アフリカ・ユーラシア見聞録

むかしむかしあるアフリカで・・・

激闘の記録第5話予告編

2005-05-17 23:15:04 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア


 激闘の記録に第5話「ハイエナの住む町角」をアップ

ルートマップ






あらすじ:
 
 首都ダルエスサラームを出発しマラウィへと向かうデューク東城に、しかし鉄道からバスに乗り換える経由地、地方の町ムベヤでは狡猾なハイエナが口を開けて獲物が罠にかかるのを待ち構えていた...


   無事にタンザニアを抜けてマラウィへ到着する事は出来るのか?

        どうする!ゴルコサーティーワン!!



 既に公開している記事に写真を大幅に付け足しています。

 よろしく~。

4島攻略戦完了(ダルエスサラーム:タンザニア)

2005-05-15 16:05:29 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア


 


2005.05.11(水)-15(日)

 コモロを出発してダルエスへ向かう。

 4島最後のフライトだ。

 それにしてもルートはぐちゃぐちゃだ。コモロ2回、モーリシャス3回の入国。


グダグダの4島フライト図


 出費は相当なものだったし(航空券、滞在費等で多分25万くらいかかっただろうか?)、コモロに合計7泊等という大失態も犯しているしマダガスカルではハイライトのバオバブを全く見ていない。

 それでも「行って良かったか?」と聞かれると答えは『良かった』だ。見たいもの全て見れる訳でもないし、それに最小限だったとしても見ないよりは見た方がはるかにましだ。

 フライトの中でそんな事をついつい考えてしまっていた・・・

 たが、あまり引き摺ってはいられない。

 私のダルエス発は16日、今度は有名なタザラ(日本ではタンザン鉄道というが現地ではこちらの呼び方をする)に乗ってマラウィ方向へ向かうのだ。


 フライトは順調にダルエスに到着。私は空港を出て大通りまで歩いてダラダラ(市内乗合ミニバスの名称)を拾う。

 私が泊まっているのはYWCA、女性専用が基本だがダルエスでは男も泊まれ、さらにミニバスのメインの発着場の一つがここにあるので空港や鉄道駅に行くのに何かと便利なのだ。

 ダルエスに到着してから時間は少しあったので日本人経営の旅行代理店に行ってお礼と苦情(荷物を預かってもらっていたのと、ルートでのミスを確認したり)を言ったり、4島で溜まった地図等のお土産を日本に送ったりザンビアのビザを取ったりしながら時間を潰していた。

 そして15日、これでダルエスも見納めだ。

 それなりに長い滞在だったし、結局キリマンジャロもサファリも見なかったが特に感慨は湧かない。


 次の国からいよいよ南部アフリカ、アフリカ縦断完了までもう半分は超えていた・・・

最悪のコモロ再び(モロニ:コモロ)

2005-05-10 15:34:25 | 1st 北・東アフリカ
コモロ


 




2005.05.10(火)

 モーリシャスを出発してまたコモロへ。

 『こんなところに戻りたく無い』

 というのが本音だが、チケットの関係でここで一泊してからではないとタンザニアには戻れない。

 空港に到着。対応する係官は前回と一緒で私を覚えていてくれていた。

 コモロフラン(前回訪れた時にまた来るからと経費分を取っていた)ビザ代を彼に渡してしばらく待っていると、彼から「今回はトランジット扱いに出来るからビザは要らないよ」と。

 朗報だ。

『こんなコモロでもいい事があるもんだ』

 と、彼からの返金を見ると何故か“ユーロ”だ。


 『へっ・・・?』


 私はついさっきコモロフランで払っている、返金するならそれをそのまま返すだけの事だろう。それにもう一つ、レートを考えると今貰っているユーロでは明らかに少ない金額になる。


 『ちょっと待ってくれ、俺はユーロじゃなくてさっき払ったコモロフランで欲しいんだけど・・・』

 「あのコモロフランは他の人に渡してしまったんだ、だからユーロで受け取ってくれ・・・」

 『・・・!』

 あぁ・・・

 やっぱりここはコモロだった・・・

 ビザ代がかからないのは知らなかったから確かに嬉しい。

 だが、それとこれは別だろう。

 『ちょっと待て、俺はここで一泊するからコモロフランが必要だ。それにレートの計算でいくと今貰ったユーロじゃ明らかに不足している。人が払った金を渡したのはそっちだからそっちの責任だろう。何とかしてくれ!』

 私は最初は冷静に、だが向こうは無いの一点張り。

 『ここはコモロじゃなかったのか?何故空港で、大した金額でもないのに用意できないんだっ!』
 
 私は声を荒げてしまっていた。


 すると他からコモロエアーに勤めているのコモロ人が現れて、私に不足分のコモロフランを渡してこう一言。

 「この金で納得しろ!俺たちコモロ人はそんな金のことでごちゃごちゃ言わないんだっ!」


 『・・・』


 『・・・・・・』


 まっ待て・・・

 これじゃあ俺が悪者だ・・・

 俺は単純に貰っている金が少なくて損をしているから正規なお金にしてくれと言っているだけで何故そんな言われ方をしなければならん・・・それにどう考えてもイミグレ側のミスだぞ・・・


 それに・・・


 それ以上に君から金を貰った所でまだほんの少し足りないんだ・・・


 私は彼に文句を言おうとしたら彼はもうスタスタと離れていっていた。



 『・・・ハァ・・・』

 江戸の仇を長崎で討つではないがイミグレの仇をコモロエアーで討ったと思って諦めるしかないだろう(内容は全く違います)。


 それにしても入国から嫌な気にさせやがる・・・


コモロ国際空港の入口。これで国際空港といっていいのかどうかは疑問。



 私はミニバスで前回泊まったペンションへ。前回割引してもらった料金に交渉して泊まる。

 モーリシャスと同じ料金ながらこちらは停電・断水付だ。こんなオプションはありがたくない。

 最後の夜は最悪になりそうだ。



 いずれにしても明日ここを飛び立てばこの「4島攻略戦」は完了する。



 終わり良ければ全て良し。



 諺通りにいかないのが旅行の常だ。



 今回の攻略戦。間違いなく

 
 『始め悪くて終わりダメ』



 と言わざるを得ないだろう・・・



グダグダの4島フライト図


そしてモーリシャス(ポート・ルイ:モーリシャス)

2005-05-09 15:05:03 | 1st 北・東アフリカ
モーリシャス


 


2005.05.05(木)-05.09(金)


 セイシェルを抜けてモーリシャスへ。
 実に3回目の入国だ。

 最初にイミグレで嫌な目にあったことがありいいイメージではなかったが、首都のポート・ルイは想像以上に近代的で、そして都会で私は一気に気に入ってしまった。

ただのビルがいきなり近代的。車も綺麗で新しい。
 

 虹が見える
 

 




ウオーターフロント、ショッピングモールもありかなり本格的。
 

市内のマーケット


市の中心にある公園
 

近代的な建物
 

高台からみたポート・ルイの全景
 



 
 ここではマクドナルドを発見する。アフリカでマックがある国はたったの4カ国(エジプト、モロッコ、南アフリカ共和国、そしてここモーリシャス)だ。私は半年振りのマックをここで楽しむ事が出来た。

 それに嬉しいのは値段とクオリティーだ。アフリカ本土に比べれば確かに激高だが、先程までいたセイシェルに比べれば同クオリティーでありながら激安。そしてコモロと比べればハイ・クオリティーで同料金。
 泊まっているホテルの値段は20ドルちょっととコモロと大体同じ値段にも拘らず、ここでは停電、断水等は考えられなかったし、食費に関してもコモロ以下だろう。

 それに気になっていた日本行のチケットのキャンセルも無事に果たす。

 またモーリシャスのバスは発達していて首都のバス停も2つあり、お互いにそれなりの規模を持つ。
 私はまた公共機関で島を一周する事にした。

海が綺麗。
 

道中の景色。のどか~。


それぞれ他の場所で見た海。


 

南端の町マエプール。右の像はよくわからん。
 


 ここでの人種はインド系が多い。ヒンドゥー関連の施設もよく目にしていた。


 ここで私はこの小さな島国でもう首都以外の別の都市に宿泊する事にした。

 キュールピップというその街はモーリシャス第2の都市であり、ここには火口跡のトゥル・オ・セという見物があるからだ。

キュールピップの街並、ここも近代的で綺麗だった。
 

 




丘の上にあるトゥル・オ・セ
 

キュールピップは国土のほぼ中央。
 

ポート・ルイまで見渡せる。夜景をうまく撮れなかったのが残念。



 セイシェルを高いお金を持っている人しか相手にしないリゾート国家としたら、ここはある程度のお金を持っていれば十分に楽しめるツーリスト国家という事が出来るだろう。

 モーリシャス、ここはこういわせてもらおう。

 『中々やるじゃないか!』

 と・・・


味の素の看板(キュールピップにて)
 


価格破壊の国(ビクトリア:セイシェル)

2005-05-04 17:09:12 | 1st 北・東アフリカ
セイシェル


 


2005.05.02(月)-04(水)

 次の目的地はセイシェルだ。
 
 ここで少し説明するが、私の持っていたチケットはマダガスカル→モーリシャス。それにモーリシャス⇔セイシェル往復チケットを買い足した形に成る。これも不思議な物で同じ日程なのにはじめモーリシャスの空港で買った値段よりもマダガスカル市内の旅行代理店で買った方が100ドル以下も安くなっていた。(私はマダガスカルでモーリシャスで買ったチケットはキャンセル料無しでキャンセルできるからと言われたので一度キャンセルしてまた買い直した。航空券というのが良く分からん・・・)

 一連のチケットでは無いので一度モーリシャスで降りてまたセイシェル行に乗らなければならない。

 前回嫌な思いをしたモーリシャスのイミグレは私をあっさりとスルー、少し頭にきてついつい『前回は日本までのチケットを確認させられた挙句にここで買わされたのにどうしてなんだ』と毒づいてしまった。

 そして飛行機に乗りさらにセイシェルへ。到着したのは夕方過ぎ。

 『ふぅ~』

 私は足取りも軽くイミグレへ。だが、ここにも罠が仕掛けられていたのだ!

 「あれっ?ここでのホテルの予約は?」

 私はロンプラで一番安いホテルに目をつけ、マダガスカルからわざわざ国際電話をしていた。ただ、電話が上手く通じずに、まあいいかとほっておいたのだ。

 『あっ、カードに書いてますよ』

 「うーん・・・」

 次に発っせられたのは衝撃的な一言だった。

 「このホテル・・・もう今は営業してないよ・・・」


 『がっ・・・がっびーん!』


 心境を音で表すとこんな感じだろうか?私の知るそのホテルは一番安いといっても35ドルと書いてあった。

 その上は・・・知らない・・・


 「君はここを予約したの?」

 私はマダガスカルから電話はしてみて上手く通じなかったけど、応答はされたと答える。

 私の様子を見て怪しく思ったのだろうか?彼らは所持金検査を要求してきた。

 『うーん・・・』

 このケースは仕方ないだろう。私はマネーベルトを開き、カード、キャッシュを彼らに見せる。

 彼らも「貧乏そうなのは外見だけだ」と納得したのだろう。

 「じゃあ、そこの観光案内所でホテルを予約してきて。国全部の宿泊施設が予約できるから大丈夫だよ」

 と私に勧告する。従うしかない。ただ・・・幾らだ??

 観光案内所に聞くと首都で最安の値段は・・・

 「60ドル!」

 島全体でも最安で45ドルだそうだ。(ちなみにこの時は完全に信じきれていなかったが、実際に最安と書いてあったホテルに行ったら本当に営業していなかったので多分正しいだろう)

 『ふぅぅぅぅぅ~・・・』

 
 私は諦めて首都で一番安いという宿に決める。でも・・・60ドルなんて・・・これまでの最高額だ!


 セイシェル・・・

 『リゾート国家とはこんなに恐ろしい所なのか』

 と、のっけからその価格にびっくりさせられた入国となった。


 このほか食費等の高さ(簡単に10ドル越える)にも確かに悩まされたが、それ以外はいい国だった。

 この国はアフリカ系が大半を占めるが裕福な国なのでインフラから何から整っている。

 島全体を巡るバスには時刻表が存在し、しかもその時刻表通りに運行されている等大陸のアフリカでは有り得ない高水準ぶりだ。


首都ビクトリアの街並にマーケット(中国風)
 

中心の時計塔
 

  

教会、モスク等
 

 

少し離れた丘から見たビクトリアの全景。


ビクトリアの港
 

 



そして道路のラウンドアバウトのモニュメント。
 




 滞在予定は短いがビクトリアは小さな街だ。時間も十分にあるので公共バスで島内を一周することにした。

ビクトリアのバス・ターミナル
 

訪れた島内。天気が・・・
 

土砂降り・・・
 

 

でもすぐ晴れる。変わりやすい・・・
 

途中に訪れたビーチ。
 



 島の一周は実に簡単だ。

 さらに調子にのって島中央の山(というより丘か)にあるミッションに行きそこからビクトリアまでのプチトレックなどもやってみる

ミッション付近
 

 

ミッションからの景色
 



 セイシェル・・・

 食事にせよ宿にせよ物価の高さに見合うクオリティーは確かにあった。

 だが、やはりこれまでのアフリカ諸国と比較してしまうと、この国は『価格破壊の国であった』と言わざるを得ないだろう・・・


タナでの日々(アンタナナリボ:マダガスカル)

2005-05-01 16:02:35 | 1st 北・東アフリカ
マダガスカル



 


2005.04.27(水)-05.01(日)

 モーリシャスの空港でまんじりともしない夜を過ごし、そして航空機でマダガスカルに到着。
 
 島面積が世界第4位のこの島国は第7の大陸という異名を持ち実にその国土の広さは日本の1.6倍とも言われている。
 ここで有名なのは「バオバブ街道」だ。大抵の旅行者はこれを見にこの島を訪れるだろう。

 だが、私の滞在予定はたったの5日だ。北にあるこの街道まで行く時間は無い。

 それに私は4島全部の首都を見たいだけだったので、この国は首都だけで十分と考えていたのだ。

 マダガスカル上空からの景色、赤土が川になり、海に流れ出して境目をつくっている景色はなんとも奇妙な感じがして良かった。
 


 首都のアンタナナリボ(以下タナと略称)は都会だった。
 コモロ、そして空港で壊れた私の心を癒してくれる。


 アンタナナリボの街並
 

 

 タナは丘の多い街だが市の中心には湖もある。起伏に富んだ地形と穏やかな街並は歩いていて楽しい。

 

湖の景色
 

 


丘の上にある女王宮
 

付近からの全景。




 




 人種も今までのアフリカ系ではなくアジア系の住民が殆どだ。そんな所からもアフリカにありながらアフリカを忘れさせてもらえる。




マーケットでの食事。100-200円ぐらいだったような???
 

鉄道駅。中はプチ展示場になっていて楽しい。
 

鉄道には結局乗らなかった。
 

金属マーケット、この他にも色々なマーケットエリアが市内に点在している。
 

 ここでまいったことはフランからアリアリーに通貨が変わっている途中でしかもその差が5倍(1アリアリー=5フラン)、両方の単位をつかっているので混乱する事この上ないことだろうか。

 だが、それを差し引いてもここは過ごしやすい街だった。


 私は十分に満足をして、この国を後にする事にした・・・


湖に夕日が沈む時間帯。夕焼けが綺麗。後ろのビルはヒルトンホテル。
 

出発する時にのったタクシー。レトロでよい。
 



ダブル・トリップ(コモロ→モーリシャス)

2005-04-26 11:53:36 | 1st 北・東アフリカ
モーリシャス

(コモロ→モーリシャス→マダガスカル)



2005.04.26(火)


 6日間という苦難の日々を経てようやくの出発だ。
 後日また戻って一泊しなければいけない(ルートの都合でタンザニアに戻る前にもう一度寄らなければならない)のは癪だが当面はこの国とお別れできると思えば気分も晴れやかだ。

 次の目的地はマダガスカル。だが、コモロからの直行便が無いためにモーリシャスに寄ってからマダガスカルに行く形となる為に今日はモーリシャスで1泊する予定だ。

 フライトチケットを見ると3島しか行かない(セイシェルはこれから買う予定)割には綺麗なルートを描けないというのは何ともやりきれない気分になる。

 空港に着き、フライトを待つ間に以前あったマダガスカル人夫妻に会う。彼らはマダガスカルに戻るらしい。
 私が彼らに『マダガスカルに行くのは大変だね、モーリシャスで1泊しなければいけないからね』と言うと不思議そうな顔をされる。なんでだろうか?

 フライトは無事に出発。

コモロ上空
 

 


 あれだけ憎いと思っていたコモロも上から見下ろすと何かいい気分になる。
 それもこれから明らかにコモロよりはいいと思える国にいけるという心理的余裕が生まれたからこそだろう。


 そして順調に空港に到着。
 



 『・・・』



 『・・・・・・』



 『何これ?ここマダガスカルじゃん・・・!!』



 私は軽いパニック状態だ。タンザニアでチケットを買った時、コモロからマダガスカルに行く便が無いからこそタンザニア→コモロ→モーリシャス→マダガスカル→モーリシャス→コモロ→タンザニアというルートにした筈だった。


 『どうしてマダガスカルに寄るんだ?』


 私のそんな疑問もお構いなしに乗客は普通に降りて、また新しく乗ってくる。


 私の次の目的地はこのマダガスカルだ。一瞬『ここで降りたい!』とも思ったが荷物も飛行機に預けているしそもそも私の今のチケットはコモロ→モーリシャスだ。

 『くっくそぅ・・・、騙された・・・!』

 タンザニアでチケットを買った時、私は日本人経営の旅行代理店以外はあたっていない。
 彼らの応対や実績を見てここなら間違いないと考えて余所も確認するという事を怠っていたのだ。
 彼らを信用してチケットを買った結果、まさかこんな目に遭う事になるなんて・・・
(後日タンザニアに戻って聞いてみたらタンザニアではコモロ→マダガスカルというチケットは買えないと言われた。これはタンザニア国内に入っている航空会社がどう提携しているかとかに関わるらしいが、この時も今も本当に買えなかったのかという疑問は残る。ただその旅行代理店のメインはツアーであり、個人旅行者へのフライトチケットというのはあくまでも業務の一つであるし、そもそも私のようなルートでチケットを買う人間もいないので彼らにしても全て予測出来る訳はなかったのだろう)


 しばらく空港でトランジットしてから出発。
 
 空に青空は広がるが私の心は一気に曇り空だ。

 さらに悪い事にたまたま隣に座ったパキスタン人が「神について」話しかけてくる。こちらは無神論者だというと「じゃあ人は誰によって創られたんだ!」などどんどん熱くなってくる。
 今の私にとってそんなことは本当にどうでもいい。マダガスカルに行くのにマダガスカルにトランジットしてモーリシャスに1泊してマダガスカルという得体の知れないルートになったことに対する落ち込みと、彼のうっとうしさから仕舞には『神がどうこうとか知るか!何かあってもそれは神が定めた事とかぬかして人間としての責任を転化して逃げているだけだろう。それに大勢の人を殺しあっているのイスラムやキリストといった宗教信者達じゃないのか?神がいるなら戦争など起きないだろう。』と喧嘩腰になる。
 結局モーリシャスに到着するまでずっと彼とはこんな調子で口論し続けてしまった。

 ただでさえ、意気消沈している上にこんな事をさせられるなんてと余計に気がめいるフライトだった。


 だが、まあいい、これでようやくモーリシャス。タンザニアの旅行代理店に聞いたところこの国が4島の中で一番やりやすい場所らしい。まずビザは必要ないし(4島ではセイシェルもビザ不要)、観光立国ということもありまたインフラも進んでいるという。俗にいうリゾート国だ。少しは落ち着けるだろう。

 それにこれまでに遭った事はもう終わった事だ。
 ここでの1泊、せめていいホテルでも見つけて次の滞在につなげることにしよう。
 



 と、私は気持ちを切り替えてイミグレへ歩みを進めた。




 が・・・




 2つ目の罠がそこに牙を広げ私を待ち受けていたのだ・・・!


 モーリシャスの国際空港。近代的で綺麗!
 



 イミグレへ向かい、カウンターでパスポートを見せる。

 「日本人?」

 『はい。』

 「ここへは観光?」

 『はい。』

 「じゃあチケットを見せて」

 島国ではフライトチケットを見せてその国のイン・アウトを示さなければいけない場合が多い。不法入国者を防ぐ目的だ。

 『はい。』

 私は一連のフライトチケットを提示する。問題は無い。

 「あれっ?タンザニアで終わりになっているけど・・・」

 『ええ。タンザニアに戻りますけどそれが何か?』

 「日本までのフライトチケットを見せてもらいたいんだけど」

 『えっ?今アフリカを縦断している所で日本にはしばらく帰らないからチケットは無いですよ』

 「タンザニアに在住しているの?」

 『いえ、旅行者です。居住は日本です。』

 「・・・・、日本へ戻るチケットがないと入国させられないんだけど・・・」

 『ハッ・・・ハァ????』

 どういうことだ、私はこの国の出入国するチケットを持っている。それなのに何故だ??

 『すいません、何が問題なんですか?』

 「規則でね。それぞれの国籍の国か居住国までのチケットを持っている人しか入国させられないんだよ・・・」


 『・・・』



 『・・・・・・』



 『そうか!それならば仕方が無い・・・・』



 『・・・・・・訳あるかぁ!』

 
 私はもう一度自分のチケットを見せてこれからの予定とルートを説明する。が、彼は理解はしてくれたものの後は「規則」の一点張り、埒が明かない。

 ちょっと時間がかかりそうになったので私は列から外され待合所に戻る。

 何度も書くが今日はここで1泊、到着したのは夕方で明日は朝出発。たったこれだけの事をしたいだけなのに何故最初で躓かせる。

 イミグレの列がはける間、私はタバコを吸うより他にやる事がなくなっていた・・・(待合所は禁煙だったが、どうしても吸わせろと言ってトイレの一角で吸う許可を貰った、不良高校生の定番みたいな吸い方だ)。

 待合所から人もはけ、残ったのは私一人、先程のイミグレの係官が私のところに向かってくる。

 質問も答えも先程と一緒だ。私も彼も主張は変わらないから平行線のままだった。

 そして彼はこう提案してくる。

 「規則は規則だから、日本までのチケットを買ってくれ、カードはあるだろう?」


 『・・・』


 ある。


カードはある。

 ただやはりこの国の出国チケットを持っているのにここでそれを聞かれる事には納得が行かない。
 最後タンザニアに戻った時、彼らに「お前日本行きのチケットが無いならタンザニアには入国させないぞ」と言われるならまだしもだ。


 だが・・・

 今回もし意地を張り続けていた所でこの先またここにも戻って来る。
 
 そして何よりも『私はモーリシャスを観光したい』のだ。


 押し問答を続けていてもしょうがない。この際だからまずコストを確認しようと考えを軟化させ、私は一度彼と一緒に空港にあるエア・モーリシャスのオフィスに行く事にした。


 そこで値段を聞いてみると・・・


 「日本まで・・・」

 

 「27万円・・・!」



 『!!!!!!!!!』



 終った・・・何もかも・・・



 私は彼を見る。


 『済まん、チケットは買えない。』


 『みてみろ、この値段を、俺はさっきアフリカを縦断している最中にインド洋の島国を周る為にここに寄っているだけと説明しただろう。俺はこのチケットを買った所で100%使わない。なんだってそんなものにこんな金額を払わされるんだ?お前が俺だったら買うとでもいうのかい?馬鹿にするのもいい加減にしてくれ、そもそもこの国に入って出るだけなら俺はもうチケットを持っている。俺が問題になるとしたらタンザニアでなら分かるがなんで規則規則と杓子定規にしか言えないんだ!』

 係官の心象を悪くする事は私にとって不利にしかならないことは分かっていた。だが、この時は感情が上だった。

 彼も困っているようだ。どうする事も出来ないと思ったのだろう。また待合所へ戻る。

 もう日は暮れている。これから宿を取らなければいけないのに街へ出る気力も失せかけていた。


 『おい、お前では話にならん、責任者を呼んで来い!』

 
 私は彼にこう告げる。彼は係官の一人として規則に忠実であろうとしているだけだ。そしてそこから外れる気もないというのは今までの態度ではっきりとしていた。


 しばらく待つと「チーフ」と呼ばれる人間がやってくる。

 私は彼に一から事情を説明する。話は例によって平行線。ポイントは規則だ。私だけ特例にする訳にはいかないらしい。(後で考えればごもっともだが)

 そしてしばらく時間が経ってから彼は私にこう提案してきた。

 「すまない、規則は規則だからチケットは買ってくれ。ただ問題になるのは入国する時だけだからチケットを買って出国までにキャンセルすればいいから・・・」


 『・・・』



 『・・・・・・』



 『何?それ・・・???』



 どんな規則なんだ?出入国両方ならまだしも入国だけ居住国へのリターン・チケットを持っていなければいけないなんて・・・


 『世の中は・・・もとい、モーリシャスのイミグレは不条理に満ち溢れている・・・』


 それに係官のチーフであるアンタがそんな提案をしていいのか?


 意味が全く分からん。




 だが、もうこれ以上は無理だろう。


 私はここで妥協する事にした。チーフが出国時は日本へのリターン・チケットを持ってなくていいというならそれでいいのだろう。


 そして何よりも私はやっぱりモーリシャスに入国したかったのだ・・・。


 もう一度チケットカウンターへ行く。今度はキャンセルの方法や手数料も合わせて問い合わせる。
 キャンセル料は50-100ドルくらいでモーリシャスの首都ポート・ルイにあるメインオフィスで出来るそうだ。


 これならば必要経費として自分でも納得出来るだろう。

 次に訪れたとき、ポート・ルイで余分な仕事が一つ増えるというのは仕方が無いと諦めるしかないのだろう・・・



 私はチケットをカードで購入し入国。時刻は既に夜。


 明日の出発を考えると自動的に空港泊決定だった。


 しかし。タンザニアでチケットを買った時、一番安牌だと思ったいたのがこのモーリシャスだったのにしょっぱなからこんな罠が張り巡らされていたなんて・・・

 夜、たった一人っきりになったモーリシャスの空港でまんじりともせずに眠れないままの一夜を過ごしながら私はこう考えていた。


 『モーリシャス、一番好きになりそうな国だったのに・・・』


 『これで・・・これでいきなりコモロ以下決定だ!』



 と・・・


注:買った高額チケットはその後無事にキャンセル、カードで買っていたのでキャンセル料が分かるまで時間がかかってやきもきしたが最終的には50ドルくらいだったのでそれほど被害を受けなかったのでほっとした


 写真は一晩明かしたモーリシャスの空港
 


後悔先に立たず・・・(モロニ:コモロ)

2005-04-25 19:21:20 | 1st 北・東アフリカ
コモロ





2005.04.21(木)-25(月)

 出足の最悪さから状況は一向に回復することなくコモロでの日々は続く。

 ここで6泊という計画をたてた自分を呪いたくなる瞬間だ。

モロニ市内の景色。


木舟が折り重なるように停泊されているのはちょっと面白い。
 

夕焼けは綺麗。
 

そして夕方くらいになると月がくっきりと見える日も・・・
 

高台から見たモロニの全景


モロニ市内の海沿いの景色



 このクソ暑い国で連日連夜の停電断水は本当に堪えるし、それに市内が狭すぎてやる事もない。さらに物価も高いので飯も贅沢できない。

 観光案内所に行って地図でもと思っても観光案内所など存在しない。何とか観光局を聞いて行ってら「この国に地図は無いよ」とあっさり。あのジブチでさえ無料配布の観光地図があったのにそれすらも無い。


 唯一の朗報といったらパスポートが予定とおりに帰ってきた事くらいだ。

 この時イミグレの係官が「コモロは世界一安全な国だから大丈夫だ」と言っていたが、ある日市内を歩いていたら精神異常者にからまれてアフリカで最初の取っ組み合い(彼はあきらかにおかしかったがこちらがやりすぎても問題だと思ったので痛めつけないように数度投げ飛ばして時間を稼ぎ、その間にきた現地人に追い払ってもらった)をするザマになったのもこの「世界一安全な国」だった。

 なんともやるせない気分になってくる。

(注:ただ世界一安全というのはあながち嘘ではない、物価が高く給与が少ないこの国では海外に逃亡する事がまず無理なので犯罪が起きないという一面もあるからだ)


 市内に居てもやる事が無さ過ぎたので金はかかるが島を一周しようと思い立ち、バス乗り場に行ってタクシー・ブルース(コモロでの乗合ミニバスの呼称)を探す事にする。

 ホテルから「カルテックス」に行けば良いと言われて探していたらそこはカルテックスという名のチェーン店のガソリン・スタンドの前だった。

ミツオリからムベニの道中。島内の景色はこんな感じ。
 

ムベニ。空の綺麗さだけがこの国の救いか?
 


 狭い島なので一日で見て周れると思っていたがタクシーブルースの便数も少なく、終便も早いので2日間かかってしまう。

2日目に訪れたフォンボウリ
 

 




 コモロで滞在したこの6日間・・・


 はっきりいってただの苦行でしかなかった・・・


 情報が無く、旅行者が訪れない事には理由があったのだ!


 それを考えずに安易にここに6泊と決め『蒸し暑い、高い、何も無い』という悲惨な日々を送り続けた自分を振り返り



 『後悔先に立たず・・・』

 と、いう諺の意味を本心から分かったと思えた、そんなコモロ滞在だった・・・



モロニ港の夕景



最悪のスタート(モロニ:コモロ)

2005-04-20 18:47:41 | 1st 北・東アフリカ
コモロ


 


2005.04.20(水)

 ダルエスを出てコモロへ。ここでは6泊の予定だ。

 情報の無いこの国に6泊もしようと思ったのはダルエスにはもう十分いたから飽きていた事やユーゾウ氏がいなくなったダルエスにしばらく残ってから出発というのもなんか心寂しいと感じたからだ。

 それにチケットを買ったダルエスの日本人経営の旅行社でここからコモロに行く日本人は数年振りだと言われていたことも有り、それならば思いっきり未知の国コモロを堪能しようと思った事もある。

 出発は1100時、約1時間程度のフライトでコモロに到着。実にあっけない。

到着したコモロの空港


 だが、そんなあっけなさとは裏腹に、ここでは思いもがけない苦戦を強いられる。

 イミグレで入国ビザ(タンザニアにはコモロ大使館が無く空港取得と言われていた)を取得しようとしたら、ここでは手続きが出来ないからモロニ市内のイミグレで手続きをする事になりパスポートは2日間の預りとなる。入国とスタンプもビザも貰えずにパスポートを手放すとは何とも心細くなる物だ。
 そしてその為に確実な宿泊場所が必要と言われたのだが、私が予定していた唯一名前を知っていた情報ノートのホテルに宿泊すると言ったらそれは潰れたと答えられた為に揉める事になり、パスポートを届けるから居場所をはっきりとしてくれという彼の勧告に従ってホテルをここで決めなければいけなくなる。ホテルは彼のお勧めというか指定のホテルだ。一応モロニでは安いホテルと言っているがどこまで信用していいのかも分からないし街についてからブラブラとホテルを探す計画もご破算だ。

 さらに街に出る前に現地通貨を手に入れようとドルキャッシュを両替しようとしたら空港には銀行も無く、おまけに路上両替すら居ない。
 ここから首都のモロニまでは約25Km南に行かなければならないのに金を作れないのならここに来る外国人にどうしろと言うのだ。

 とはいっても街に出なければならないので安い公共交通機関を探そうとするとそれも無いと言われる。

 どうしようもなくなって、そこにいた客引きのガイドと街でまず両替商に寄ってから指定のホテルに向かうからとタクシーハイヤーの料金を交渉する羽目になる。

 さんざん揉めて20ドルと言われた料金を10ドル(現地通貨で3500コモロ・フラン)に値下げしていざ行こうとすると私とそのガイドの他に現地人が2人、私がハイヤーしたタクシーに乗ってくる。

 すこしは安くなるのか?という私の思いは何の役も立たず、私のタクシーに便乗した2人はそれぞれの場所で料金を払わずに降りていく。タダ乗りされた形だ。

 タクシーは市のマーケットの少し先に店を構える雑貨屋による。単なる路上両替をお店で私的にやっているだけだがこれでようやくコモロ・フラン(以下フラン)を手に入れる。

 そこからほんの少し戻りイミグレが勧めていたペンションに到着。料金を払おうとすると、約束の3500フランから4000フランに値段が上がっている。聞けば両替に寄ったからだそうだが、2人もタダ乗りさせてさらに予め3500と言っていたのでまた揉める事になる。

 最終的に、そのペンションのおばさんに適正料金かどうかを確認し、空港から一人ハイヤーなら7500ぐらいが適当な値段と言われたので、タダ乗りの事で腹は立っていたが、4000フラン払ってお引取りを願う。

 まだ時間があるので街に出て行くと、即座に『ここで6泊は間違いだった』と思い知らされる。

 中心部なら1時間程度であっという間に見てしまえたのだ!
 この小さな町でこれから6泊もいるのにもう市内の観光は終わりだ。

ショボイという言葉が良く似合うモロニ市内
 

モスクに教会
 

海沿いの景色と大統領府。
 
 



 この間に情報も調べると実は市内から空港を通るミニバスがあった事も判明。ガイドはバスは無いと言っていたのに騙されていた格好だ。

 それに安い屋台を探してもとうもろこし屋しか見つからず、レストランはやたらと高い(たいしたことのないサンドイッチで200,300円くらいしていたし普通に安食堂で食べても500-700円ぐらいは平気で飛んでいく。タンザニアでは200ぐらいで一食食べていたのに)。

 気温は恐ろしく蒸し暑い。
 
 以前訪れた「暑い、高い、何も無い」と評判の国ジブチよりもこちらの方が悲惨に感じてくる。

 さらに悪い事は重なる物で、せめてペンションでのんびりしようとしたら、昼夜問わず断水と停電の繰り返し。値切ったとはいえ今まで払ったホテル代で最高値をつける25ドルを出しているのにこんな目に遭うなんて・・・
 

 4島攻略戦。

 ここでの出足は最悪だった・・・

4島攻略戦、準備段階(ザンジバル島:タンザニア)

2005-04-19 13:20:41 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア





2005.04.16(土)-20(水)

 ザンジバルからダルエスに戻ってきて先ずやる事はインド洋上にある4カ国への渡航計画の完成だった。
 


4島の相関図




 幸いにしてダルエスには日本人経営の旅行代理店があり、そこですでにコモロ、マダガスカル、モーリシャスの3島を周遊するチケットなら900ドル程度で購入できると確認していたので、ダルエスに戻って再度細かく日程等を突き詰めようと訪れると、今度はセイシェル込みで1600ドルー1700ドル程度ならチケットが出せるという新情報も入ってくる。

 1カ国増やすだけでこの差が出るのは大き過ぎるのでしばらく考えることにして他日にまた行き、セイシェルへのチケットはモーリシャス、若しくはマダガスカルで別に購入する事にしてここでは3島を巡るチケットだけ抑える事にする。

 料金を再度確認すると900ドルちょっとと最初言われていた金額がいきなり1250ドルへ上がってびっくり。

 聞けばこの旅行社で直接発券してはいないので、タンザニア人の航空券を扱う会社に問い合わせているそうなのだが、そこで扱っているコンピューターが同じ日付でも示す値段が変わってしまっていたらしい。

 ザンジバルに行く前には「値段が変わる事はないでしょう」と言われていたのだが、ここはやっぱりアフリカだった。
 コンピューターで決まった日程と料金を調べる事でさえ常に変動相場制になっている。

 オンラインで調べるタイミングによって値段が変わるならともう1日様子を見てみたが結果は変わらず。

 ケニアから行く事を諦めて、そしてこの先に訪れる国から飛んだら高くなるだけと分かっている今、ここで買うしかもう選択肢は無い。初めに聞いた値段から350ドルも上がってしまった事は無念だが、私は諦めてここでチケットを購入することにした。(ちなみにチケットのルートはタンザニア→コモロ→モーリシャス→マダガスカル→モーリシャス→コモロ→タンザニアの順。モーリシャスに2度行くのはマダガスカルにコモロから行く便が無いと言われたせいで、セイシェルについてはモーリシャスからの往復を予定していたので2回目のモーリシャスの滞在を長めに見積もっている)

チケットを買う時の札束の山。ちなみに1ドル1000タンザニアシリングぐらいなので120枚くらいあった。



 19日、ユーゾウ氏がエジプトに向けて出発する。

 彼とはナイロビで会って以来随分の付き合いだった。
 うまもあい、一緒に過ごした時間も長かったので別れる時に一抹の寂寥感を感じるものの、旅には出会いと別れはつきものだ。

 我々は笑顔でいつになるか分からない次の再会を約束して別れることとなった。


 だが、これで落ち込んでいる場合でもない。

 私の出発も明日。

インド洋上の4島攻略戦という旅の新しい局面を迎えるのだ。

ダルエスの夜景
 

郊外から見たダルエスの全景。


 
 そして20日、ダラダラで空港へ向かう。

ダルエスの国際空港。
 



 最初の目的地はコモロ、予定はトータルで約3週間。

 いよいよ4島攻略戦の始まりだ・・・


シャア専用観光地(ザンジバル島:タンザニア)

2005-04-16 12:17:13 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア





2005.04.11(月)-16(土)

 ザンジバル島、ここはかつての奴隷貿易・象牙貿易の拠点であり、ヨーロッパやアラブの石造建築遺跡の残るストーンタウンは世界遺産に登録され、また良質なビーチの存在や、ダルエスからフェリーで簡単にインド洋を越えれることからも人気があり、タンザニア屈指の観光地となっている。

 だが、日本人にとってはそれ以上に有名なアニメ、ガンダムのシャア専用の巡洋戦艦の名としてのイメージが強いことだろう。

 私も他聞に漏れず、ザンジバルとその名を聞いたときからこの事を思い出し、是非とも訪れたいと思っていたのだ。


 今回はユーゾウ氏と2人、人とペアを組んで周るのはソマリランド以来だからテンションも上がる。

 11日1200時、ダルエスを出航。

乗ったフェリーと船着場付近。船着場はどう考えてもショボイ。
 

湾から外洋を眺めて
 

船上からのダルエス市街


途中ですれ違ったフェリー
 

そしてザンジバル島、右は港
 


 ザンジバル島のストーンタウンにある港には1800着。

 たった6時間の船旅だったが、アフリカでインド洋をクルーズしたということで気分は上々だ!

 だが、その気分に水を差すかのようにしつこい客引きが付きまとってくる。
 英語で怒鳴ってもダメ、最後の方は日本語で怒鳴りつけてもダメでずっとついてくる。
 我々を宿につれていけば彼にマージンが入るのは分かるが、それは我々の値引きのチャンスを潰す事でもある。

 私は「警察に訴えるぞ!」とまで言ったのだが「俺は警官が友達だから是非訴えてくれ」等とのたまう始末。

 最後の方には諦めて、数件周ってホテルを決めたときにそのホテルのオーナーに「後ろの男が何か言ってくるかも知れないが、彼は俺たちとはなんの関係も無い、付きまとわれて迷惑しているんだ」と予防線を張るのが精一杯であった。(この後色々な国を周ったが、彼以上にしつこく付き纏ってきた客引きはいなかった。私の中ではマイ・ベスト[ワースト?]・客引きである)

 この日、屋上からの眺めが良いとガイドに載っていたこのホテルは実は屋上が無く。

 初め良くても終わりダメというなんともしまらないザンジバルでのスタートとなった。


明けて12日、主目的であるストーンタウンの観光を後回しにして西にあるパジェという村に向かう。
一人ではまずやる事は無いが今回はユーゾウ氏もいるのでビーチでリゾートをするのもいいと考えたからだ。

パジェ行のトラックバス。パジェでの到着場所、コンクリに茅葺の屋根というのがいい。
 

泊まったロッジ、ビーチは目の前。
 

 

左右見渡しても誰も居ない。ビーチ二人占め、贅沢な気分。
 

やしの木に登る人。実に南国情緒に溢れている。
 


 パジェでは久しぶりに、というかアフリカで初めて泳ぐことも出来たので十分満足だった。


 翌13日にこのパジェからストーンタウンへ戻る。ビーチリゾートも悪くは無いが街好きの私にはこちらがメインだ。

オールドアラブ砦。
 

市内の建築物
 

 

教会。このすぐそばにはモスクもある。
 

アフリカン・アート。左の看板がちょっと面白い。
 

ストーンタウンでは扉が有名。写真はこの一枚しか撮らず。



アラブ砦付近で夕方から屋台が立ち並ぶ、海産物が有名だが私はここでもやっぱりお肉・・・
 


 ストーンタウンには15日まで滞在。

 ダルエスに戻るフェリーが夜行便だったのでこの日も1日楽しめるかと思ったら大雨。

雨のストーンタウン、車のタイヤが半分水に埋まっている。
 

 この日はチェックアウトしたロビーで濡れた体を温めるだけとなってしまったのはちょっと計算外だったが、それ以外はまあ良い滞在だったと言えよう。

 夜、フェリーに乗り16日の朝、ダルエスに到着。

うっすらと明かりの灯る朝のダルエスは何ともいえない趣がある。



 合計5泊6日(船中泊含む)のリゾート・トリップ、ユーゾウ氏の存在もあり楽しく過ごせた事は間違いない。

 ここで不満が残るとすれば「シャア専用の巡洋戦艦ザンジバル」の関連を示すものを何一つ発見出来なかった事ぐらいであろうか・・・

タンザニア1の大都市(ダル・エス・サラーム:タンザニア)

2005-04-10 21:57:39 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア





2005.04.08(金)-10(日)


 タンザニア沿岸部の都市、ダル・エス・サラーム(以下ダルエスと省略)に到着。
 タンザニア一の大都市だけあって、これまで通り抜けてきた内陸部の各都市とは明らかに違った景観を醸し出している。

 ここでの再会を約束していたユーゾウ氏は到着した7日はキルワ(タンザニアにある遺跡で世界遺産)を訪れていたために会えなかったが、8日の晩に戻ってきたので無事に再会を果たす事が出来た。

 この次は2人でザンジバル島を訪れる予定だが、ユーゾウ氏はバイクをエジプトへ送る準備があり、私は私でここからインド洋上にある島国を訪れるチケットを探したかったので、ちょっと時間を設けてお互いある程度この先の行動が見えるまでにここにいる事にして、その間にダル・エス・サラームを観光する事にした。

市の中心にあるアスカリ・モニュメント


教会
 

そしてモスク


ちなみにタンザニアはイスラムの影響も多く受けていて、ダル・エス・サラームという街の名はアラビア語の「平和な港」に由来する。

市の中心にある鉄道駅。有名なタンザン(タザラ)鉄道の駅は郊外の別の場所からになる。
 



市内
 

 

 

こんな近代的なビルもある。
 

国立博物館。


歴代統治者を乗せたロールスロイス。そして中庭にあった巨木、幹がやたらと太かった。
 

ダラダラ(タンザニアの市内乗合ミニバスの呼称)で少し郊外に出るとちょっとお洒落なショッピング・アーケードが海に面してある。
 



 ユーゾウ氏も私も次の行動の目処はついたので、明日は一緒にザンジバルへ向かう事にした。

 この3日間、ダルエスの全域を見るには十分な時間ではなかったが、戻って来るので見残した部分は後日観光すればいいだろう。

 それにしてもダルエスは久しぶりの都会だった。また帰ってくるのも楽しみだ・・・


タンザニア横断完了!(ダル・エス・サラーム:タンザニア)

2005-04-07 17:23:27 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア





2005.04.07(木)

 今日でドドマは出発だ。

 私が今回使うバスはスカンジナビア・バスだ。タンザニアで北欧のネーミングをつけているというのも違和感があるが、アリーによるとこのバス会社はタンザニア一のハイ・クオリティーを誇り運行を始めてから一度も事故を起こしていない事で有名で、そしてそれ以上にタンザニアのバス会社でありながら正規料金がきっかりと決まっていて絶対にボッて来ない事で名を馳せていた。

 このボッていないというだけで「信用の高い会社になる」というのはこの国の救い難い側面ではあるが旅行者としてそこまでしっかりしているのなら嬉しい限りだ。

ドドマのスカンジナビア・バス専用ターミナルとその付近の風景。
 

アリーは昨日ムベヤに向けてすでに出発している。スワヒリ語が話せる彼には随分とお世話になった。

バスは1115時に出発。定刻きっかりだ。流石はスカンジナビア・バスと思わせる瞬間だ。


道中の景色
 

途中で休憩で寄った村
 

道はずっと舗装路!タボラ-ドドマ間が未舗装のガタガタ道だったのでこれも嬉しい。



 全ては快適に思えたこの移動・・・


 しかしここはタンザニアだった。予期せぬ罠が仕掛けられていたのだ!

 バスが沿岸部のダルエスに近づき、気温がどんどんと上昇する。

 見かけは近代的なこのバス。エアコンを入れれば何の問題も無く最後まで行ける筈だったのだが、そのエアコンが故障して機能しなかったのだ!

 近代的なバスなので窓は開かないタイプの物だ。中はさながらサウナ状態へと変貌する。

 『まさか、このスカンジナビア・バスでこんな目に遭うなんて・・・』

 予期してなかった分衝撃も大きい。

 体から吹き出る汗をどうすることも出来ず、危うく「蒸しプロフェッショナル」になりかけた頃、バスはダルエス市内のターミナルへ到着。

 『助かった~・・・!』

 心の底から安心した瞬間だ。

到着したバスターミナル


 死にそうになった私をたまたまバスで隣に座っていた親切な男が「迎えに車が来るから君のホテルまで送るよ」と言ってくれて、私がお願いしたホリデイ・ホテル(バックパッカーに有名な安宿の一つ)を有名なホリデイ・イン・ホテル(海外にチェーンを持つ大ホテル)と間違えて一度そちらに向かうというハプニング(そういえば現地の人でも安宿などそう知っているわけではなく、ホリデイとキーワードが入って外国人と考えるとそちらの方が自然だったが)はあったものの何とか無事に目的地へ到着。


 これでタンザニア縦断を終え、ようやく一息つけることとなった。


 このタンザニア横断。

 一番きつかったのはタンザニア1のハイ・クオリティーを誇るこのスカンジナビア・バスでの蒸し風呂地獄であった事は実に皮肉な結果であろう・・・


えっ!ここが首都?(ドドマ:タンザニア)

2005-04-06 16:41:02 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア





2005.04.05(火)-06(水)

 昨晩というか今朝は全く寝れないままにバス停へ向かって出発。

 次の目的地はタンザニアの首都ドドマ、首都旅行者を標榜する私にとってはタンザニアハイライトと言ってもいい街だ。

タボラのバス停で。他は道中の景色
 

 


 朝0630時に出発して到着したのは1730時、日中を全て移動に使ってしまっている。夜行便が無いことが悔やまれる。



 ここで首都がドドマである事には説明が必要だろう。

 タンザニアで一番の大都市はダルエスサラームだ。人口250万人を擁し、各国大使館や政府機関が並ぶのもこちらだ。このタンザニアで最も有名な都市でありこちらが首都であると信じるものも多い。

 だが、ダルエスサラームは沿岸部にあり、国土の広いタンザニアの統治に地理的に不適当という理由から首都は国土のほぼ中心にあるこのドドマに移されたのだ。

 私もブルンジへ着くまでにこの事実を知らず、夜ベッドでなにげなくタンザニアのガイドを読んでいたら「首都はドドマ」の記述があってびっくりしたぐらいだった。

 ただ、法制上の首都こそこちらに移ったものの、その後の政府機能の移転は全く進まず、今ここにある政府の建物はタンザニア革命党(CCM)の本部だけだ。

 これではどう見ても首都の雰囲気は無く、地方都市の域を出ないだろう。

 分かりやすくいうと人口4400万を擁するこの国の首都としては考えられないくらいにショボいのだ!


 ここで多くの言葉は必要ないだろう。

 タンザニアの首都ドドマ、そのショボさ加減は豊富な写真を持って語る事にしよう。


鉄道駅
 

 

鉄道駅前の通りに鉄道駅に隣接するホテル
 

駅から伸びる大通り
 


宿泊した教会系のホテル。中は以外に綺麗で落ち着いていたが水不足だった。右は敷地内の教会
 


教会前の大通り
 

 

市の中心部。
 

 

マーケット
 

マーケットエリア
 

タバコ公社(日本で言うJT?)、ヒンドゥー寺院
 

中心から少し外れた所の景色


モニュメント
 



そしてここまで引っ張る必要は全くなかったタンザニア革命党の本部ビル




 『・・・』


 『・・・・・・』




 私は持っている写真の全てを出し切った。その結果がこれだ・・・



 タンザニアの首都ドドマ・・・



 本物の首都になる日は遠い・・・




オートロックという名の罠(タボラ:タンザニア)

2005-04-04 13:18:29 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア





2005.04.04(月)

 キゴマを出発して列車は順調にタボラへと向かう。

 アフリカで最初に乗った寝台列車は思った以上に快適だ。1等を取ったので2人部屋、アリーと一緒なのでセキュリティーの心配も軽減されているから尚更だ。

狭くて上手く撮影できなかったが車内の様子。
 

鉄道を車中から・・・
 

途中通過したローカル駅
 

途中ですれ違った鉄道。


 私は道中の景色を十分に楽しんだ。

 列車は1200時頃、タボラに到着。

到着したタボラ駅。車内からと正面から
 

 ここで再度次の目的地であるドドマまでの鉄道チケットを購入しようとトライしてみるが叶わず、代理店に行ってバスのチケットを購入する。アリーによるとタンザニアのバスは曲者でボッてくるのが常識だから現地人でも知ってなければ正規料金で購入出来ないそうだ。なんとも嫌な国だ。
 私は全くわからなかったがアリーがなんとなくこのくらいなら大丈夫だろうというチケットを探して購入してくれた。彼がいることは実に心強い。

 出発は明朝だ。ホテルをとって町を散策する。

タボラ市内
 

 


 ここは本当に何も無い町だ。キゴマはまだ湖があったので良かったがこれでは時間の潰しようもない。

 私はここでは何もやらずにゆっくりと過ごす予定だった。


 が・・・


 事件は夜起こった。


 夜起きてタバコでもと中庭に出て戻ろうとするとそこの出入口が内側から自動的にロックされていたのだ!

 『おっ!オートロック・・・!』

 まさかこんな地方の、それもどローカルなこのホテルでこんな罠が仕掛けられていようとは想像もつかなかった。

 私はこの状況を打破しようとそこから離れた部屋で寝ているアリー声をかけてみたが距離が遠いせいか反応が無い。

 私は完全にこの中庭に閉じ込められてしまったのだ!

 さらに酷い事にそのまま中庭で休んでいようとすると急に雨が降ってくる!

 幸いにも中庭に繋がっているレストランやトイレはあいていたのでそこに避難し、やる事も無くうろうろしている内に4時間が過ぎた。

 しかし、部屋でのんびりと寝ているはずがなんで中庭で雨に打たれてうろつかなければならないんだろうか?

 考えれば考えるほど情けない瞬間だ。
  

 受付が何故か中庭にいる私に気付き、解放された頃には既に朝の0430時となっていた。

 今日は0500時起きの予定だ。この時間に部屋に帰ってももう寝る事は出来ない。



 このオートロックという名の予期せぬブービー・トラップ。


 くつろぐだけだった筈ののんびりとしたこの町で、その罠は私の睡眠全てを奪い去ったのだ・・・