ちょっと今時間がないのでおことわりまで。
最近、どうやらわたしのことを文科系のアカデミシャン、あるいはその(永遠の)弟子とみなしたうえで、おせっかいで不必要な情報提供サーヴィスをしたり、意見・コメントをくわえる人たちが増加しています。
ハッキリさせておきますが、わたしは義務教育をやりなおすつもりはありません。なお、文科系の大学(院)に行くつもりもありません。(どちらかといえば理科系でやりたいことがあるのに、誤解されて戸惑うことも多い……。)
非常に裏表の激しい学校社会に行くことは、すでに十代の初頭で終えたのです。いつまでも乳離れできず、象徴的スパゲッティ症候群状態のように、大学や院のチューブを体に通すような状態にはなりたくないのです。
ここでやっていることは、現代の文人趣味だと思っています。文人というのは、風流な趣味を解しますが、決して学者ではありません。要するに、このブログは科学とか学問ではないということです。だからこそ価値があると考えています。
ですので、わたしのやっていることを学問、あるいはその「下請け」とみなすことは、脱学校文化の文化的な独立性を認めない政治的行為です。
このブログの文化的自律性を守るためにも、そういった文系アカデミズム植民地主義ともいうべき迷惑コメント・侵略的意見は、どんどん削除/保留してゆきます。あるいは、ブログ・エディターとしての編集権を利用して、必要なところのみ切り取って提示することもあるでしょう。
これからもどうぞ、科学でも学問でもない「フリーターが語る渡り奉公人事情」をよろしくお願いします。
<2006・10・11付記>
荒っぽい書き方だったので読者に誤解があるかもしれません。
科学や学問を無視したりいっさい信用しないわけではありません。
こちらのブログではこれまでも科学・技術についていくらか言及してきました。
これからも新しい知識・技術に希望を託すこともあるでしょう。
人文系の学問も、文人としての美意識の視点からとりあげたこともあります。
科学・技術・学問とつかず離れず程よい距離をとってこのブログを建ててきたし、これからもそうするでしょう。<2006・10・11付記>
最近、どうやらわたしのことを文科系のアカデミシャン、あるいはその(永遠の)弟子とみなしたうえで、おせっかいで不必要な情報提供サーヴィスをしたり、意見・コメントをくわえる人たちが増加しています。
ハッキリさせておきますが、わたしは義務教育をやりなおすつもりはありません。なお、文科系の大学(院)に行くつもりもありません。(どちらかといえば理科系でやりたいことがあるのに、誤解されて戸惑うことも多い……。)
非常に裏表の激しい学校社会に行くことは、すでに十代の初頭で終えたのです。いつまでも乳離れできず、象徴的スパゲッティ症候群状態のように、大学や院のチューブを体に通すような状態にはなりたくないのです。
ここでやっていることは、現代の文人趣味だと思っています。文人というのは、風流な趣味を解しますが、決して学者ではありません。要するに、このブログは科学とか学問ではないということです。だからこそ価値があると考えています。
ですので、わたしのやっていることを学問、あるいはその「下請け」とみなすことは、脱学校文化の文化的な独立性を認めない政治的行為です。
このブログの文化的自律性を守るためにも、そういった文系アカデミズム植民地主義ともいうべき迷惑コメント・侵略的意見は、どんどん削除/保留してゆきます。あるいは、ブログ・エディターとしての編集権を利用して、必要なところのみ切り取って提示することもあるでしょう。
これからもどうぞ、科学でも学問でもない「フリーターが語る渡り奉公人事情」をよろしくお願いします。
<2006・10・11付記>
荒っぽい書き方だったので読者に誤解があるかもしれません。
科学や学問を無視したりいっさい信用しないわけではありません。
こちらのブログではこれまでも科学・技術についていくらか言及してきました。
これからも新しい知識・技術に希望を託すこともあるでしょう。
人文系の学問も、文人としての美意識の視点からとりあげたこともあります。
科学・技術・学問とつかず離れず程よい距離をとってこのブログを建ててきたし、これからもそうするでしょう。<2006・10・11付記>
僕は、「学校文化」を否定はしませんが、その《偏狭さ》や《自己完結》については、アカデミズムはもっと自覚すべきだと想います。また、より重要なことですが、何が「学問」か「科学」かは決して自明のものではありません。そのなかで、ほとんど問題意識ももたず、「学問的手法」を駆使して意味のない論文を書いている院生や研究者がなんと多いことかと想います。そのようなものから自由になり、問題意識を大切にして自分の方法論でやっていこうとしているワタリさんを応援します。僕自身もワタリさんの発している文章をいつも興味深く読んでいます。
実は、僕も大学へはいっていません。高校を卒業した時点で、うつ病を発病しており行きたくても行けなかったのです。正直、何年もそのことで葛藤しました。しかし、今はそれで良かったと想っています。いま僕は、数学基礎論と科学哲学に関心がありますが、学校には頼らず、自分で自由に研究していきたいと想っています。それが、偏狭な精神から自由になる道だとも想っています。
お互い置かれている状況は違うかもしれませんが、本質的な意味で「脱学校化」を目指してやっていきましょう。
これからもよろしくお願いします。
■大学人クソくらえ! 科学至上主義反対! みんなでとなえましょう(笑)。
まとめレスで失礼します。
>皿澤剛さん
はじめまして。応援ありがとうございます。
論点にややズレがあるようです。わたしがこのエントリーを書いたのは、元期間工Aさんが人の苦労を無視したうえで、おかしなことを書いてきたからです。
なお、この元期間工Aさんは、リアル世界でもおかしなことを言っています。(この方とは互いに社会調査しあうという条件で、喫茶店など不特定多数の出入りする公共の場で話しました。なのでここに書いても問題はないでしょう。)
彼は関係の無い(ゆるい)雑談をたくさんしたがるタイプでした。わたしのほうも、うつで頭がボーっとしがちなときに面談したものだから、関係ない話や間違った結論の話などにツッコミを入れずに流したこともありました。
それにしてもヒドイじゃないかと思うこともありました。
以前自分の勤めていた会社を、ここに書きたくもない汚らしい2ちゃんねる用語で罵ったこと。
また、話が教育・医療のことに及んだ際、あるフリースクール主催者を中傷したこと。その人は、関東のほうで不登校の子どもたちが農場で働かされていたことを、『fonte』(元不登校新聞)の連載でとりあげ批判していました。
そのことを紹介したら、事実を確認するときにこんなことを言ったのです。
「なるほど、そのOさんという人が、労基法違反をしてまで子どもたちを農場で働かせていたと。」
人を見下した、まるで穢れたものでも扱うかのような視線と口調で元期間工Aは、そのフリースクール運営者を侮辱したのです。私の話もイチャモンをつけるためだけに聞いていたわけです。そのときにはキチンと説明しましたから。偏見ゆえにそんなことを口走ったのでしょう。
また、労働組合活動家のふだん使っている実務用語というか、口語を、退屈な教科書に出てくる学術用語でいいかえたり、統一するようにとわたしの記事にリクエストをしてくるのです。
組合活動家はふだんの口語としてVD労働と言います。かたや、公衆衛生のテキストや労働安全衛生に関する事典ではVDT作業と記してあります。その両方をわたしのブログの記事の中で紹介しました。すると彼は、VDT労働に統一したほうがいいと言うのです。労働組合活動家としてのイデオロギーとしては作業ではなく労働でなくてはいけない、けれど正式の言い方ではないVDは使わないほうがいいと言うのが彼の言い分でした。
どうですか、この画一主義は。正しい答えは常にひとつだけというばかばかしいセンスは。
彼のプライバシーを描いたり、事実誤認があったわけでもない、彼自身の意見でもないのだから、そんな訳の分からない学問帝国主義に加担する義理も義務もありません。
また、彼はわたしの特徴を観察した後、「好奇心が強いのは研究者としてのよい素質だ」「あなたは社会学をやっているのかな?」といったことを言うのです。
もしお金が手に入って受験準備ができるのなら、わたしは司法書士か行政書士の試験を受けようと思っています。大学院とかいう異様に金のかかるとことに行く気はありません。動物学や安全工学のコースには行ってみたいけれど、社会学のコースに入る気はありません。
そもそも、彼も労働組合活動家なのなら、大学教授が雑用が多いわりに給与が低い仕事だと言うことは知っているはずです。なのにそんなことを言っている。
そのほか、読みづらい長文を英語の翻訳調だからといって、分かりやすい日本語表現よりも高い価値をもつと主張したときには、頭が痛くなってきました。
そのうえで、客観的に見て学者ではないにせよフィールドワークをしている記事に、フィールドワークをしろと「啓蒙的」なコメントをする。
これは、キリスト教の宣教師がアメリカ先住民の村に来て、「あなたがたには信仰がないから教えてあげる」と言っているのと同じです。あるいは、日本人がフランス人をつかまえて「あなたがたの言語には数を数える名詞がない。だから日本語をやるといいかもしれません」とすすめるようなものです。
要は、失礼・差別的なんです。こうやって、大学を出た男が、中学を出た後独学している女にむかって「君はフィールドワークを知りませんね。だったら教えてあげましょう」などと言うのは。
おまけにフィールドワークすると愚痴が取れるなどと、問題の解決とデータ採取の区別のないことをカキコする。
これでは、うちのブログのコメント欄の質が下がってしまいます。フィールドワークにまつわる帝国主義的な視点について無頓着・不注意なのでは、これからわたしが取材する人に信用されなくなるというマイナスも予想されます。
それでこんなコメントを書かざるをえなかったのです。このブログがカルト扱いされるリスクを犯しても。正当性・正統性を強く疑われることになっても。
皿澤さんのブログもジャンルちがいながら大事な問題を扱っていると思います。皿澤さんのブログも読ませてもらいます。
>ハラナ・タカマサさん
ご理解と賛同をいただき、本当にありがとうございます。
こういう>ストーカーめいた教育者とか啓蒙者ってホント困ります。
↑の澤皿さんへのレスでも書いたとおり、ヘンなことを言ってこちらを傷つけ追い詰めますからね。
元期間工Aとは違う人物ですが、学問至上主義の人が面会を求めたことがあります。
関東からやってきたその元院生は、そのときは正規雇用でした。それでもフリーターというキーワードにこだわりがあるらしく、いっしょに話したいというのです。
新しく作る雑誌やMLについての説明を受けた後、ラフに雑談しました。そのとき、こういう奇妙なことを彼は大声で叫ぶのです。
「どうしてあなたは大学の先生しか知らないことを知っているんだ?!」
一瞬、意味が分かりませんでした。わたしは大学に勤めていないし、個々の大学のマル秘書類なんて見たこともありません。どうやら彼の頭の中では、専門書を読むこと、大学の近くの古本屋を利用すること、ハッキリと自分の意見を言うことなどが、「大学の先生だけが知っていること」らしいのです。
元期間工Aさんの場合は、こんなことも言っていました。「ワタリさんは勉強熱心ですね。院生に勝てると思う」
↑爆笑。
ブロガーの日記や時事批評と、院生の論文・レポート・学会発表などはまったくジャンルが違います。これでは柔道と剣道で試合をしたら、あなたは柔道の黒帯みたいだから剣道一段の人たちに勝てるよ、と言っているようなものです。
こういった「オタク」」と話すのは、骨の折れる作業です。
なにせセンスのいい人、コツを知っている人、学習熱心なタイプはみな大学の先生だったり院生だったりするのだから。
そのときは、自分も話を聞きだしたかったし、労働の話を聞きだすという本題と無関係だったので、ノイズと思って聞き流したり、適当にうなづいたりしました。相手の言い方や身振りがもっともらしかったことにつられた面もありましたね。
だけど、後でふりかえれば相当問題だった。そのうえブログでもいいかげんなことを言われてはかないません。それでこのエントリーをupしたのですよ。