人間ドック(2)
12月の澄んだ青空から射し込む陽光を浴びて、眼下には黄金色の輝きも終わり、そろそろ葉が落ち始めてきた銀杏並木が見える。いつものように市役所通りの晩秋の景色を楽しみながら、人間ドックの食堂で、今終了したばかりの健康診断の結果を反芻しつつ、ヘルシーな和食ご膳を口に運んでいると、何故か、診察室で言われた最後の台詞が蘇った。
お決まりの儀式である聴診器、触診を終え、数分前に終了した検査結果を眺めながら、まだ若い、研修医であろう担当医は、患者対応がやっと慣れてきた雰囲気で、スクリーンに映し出されたデータを説明している。いつも気になる赤字で打ち出されたコレステロール値を横目でみながら、―僕が主治医ならまだ薬は出さないな、笑って応えてくれ、近くの内科医より服用を迫られている身には、息子のような先生がとても頼もしく目に映った。
今回は70歳の節目の定期検査にあたり、何か診察を受ける心構えが変ってきた感じがする。以前は、悪い結果が出ないことをひたすら念じ、検査結果に対し、半身で、逃げ腰で付き合う構えをしていたが、この頃は、苦しい処があれば、ドンドン言ってこいよ、とそれなりの度胸をすえて、ゆっくりと、身体と一緒に付き合う心境になりつつある。
若い頃は、目の前に迫る仕事を消化する道具として、身体の夫々の部位は先頭を走るー脳―にくっついて、少し、びくびくしながらも、皆、おとなしく従ってきた。脳の命令するままに、それを支える身体は、胃腸も、肝臓も、心臓も、肺も、よく頑張ってきた。今回の検査では、脳みそが、―君達のおかげで今があるのだからーと囁いていたような気がする。
もうこれからは、脳は寡黙に徹し、でしゃばらず、身体の一つ一つをいたわり。今までの頑張りにお礼を述べる時である。脳みそは、逆にボケが進み、みなの足手まといにならないように、頭を低くして、ひたすら身体に支えられ生き続けていかねばならないのだ。
今朝も、例年のように一番乗りで受付をしたが、書類の不備を訂正している間に、3人抜かれ、診察着の着替えに手間取っている間に、また2人抜かれた。以前では考えられない対応能力の衰えを味わうが、何故か、あせる気持ちは湧かず、楽しんでいる自分すら感じていた。
検査室の廊下で、長椅子に座り順番を待っている人たちの顔を覗いていると、こちらより年配だなと思われる人が少なくなってきた感じだ。まだ、人生真っ盛りの男たちの顔がそこ、ここに見られる。難しい顔で午後の会議の内容に頭を痛めている中年のおやじもいる。みんなこれからだよ、頑張れよ、とエールを送る。