![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/54/69607fedecdd27f0cef19eb688985772.jpg)
↑は昨日、長谷~生野で撮ったキハ41 2002の和田山行き普通列車。
ちょうど真名谷トンネルから飛び出して来るトコを狙ったんだがワタクシ、このトンネルの暗いトコから明るいトコの境目が昔から好きなんですよ(苦笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/40/4c16de9f67f64b6a6eda9de7f4ec1560.jpg)
で、↑はズームを引いての第2写…検査表記を見ればコチラさん、去年の10月に出場したとの事でずいぶん綺麗なオレンジ色でしたなあ♪
あと幌付きな顔がグッと来ますなあ(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f4/e85dc1225f330f76b07d1d053ef6079f.jpg)
そして↑は振り返ってのケツ撃ち…そう、ワタクシこの顔が見たくて今回の播但線訪問を画策した訳で(笑)
ご存じの通り、このキハ41はキハ47の妻面に運転台を増設して両運転台化した車両で平面な妻面にキハ40系と同じレイアウトで運転台や灯火類など置いたもんだから、↑の様な不思議な顔の出来上がり♪
いやいや、しかも首都圏色だと想像以上にパンチのある顔ですなあ(笑)
こりゃ今後もキハ41を追いかけて行こうと心に決めました♪
おまけ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7a/68cda992c03c8c6d0557af0b2fbb9eac.jpg)
↑は真名谷トンネルの脇に建っていた「弔魂碑」と刻まれた石碑。
石碑の周りに説明が書かれたモノが見当たらなかったんでワタクシ、トンネル建設の際に犠牲者が出たために建立されたのかなあ?と思っていたが帰宅後、Webで調べてみるとこの真名谷トンネルで起きた脱線事故の慰霊碑だった様ですな。
以下、Wikipediaより引用。
播但線真名谷トンネル列車脱線転覆事故
1959年(昭和34年)4月6日 午前4時45分ごろ播但線生野 - 長谷間の真名谷トンネル北側(生野駅より長谷方約4km)で、福知山発溝口行きの臨時回送上り8630列車(7両編成)が脱線転覆し、蒸気機関車 (C54 5) と前部3両が大破、福知山鉄道管理局豊岡機関区所属の機関士と機関助手の2人が即死した。機関車はトンネル内に頭を突っ込み横転、1両目は崖に乗り上げ、2両目は下腹を見せて転覆、その上に3両目が乗り上げたため、生野 - 寺前間が不通となった。
この時、機関車は逆向き運転をしており、炭水車側からトンネル側壁に衝突したため、運転台は炭水車に押しつぶされた状態になっており、乗務員の遺体収容は凄惨な状態だったという。原因としては、生野駅手前(新井駅側)にある生野トンネル (614.73m) が、播但線において難所とされている生野峠から続く25‰という上り勾配で、かつ、開口面積が狭いため、通過の際に乗務員がばい煙により意識を失い、登坂のために加減弁が引かれた状態のまま下り勾配を駆け下りたこととされている。
この事故の後、播但線の蒸気機関車乗務員に対し、非常用のガスマスクが支給され、翌年には生野峠越え用補機として、当時最新鋭のDF50形ディーゼル機関車が配備されることとなった。
現場の線路脇に、遺族らが建立した慰霊碑が残されている(兵庫県神崎郡神河町渕地区)。
う~む、この様な穏やかに見える場所でこんな大事故が起きていたなんてねえ。
しかし、生野峠は全国有数の難所と聞いていたが、やはり乗務員のご苦労は計り知れないモノであったのであろうなあ…合掌。
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