アフリカ・ユーラシア見聞録

むかしむかしあるアフリカで・・・

小国の首都(マンジニ:スワジランド)

2005-06-30 17:52:09 | 1st 南部アフリカ
スワジランド


 


2005.06.29(水)-06.30(木)

モザンビーク

 モザンビークを朝早く出発、次の目的地はスワジランドだ。

モザンビークで乗ったミニバス、日本語表記あり!
 

国境の中間ぐらいの位置から見たモザンビークとスワジランドのイミグレ
 

スワジランド


 スワジランドは周囲を南アフリカとモザンビークに囲まれた内陸にある小国で、国王を国家元首とする君主国である。形式的には立憲君主制だが、実際には憲法で国王の強大な権力が保障されており、政府の要職の多くも王家が占めるなど、絶対君主制の様相を呈しているのはたとえ小さい国であろうがここがアフリカである良い証拠だろう。

 
 首都に関してはこれまで比較的大きな都市を見てきた私にとっては小さすぎるし、それに何か変わったものが有る訳でもない。

この街には不釣合いに大きいショッピングモール「スワジ・プラザ」
 

ショッピングモールからバスターミナルを眺めて
 

夕暮れ時、右は中国大使館、この街で唯一の見所はひょっとしたらこれかもしれない。
 

そして微妙な夜景
 


 街をみるとしたら「退屈」そんな二文字が頭に浮かぶ、スワジランドの首都ムババネ。

 面白いのは「名前」ぐらいであっただろうか・・・



タイムスリップ(マプト:モザンビーク)

2005-06-29 15:41:16 | 1st 南部アフリカ
モザンビーク


 


2005.06.27(月)-29(水)

 南アの首都プレトリアを夜行バスで出てモザンビークの首都マプトに到着。

国境
 


 到着して街に出ると早速嬉しい出会いがあった。自転車で世界を周る藤氏(リンク先「藤暁之の世界一周自転車の旅」を参照)との出会いだ。

 彼はチュニジアスタートでアルジェリア、モロッコと経て西アフリカ、中央アフリカを下りここに来ていて、エジプトをスタートに東側を下って来た私と丁度逆ルートになる。

 情報の少ない西、南アフリカを先に周っている男との出会いは有意義な物だ。

 早速マプト観光を彼と一緒にしつつ、お互いの情報を交換し合っていく。


 マプトは想像以上の都会だった。

 

 

 


 だが、プレトリアを見た後ではその老朽化した部分も目立つ。
 旧宗主国がポルトガルであり、かの国の統治能力の低さや、独立に対するケアの悪さから内戦が続き、国が疲弊しているのが見て取れる。

 街並は70年代といった趣だろうか?

 

鉄道駅
 

古い建物も多いが南アのような威厳を持った姿というよりもそのまま朽ちていく途上といった感じ。
 

 

 

 

旧要塞にマーケットエリア
 

デザイン教会(写真以上に実物はボロい)にモスク(こちらは新しい)
 

街中に放置されたスクラップ車、そしてちょっと市の中心を外れるとこんな感じ。
 


 またマプトは湾にある都市だ。我々はボートに乗って対岸に行きマプトの景色を眺めた。

 



対岸のビーチ、そして現役のバス
 


 この国ではATMは使えない。普通に両替商へ行って替えるだけだ。南部アフリカでATMが使えないのもここが初めてだった(ジンバブエは使えるが闇両替とレートの差があるので誰も使わない)


 マプト・・・


 比較的整っていた南部アフリカの諸国で久しぶりに昔を感じさせる。

 そんなタイムスリップしたような街だった・・・



第1の首都(プレトリア:南アフリカ共和国)

2005-06-26 14:52:31 | 1st 南部アフリカ
南アフリカ共和国





2005.06.23(木)-26(日)

 ジョバーグを出発してプレトリアに到着したは夜の8時頃。

 南アフリカは厄介な国で首都が複数あり、一つはここ「行政の首都:プレトリア」、そして「司法の首都:ブルームフォンテイン」、最後に「立法の首都:ケープタウン」の3つである。

 3権分立を地で行くような国だが「首都狙撃手」を持ってなるこのプロフェッショナルにとっては自動的に3つの首都に行かねばならないから面倒な事この上ない。
 
 さらにもう一つ付け加えるならこの国最大の都市は先程まで滞在していたヨハネスブルグでここは南ア最大の経済の中心地だが別に首都ではない。

 夜に到着したのでその日は休んで翌日から精力的に観光することになる。

 市中心部のチャーチ・スクエア
 

 

市の中心の通り


 街を歩き始めてすぐ気付くのは近代的なビルも多いがその中にオランダやイギリスの統治下を示す歴史的な建築物も数多く残されていることだ。

 ヨハネスブルクはダウンタウンの中心街を歩けなかったので都会的な部分しか見えなかったが、ここは歴史と近代の街並を調和させている。

市庁舎にトランスバール・ミュージアム
 

メルローズハウスと鉄道駅
 



 プレトリアの観光案内所には「ウオーキング・マップ」もあり、市の中心はそれをなぞっていけば大体の見所はカバーできる優れものだ。

 こんなサービスは他のアフリカでは考えられない。

 ただ、やはりそこは南アフリカの都市、治安は決して良くは無い。順位で言ったら1.ジョバーグ、2.ダーバン、3.このプレトリアと言った所だろうか?

市の中心から少し外れた場所にあるヒンズー教寺院とその周辺の景色
 


 市の中心から少し離れると、街の全景が見える場所が数箇所


フォールトレッカーミュージアムとそれまでの道
 

そしてそこからの景色


ユニオンビルディングとその付近からの景色
 



動物園とそこからの景色。動物園は景色もさることながらクオリティーも高い。

 

水族館も併設
 

 


 街好きの私にはたまらない。今までアフリカで見たものとは何もかも違う。ヨーロッパがここにあるといっても過言では無いだろう。


 そして何よりも満足出来た事はこれだ!





 そう、以前書いたと思うがアフリカにマクドナルドがある国はたった4ヶ国

 その内の一つが南アフリカ共和国。

 そしてここには

 じゃじゃーん!



 なんと私が3度の飯より大好きな「朝マック」があったのだ!!


 南アフリカ共和国。


 この国にこれて良かった。そう思える瞬間である・・・


(注:その後、残るモロッコでもマックを試したが、朝マックがおいてあったマクドナルドはアフリカ大陸ではこの南アフリカ共和国だけだった。その理由からも南アがアフリカで一番進んでいる国と言っても良いだろう)


世界一の危険都市(ヨハネスブルグ:南アフリカ共和国)

2005-06-23 22:35:44 | 1st 南部アフリカ
南アフリカ共和国





2005.06.21(火)-23(木)

 ボツワナの首都ハボロネを朝早く出発。

途中通過した国境。HIVのせいか?両国境に無料コンドームがあった。
 

 バスは1130時頃ヨハネスブルグ(通称ヨハネスと言われるが現地の人はジョバーグと呼ぶので以下ジョバーグとする)のパークステーションに到着。

 この街の中心街は治安の悪さで有名だ。大抵の都市は荷物を持ってなく、日中ならまずやられる事は無いがここは手ぶらで歩いていても襲われるというたちの悪さだ。

 アパルトヘイト廃絶後、近隣諸国からこの南部アフリカ一の大都市に職を求めて大量の黒人が流入し、結局職に就けずに強盗化する。

 まるで治安悪化の教科書のような街だ。

到着したパークステーションとそこからの景色
 

ここから荷物を持って100m外に歩いたら確実に殺られる。
 


 だが、当然逃げ道もある。パークステーションからバックパッカーズ(以下BP)にピックアップして貰えばいいのだ。
 治安の悪さからジョバークのバックパッカーズは大抵このサービスを行っている。

 私は電話をしておとなしく待ち、郊外にあるイーストゲート地区のBPに泊まる。

イーストゲート地区の労働者モニュメント



 治安こそ悪いものの、南アフリカ一の大都会だけあって都会好きの私には楽しい場所だ。
 この間ボツワナで見たショッピングモールにも衝撃を受けたがここではそれが当たり前の様に存在している。
 (注:この南アでの衝撃は「激闘の記録第7話 美味しんぼ...!!」にアップ済み)

 2日目にはアパルトヘイト廃絶のきっかけとなったソエト地区、そして昔の鉱山跡が見学できるゴールドリーフシティーを見学に行く。

 もちろん個人でまわるのは無理なのでBPにツアーを頼んだ。


ソエト地区
 

 ソエト地区の住人はその生活の悲惨さを訴えていたが、区画整理はされ、家の中もそれほどの惨状は感じない。これまで見てきたエチオピアやブルンジのローカルの方が余程凄いと感じてしまった。

 

マンデラ・ハウスとその付近。
 

アパルトヘイト博物館。入口が白人用と非白人用に分かれている。
 

 


 6月の南半球は冬だ。ジョバーグも予想よりも寒い、私は微熱ぎみだった。


ゴールド・リーフ・シティー。まあテーマパークと言っていいでしょう。
 

金鉱探検ツアー
 

 

最後は金の精錬を本物を使って見せてくれる
 

観覧車とその上から市の中心を眺めて。
 

 このゴールド・リーフ・シティーでは入口でよく分からずお得チケットを買ったらそれは乗り放題チケットだった。
 「購入したチケットは必ず元を取るまで利用する」という旅行者の鉄則に従ったお陰でジェットコースターや船で前後に揺れる奴など乗れる限り乗って頑張ったので風邪が余計に悪化したようだ。

 この日、ダウンタウンの中心のカールトンセンターへ行き、夜景を眺める。
 不安だったのでドライバーに『大丈夫?』と聞くと「You have me(俺がついている)」と心強い答えだった。いままででもっとも感動した英語の台詞だ。

カールトンセンター。この中は安全でも外に出たら保障はされない
 

 

 


 時間が少ないので翌日はもう出発の日だ。

 見残しが無いように南ア一のショッピングモールと言われるサントン・シティーへ向かう。

サントン・シティー。セキュリティーに頼んで屋上に上がらせて貰った。
 

 


 そしてまたカールトンセンターへ。



 昨日夜景を見て、その都会ぶりに圧倒されたのでもう一度、それも昼の景色を眺めたかったのだ。

 

 

 


 久しぶりの大都会。私はこの街に満足して次に向かう事にした・・・

パークステーションをバスの車内から


ダウンタウン地区、最後まで歩かず。
 




意外といけてる街(ハボロネ:ボツワナ)

2005-06-20 14:48:26 | 1st 南部アフリカ
ボツワナ





2005.06.20(月)


 ボツワナの首都ハボロネと聞くとどんなイメージを持つだろうか?

 それにこの国はHIV感染率も高いことで有名で、平均寿命は40歳に満たない、そして人口も少ない。そんな国の首都などボロッちいに決まっていると言うのが私の勝手な偏見だった。

 だが、そこは意外や意外、近代的なビルのある、それなりの都市だったのである。


ハボロネ市街
 

 



中心街
 

 

鉄道駅
 

 


 なんでもダイヤ等の天然資源で金が流れ込み、裕福になっているらしい。かつては南アの通貨である南アランドの方が価値が高かったが今ではボツワナプーラの方が強い通貨になっている。


 その証拠という訳では無いだろうが、市の中心から少し離れると郊外型のショッピングモールがちらほら立ち並んでいる。

写真は当時一番大きかったゲームシティー・ショッピングモール。200店舗近く入っている。
これまで旅行中アフリカで見てきた中で間違いなく最大。テンションも上がる。


中を見ていて楽しい。だが人はそんなにいなかった。この先大丈夫か?
 

他にも道を行くと・・・
 


夕方近くに街の全景を眺めようとして行ったクガレ・ヒル。時間が遅かったので丘へは登れず・・・

 





 ボツワナの首都ハボロネ・・・


 私はこう言おう


 『なかなかやるじゃない・・・』


 と・・・


そして南へ(ルサカ:ザンビア→ハボロネ:ボツワナ)

2005-06-19 14:19:45 | 1st 南部アフリカ
ザンビア ボツワナ


 



2005.06.18(土)-06.19(日)

ザンビア

 今日ルサカを出発して南へと向かう。
 次の目的地、ボツワナの首都ハボロネまでは直行バスで26時間、丸1日かかる計算だが出発は夜。
 何故朝出て朝着こうとしないのかは私にとって謎だ。

 ルサカ鉄道駅
 

 これは別の日に撮っていた写真。
 

 そして未だにビザをくれないアンゴラ大使館
 

外出禁止令のあるルサカで夜の出発は心細いがカイロストリートにあるネット屋で時間を潰してからバスターミナルへ。
バスは予定通りに出発。

夜のバスターミナル、出発は確か2200時くらいだったような・・・
 


 バスは朝カズングラのボーダーに到着。ここは川を隔ててザンビア、ジンバブエ、ナミビアそしてボツワナと4ヶ国接している珍しいボーダーだ。


カズングラボーダー。フェリーにバスを積んで渡る


船上から、朝日を眺めて
 

 


ボツワナ

そしてボツワナ側に到着。デューティーフリーショップ。開いてなかったが・・・
 


 ボツワナも日本人にはビザは免除だ。これも嬉しい。

 そしてバスはカラハリ砂漠の上を、素晴らしく舗装された道路で進んでいく。


 道中のドライブ・インで。誰か買うのかな?


 


 そして順調にハボロネのバスターミナルへ到着。



 時間こそ掛かったもののアフリカ南部の移動は波も無く、楽で快適だ。



あるエチオピア人の悲劇(ルサカ:ザンビア)

2005-06-17 21:10:04 | 1st 南部アフリカ
ザンビア





2005.06.14(火)-17(金)

 アンゴラビザの受取のためまたルサカへ、これでビザが受領できれば後は残っている南部アフリカの国々を片付けてアンゴラに向かえばいい。


 だが、ビザの受取はアンゴラ入国の2日前(ちなみにここからだと物理的に無理です)と言われた為に予定が変更となり、再度アンゴラビザを申請しなおして、受領より先に南部アフリカを周ることになる。

 (この辺りの経緯は「激闘の記録」の「第6話 アンゴラボーイ」を参照)


 ルサカも三度目になると打つ手が無い程やる事が無い。

郊外(といっても何とか歩ける範囲)のショッピングアーケード
 

政府系の建物
 


 この街にうんざりし始めていたのは何もビザ待ちだけのせいではない。

 この国は人種偏見も酷いのだ。エチオピアをメジャーとするとマイナーの域を出ないがバスターミナル付近で肉の焼き串を食べていたらそこらへんの現地人が絡んできて

 「チョッチョリー!」

 と意味不明(多分ジェットリー?かな?いずれにしても中国人に対する差別用語)な事を言ってくる。

 悪意が無いのかどうかは顔を見ると分かるが明らかに東洋人を見下して言ってくるのがこの国だ。


独立記念のモニュメント付
 

  


 そんな時、ばったりとある男に出会った。

 『トットーマス・・・!』

 彼はエチオピア人、私がバハルダールでガイドに雇った男だ。「同ブログの(湖の町(バハルダール:エチオピア))を参照」

 その後アディスで偶然の再会を果たしたもののまさかザンビアでまた会うなんて想像もつかなかった。

 私は彼にその後の経緯を聞いてみる。

1.バハルダールで官憲が彼の家を襲い、国に居られなくなり急遽高飛びしなければいけなくなった事
2.そしてケニアはきちんとしたビザを取っていたのにも拘らず出国時に「出国ビザ代」として恐喝され50ドル支払わされたこと。(他の国でも変な請求をされたといっていた)
3.その後ウガンダ、ルワンダ、ブルンジを経てタンガニーカ湖を手漕ぎボートでザンビアに渡ったこと。

 等など・・・

 『・・・』

 彼としては身の危険から生きる為に起こしたアクションだ。だが、同じようなルートをただ観光で通ってきた私には彼の話す内容、そしてアフリカ人のアフリカ人に対する容赦なさやえげつなさは衝撃的だった。

 これからどうするかと聞くとモザンビークに向かってそこから南アに密入国してヨハネスブルグで職を探すと言っている。

 『いやはや・・・、まるで映画の脱走劇だ・・・!』

 彼は余程困窮していたのだろう。私にこう言ってきた。

 「君が困るのは分かっている、でも出来れば金を貸してくれないか。君がザンビアにいる間に必ず返す・・・」

 彼が返せない事は分かっている。でも口だけでもそういってくれたのは嬉しい。

 私はポケットから50000クワチャ(約10ドル)出して彼に手渡してこう伝える。

 『いいよ、貸してあげるけど、俺も予定があるから君が返したい時にいるかどうかは分からない。だからもし会えなかったらそれはそれで忘れていいよ』

 と。

 そう伝える私に彼は「絶対返す」と言い。50000クワチャを受け取った。

 それにしてもこんな偶然があるものだと改めて思う・・・


教会
 

モスク





その国際バスターミナル



 その後トーマスとはもう一度出会う。彼は真っ先に「お金はもう少し待ってくれ」と言っていたが私は『もう出発するからいいよ』と答えた。

 私はこれから約1ヶ月でボツワナ、南ア、モザンビーク、ナミビア、スワジランド、レソトの6カ国を駆け足で見てこなくてはいけない。

 それもこれもアンゴラビザのせいだった。だが、そのお陰でトーマスに再会出来たと考えればこれはこれで良かったのだろう・・・



追記:その後トーマスとは会えなかったが数ヵ月後メールが来て無事にヨハネスへ到着してエチオピア人のコミュニティーに入れたと報告があった。
それ以降、今でも彼とメールのやりとりをしている。

ハイバー・インフレ(ハラレ:ジンバブエ)

2005-06-14 23:17:19 | 1st 南部アフリカ
ジンバブエ




 


2005.06.13(月)-06.14(火)

 グレート・ジンバブエからハラレへ。

ハラレの街並
 


 物価の安いこの国でタバコでも買い足して戻ろうとしてスーパーに行った時、急に1.5倍に値上げがされていた。
 タバコだけではない、食料等の全ての物が値上がっていたのだ!

 『これがインフレか・・・』

 噂には聞いていたが、実際に体験するとその衝撃は恐るべき強さをもって感じる。

 グレート・ジンバブエに行っていたのはたったの2泊3日、そしてこの間に物価がいきなり1.5倍。

 大体1週間~10日に一度こうしたインフレが起こっているらしい。

 となると例えば一年前に100万ジンバブエドルを持っていたとしたら今は・・・

 だめだ、計算するのも恐ろしい。

 ただ、今は紙屑と同じになっていることだけは間違いないだろう。


 私はザンビアに戻ることにした。

バスターミナルとバス
 

国境



 ジンバブエ。

 この国民に未来はあるのだろうか?

 そう考えるとちょっとやりきれない気持ちにもなる、そんな滞在だった。


グレート?ジンバブエ(マシンゴ:ジンバブエ)

2005-06-12 22:44:47 | 1st 南部アフリカ
ジンバブエ





2005.06.10(金)-06.12(日)


 ハラレを出てマシンゴへ。

 次の目的地は世界遺産でもあるグレート・ジンバブエ、その基点となる町がマシンゴなのだ。


 道中の景色
 


 グレート・ジンバブエ、ここにこようと思ったのは単純な理由からだ。

 世界遺産であること。

 それではない。

 「自らにグレート」と冠している事。

 こちらがその理由だ。

 私の知る限り、グレートと冠しているものは「グレート・義太夫、グレート・ムタ、グレート・サスケそしてこのグレート・ジンバブエ」しか知らない。

 世界4大グレートの一角、これは見なければいけないだろう。

 到着した翌日、早速グレート・ジンバブエへと向かう。

 幸運な事に遺跡の中のコテージに泊まれるということだ、これでグレート・ジンバブエを心ゆくまで楽しむ事が出来るというものだ。

宿泊したコテージ、確か5ドルくらいだったような?トイレ・シャワーは共同ながら部屋は綺麗
 

 

 
 さっそく遺跡を歩き回る。そういえば史跡らしき所にくるのはタンザニアのザンジバル以来だ。

グレート・ジンバブエ
 

 

 

 

 




 ここは大体1250年ごろ、今から850年前に形づくられた物らしい。

 そういえば・・・

 私が最初に見たピラミッドやアブシンベル神殿といったものは2000-4000年近く昔の物だ。

 なのに850年前でこれだけって・・・


遺跡の上から眺めた景色。日本人ツアー客も来ていた




遺跡の上で沈む夕日をながめて
 

日没直後。
  


 遺跡の中に1日泊まれたのは確かに良かった。

 だが、遺跡そのものとしてはどうだろうか?

 私はこう疑問符をつけざるを得ない


 「グレート?ジンバブエ」

 と・・・



 この日の夜、近くで食事が出来る所が高級ホテルしかなく、そこでステーキを食べたが靴と見間違う程固くてまずかった。これ以下のステーキには他のどこでも未だに出会っていない・・・



ミリオネヤー(ハラレ:ジンバブエ)

2005-06-09 21:58:33 | 1st 南部アフリカ
ジンバブエ


 


2005.06.03(金)-06.09(木)

 ルサカを出発してハラレへやってきた。

国境、ザンビア側
 

橋を渡ってジンバブエ側へ、ビザは国境で簡単に手に入る。
 


 アンゴラビザの発給待ちをジンバブエにしようと思ったには訳がある。

 ハラレは大都会だし日本人宿もある、それに何といってもブラックマーケットの存在が物価の安さを保証してくれていたからだ。

 この国には公定レート、銀行レート、闇レートの3種類のレートがある。
 公定レートで買い物をすれば「超物価高」のこの国だがこれはこの国の通貨の実力を全く示していないので大抵の者は闇レートで両替するのだ。
 ちなみに公定レート×5-10倍=銀行レート、銀行レート×2倍=闇レートぐらいだっただったような気がする。
 なにせパスポートの増補(ページを増やすこと)が200円かからずに出来たからだ。


ハラレの街並。都会
 

右は市内のショッピングモール
 

コピーの丘からの景色。一人で行くと襲われることもある。
 




 ちなみにジンバブエの通貨単位はジンバブエ・ドル。

 私が訪れた時は1ドル20000ジンバブエ・ドルくらい。

 ということは50ドル両替すれば100万ジンバブエドル。

 つまり100万ドル手にしたミリオネヤーになれたのだ!

教会。


鉄道駅
 


 但し出費も半端ない。ホテル代で10万ドル、ピザを一枚頼めば7万ドル。
 こんな感じであっというまに減っていく。

 ドルに換算すれば、他の国に比べて圧倒的に安くなるのでまあいいのだが・・・

 ジンバブエの札にも印刷されている「エプワース・バランシング・ロック」不思議な見物
 

ヒーローズ・アークとそこからの眺め
 

 




 物価も安く、日本人宿で日本人とわいわいも出来た。

 そして何といっても両替するたびにミリオネヤーになれた。

 ハラレは楽しい街だ。

 まだ時間はある。

 私はこの国をもう少し楽しむためにグレート・ジンバブエへ行くことにした・・・

舞い戻ったルサカ(ルサカ:ザンビア)

2005-06-02 18:18:12 | 1st 南部アフリカ
ザンビア




2005.05.30(月)-06.02(木)

 マスターKとの出会いによりまたルサカへ、アンゴラビザを申請する。

 (この辺りの経緯は「激闘の記録」の「第6話 アンゴラボーイ」を参照)


 2度目のルサカだがこのビザ申請以外にはやる事は無い。


駅付近の景色。


線路
 

市内タクシーランクに併設のマーケット
 

 




 ビザの受取は大体2週間後になる。

 私はこの間の時間を潰すべくジンバブエへ向かう事にした。