番号クジ
夕方の店じまいにかかる頃、事務所の電話のベルが鳴りだした。いつもの冷静な対応と違い、秘書の声が少しずつうわずってきた。コックンカ(有り難う)”と見えない相手に向かって何度も礼を言っていたが、電話を切るなり両手を大きく振りながら机の前まで走ってきた。
“アタッタヨ!”と顔を紅潮させ、口元が緩んだままこちらの顏を見つめる。”いくら?“とこちらも興奮気味、
”1万6千バーツ“得意げに配当額を告げながら、嬉しさのあまりに目元がうるんでいるようだ。
日本円に換算して、十万円相当。結構な金額である。バンコックの巷ではお馴染みの番号クジだ。朝に番号を登録しておくと、夕方、お知らせが入る。これは内緒の国内情報のためか、タイ語での極秘連絡網だ。我が事務所の番号登録の受け持ちは雑務係のツムさん。
年齢不詳であるが、40代後半だろう。彼女がいつものように、ニタニタしながら近づいてくる。顔を見ながら、目で、“何番、何番”と問うてくる。彼女は英語を喋らないが勘がよい。タイ語で“456を、30バーツ”と返すと、ニターとして、嬉しそうに胴元に伝えている。この作業は、週末の朝の日課。これでお仕舞い。つまり、夕方に連絡が無ければ、ハズレ。誰が、どのように抽選しているのか皆目判らない、この朝の仕事が済むと、それっきり忘れる。でも、たぶん、ツムさんはじりじりして毎回夕方の電話を待っていたのだろう。
何年も掛け金を払ってきたが、ついに取り戻した感じだ。吉報電話から待つこと30分、ヘルメット姿の兄さんが、1000バーツ紙幣を詰めた封筒を持ってきた。
ここからが大変である。“ツムさんが電話したのだからさー、君達で分ければ”と封筒を渡す。ツムさんは口を『への字』に曲げ、小鼻をふくらませて、とんでもないという顔で封筒を突っ返す。すったもんだしたが、掛け金を出しているこちらが半分、残りは女性陣で山分けとなった。次の朝に出勤すると、賞金で豪華な食事に行きたいと秘書が言う。全員の意見だそうだ。北京ダックを食べたいとのこと。早速、上等な中華料理店に全員で繰り出す。銘々、好きな品を注文する。勿論、お目当ての北京ダックも入れて。いよいよ、精算となるが、まだ相当余る。また来ようね、と女性陣は子供のようにはしゃいでいた。
今考えると、胴元は、所定の奉納金を納めると、何年かに一度、ご祝儀を各社に配るのではないだろうか。小さなお金で生活を楽しむバンコック市民の知恵かもしれない。
御祝い金で、早速“フットジョイ”の高級ゴルフシューズを買い、履きやすく満足していたのだが、日本のゴルフ場ではスパイクが使用禁止になってしまった。
廃棄するのも忍びなく、道路が凍った冬の朝、北京ダックをほおばっていた女性陣の顔を一人ずつ思い浮かべながら、ザック、ザック、と若かりし時代の感触を蘇らせて歩いている。