会議を仕切ってゆく。こちらもコンサルタントとして、公団側に立ち、港湾用地内の製油所の港湾施設の安全な配置に向け、シェル、モービル、トータルなどの石油メジャーからの辣腕エンジニアの強引な提案に対抗し、小兵ながら、総裁とともに奮闘したものだ。

大規模な港湾工事ゆえ、周辺の海岸が侵食されて、住民問題になり、新聞沙汰にまで発展したたこともあったが、共に、シビル・エンジニア仲間の縁で、なんどもクレーム処理でお世話になり、こちらの陰の渉外部長のような存在でもあった。タイ語が理解できないためもあり、本来ならその場にいるべきではないと思われる極秘の公団の開発予定地の視察にもカメラマン役で呼ばれることもあった。空軍のヘリコプターに乗せられ、総裁、石油公団、軍幹部の空中で交わされる秘密めいたタイ語が分かれば・・・、見学した場所の背景がわかれば、と思ったことも何度かあったが、何も聞かずに、黙々と黒子役に徹していたのが、長いお付き合いの秘訣であったかもしれない。

タイ国は外交術に長けており、外国の植民地になった経験もなく、和やかな雰囲気の中で上手に外国勢を使いこなす不思議な国である。山田長政の時代から、今も、外国人の技術を巧みに活用し、仕事の過程で起こるもめ事も、なぜか、南国のまろやかな風土の中に包み込んでしまう国である、神童のよう顔立ちの総裁との三年間はタイ国の経済発展の爛熟期の象徴のような、どこか祭りのような、バブルの時代の忘れがたい思い出の一つである。

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きよちゃんのエッセイ (173)"バンコクの結婚式”(Okubo_Kiyokuni)

2023年06月02日 | 大久保(清)

バンコックの結婚式

今日も、いつものように会議室で現地スタッフと一緒の昼食を終えて、机に戻ろうとすると、なんだかいつもと違う親し気な笑みを浮かべながら秘書のヌーさんが声をかけてきた。『オオクボさ~ん、結婚式のスピーチお願いできますう~』いいよ、いつ頃、と、軽い気持ちで、その場で快諾したのだが、翌日、念のために尋ねてみた、『スピーチをする人は全部で何人ぐらいなの?』『新郎、新婦それぞれ一人ずつ、それから、スピーチは時間制限がないですから』、と返してきた。一瞬、言われた内容に反応できず、理解するまで、かなり間があったように記憶する。だが、ここで、辞退するのはボスとして失礼だぞ、と、ふんばりながら、あ~、そう、と、泣き笑いでこらえたが、その日から仕事どころではなくなった。何分でもいいです、と言われても・・・、バンコック式の結婚披露宴のイメージがわかないまま、ともかくスピーチ原稿に取りかかった。

今日はヌーさんの結婚披露宴。

彼女から手渡されていた地図の場所には来ているはずなのだが、式場らしき建物はどこにも見当たらず、陽気なシンバルの音色が目の前の体育館のような建物から流れてくる。とりあえず、うす暗い館内にフラフラと足を踏み入れてゆくが、受付けらしきものも見あたらず、フロアーいっぱいにならべられた、照明が落とされた丸テーブルから楽しそうな笑い声がもれてくる。100人、いや、150人はいるのではないだろうか。宴会場の広さに圧倒され、心臓の鼓動が早まってきた。暗闇に慣れてきた目が音の出どこを探し始めた。前方に、赤や白の大きな幟が強いフットライトに照らされている舞台がある、そこに少人数の楽隊が並んでいる。 舞台近くに陣取る事務所仲間のテーブルを探しあて、とりあえず、ウイスキーの水割りで気を落ち着かせた。式次第もなく、まるで岩場で宙ずりになったような心境。マイクで呼び出されたようだが、場内の騒音にかき消され気が付かず、仲間に肩を叩かれた。強力なフットライトで目がくらんだまま、事務所の女性陣から何度も修正させられた祝賀スピーチをただひたすら喋りつづけるが、己の声が暗闇に吸い込まれたまま、何を言っているのか、どこまで喋ったか・・、息も苦しくなってきた。ようやく締めの言葉だ。

『新婦は強運の持ち主です、彼女の関与したプロポーザルの受注率は100%です、新郎どの、どうか、彼女の持つ強運を一人占めせずに、弊社にも少しだけ残しておいてください』、と、共稼ぎのカップルにエールを送ったつもりだったのだが、会場からの反応はなく、ざわめきに変化は見られない、英語のスピーチのためか、オチにならないのか、タイ人にはあまり通じなかったようだ。後に続いた新郎側の主賓はまるで漫才師のようなスピーチで、会場中が笑いの渦に包まれた。あれから数十年、タイ語もしゃべれずに、よくもまあ、主賓で参加したものだと、蒸し暑かった、あの夜のざわめきが懐かしく蘇る。

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