もちろん、撮影当時に「秘境駅」なるワードは存在せず。暴れ川が刻む深い谷とアルプス同属の造山運動によってできた急峻な山々に阻まれた山奥の駅、千代。そんな駅にも何処からか利用者がやってきて、駅は機能していた。電車が去った後に、待合小屋の壁に留るオオムラサキが印象的だった。1982年5月 千代
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千代から水窪、中部天竜へと、よくも鉄道を通したもんだと言うような場所です。
意外なことに、この一帯には不思議と集落が点在しています。
集落や民家を狙うために、何回かこの界隈に行ったことがあります。
鉄道狙いに集中したことはありませんが、驚きのアングルが残っているかもしれんせんね。
素敵な一枚ですね!
私の心残りの一つとして、旧国時代の飯田線に訪れていない事なんですよ。
ですので、この様なお写真を拝見すると嫉妬してしまうんですよ(笑)
あぁ~、この先も飯田線シリーズ拝見したいなぁ・・・
スカ色の隅に黒く埃が溜まった風情が泣かせます。
赤字だなんのと言いながらまだピカピカの車両を捨ててしまう昨今にあって、
ここまでくたびれても使われ続けたモノたちが鉄道のロマンを演出したのでしょうね。
そうなんですよね。かつての会社の同僚がこの辺りの出身で、
親族が亡くなって先輩が代表で葬儀に参列した時の現地での苦労話や、
今務める地元の会社に以前いた女性の実家も伊那谷で凄い山奥と言ってました。
その深い谷に電気鉄道を通した先人たちのパイオニア精神が凄いです。
また、前田真三さんの奥三河という写真集で一度その辺の民家を撮りに行きたいと思いつつ未だ遂行できず。
ぜひ一度伊那松島のED191号機詣でとともに、明智鉄道などとともに出かけてみたいです。
そうでしたか。
お年から察するにギリギリという感じでしょうか?
電関人もそんな場所が彼方此方あります。
この時は風太郎さんの代の(本当は自分と同じ年齢の代)
旧型電車大好き人間たちに唆されて本当は電機好きな電関人も
晴れて飯田線詣でが出来たという舞台裏です(笑)
その私鉄臭さが一番の魅力でしたね。
できれば、宇部小野田線で茶色い下駄電を見慣れてきたものとしては、
真茶色な電車の方がとも思ったものですが、意外なほどスカ色が似合ってました。
それだけに駅撮りでもスケールある写真が撮れ、旧国時代には何度となく足を運びました。
一面のみのプラットフォームから出ていくスカ色旧国、泣かせてくれます。
おおっ、2度に亘る手術大変でしたね。
兎に角ご静養ください。
この撮影は、須玉の先輩に車を出していただき出かけたんですが、
金野や千代など本当に車でのアプローチが凄く大変なところだったことが
思い出されます。だからこそ鉄道なのでしょうね。
それも結構なディープ地帯まで踏み込んでいたんですね。
お久しぶりです。
基本雑食ですよ(笑)
数回の飯田詣でのうち一度はあのA野君と行ってますよ!