アフリカ・ユーラシア見聞録

むかしむかしあるアフリカで・・・

ビック・フォールズ(ビクトリア・フォールズ:ザンビア)

2005-05-29 22:45:22 | 1st 南部アフリカ
ザンビア





2005.05.27(金)-05.29(日)


 ルサカを出発してリビングストンへ。

途中で見かけたオーバーランドの車。アフリカ南部はこうして人を集めてキャンピングカーで周るのも流行。欧米人が多い。
 

リビングストン
 

 ここは世界三大瀑布の一つ、ビクトリア・フォールズ(以下ビック・フォールズ)の基点として有名な街である。

 ちなみに順位は第2位、イグアスの滝、ビック・フォールズ、そしてナイアガラの滝の順だ。


 一泊してさっそくビック・フォールズを見に行く。

 この規模の滝を見るのは初めてだ。

近づくだけでテンションが上がる。
 

水量が多いのでカッパが必要。カメラのレンズも濡れるので注意。
 



 

 うーむ・・・流石だ・・・

猿も多い。
 

 角度を変えて色々と眺めて見る。

 

滝壺に落ちる直前
 

落ちる前はこんなに穏やかに見えるのに・・・
 

 トイレも何気にお洒落!左男性、右女性。
 

少し離れた所からも眺めている・・・
 

下から見上げて・・・
 


 ビック・フォールズはザンビアだけでなく、国境を接してジンバブエとまたがっている。
 ジンバブエ・サイドでも見ようかと思ったが、ここは国境をプチ越えするだけで止める事にした。
 同行していたマッハ加藤はここからジンバブエへ、ここでお別れした。

国境の看板、ザンビア
 

ジンバブエ
 

そして橋の上から眺めたビック・フォールズ



 世界第2位のビック・フォールズ・・・

 このプロフェッショナルをもってしても「凄い!」と言わざるを得ないだろう・・・

最後に虹のパノラマで・・・




一反木綿の街(ルサカ:ザンビア)

2005-05-26 18:04:49 | 1st 南部アフリカ
ザンビア

 


2005.05.21(土)-05.26(木)

21(土)

マラウィ

 大型バスはマラウィの首都リロングウェを出発。

途中通過した町。


国境
 


ザンビア

いよいよザンビアに突入だ。

国境ザンビア側
 




道は舗装路、なんの問題も無くバスは進む。東部と違って南部の道路は実に安心できる。

舗装路


道中の景色
 

 

ルサカへは夕方前には到着。順調だ。

私はバックパッカーズに宿をきめ、翌日から街を観光する事にした。

22(日)-26(土)

 ルサカの街の設計は出鱈目だ。
 線路脇のカイロ通りのみ、高層ビルが建ち、後は低層の建物が並ぶだけ。

 横から見たらそれなりに「おおっ!」とくるが縦から見たらまるで一反木綿だ。

微妙に都会なカイロストリート沿い。
  

 

 

ついでにラウンドアバウトのモニュメント。
 


 一本、二本道路をづらすとあらこの通り・・・

 

 


 この街のメインを見ると考えると1日もいらない、予想以上に長い滞在になったのはここで以前タンザニアで出会っていた旅行者のマッハ加藤氏と待ち合わせをしていた事と、アンゴラビザの取得の可能性を探る為だった。
 (この辺りの経緯は「激闘の記録」の「第6話 アンゴラボーイ」を参照)

 
 私はここでのアンゴラビザの取得を諦めて一度世界三大瀑布の一つであるビクトリア・フォールズをマッハ加藤氏と見に行く事にした・・・


これは久しぶりにみた立体歩道橋。




南部アフリカ突入(リロングウェ:マラウィ)

2005-05-20 22:52:58 | 1st 南部アフリカ
マラウィ






2005.05.17(火)-05.20(金)


 ようやくあの最悪だったタンザニアを抜けてマラウィへ。

 今日はカロンガまで行けばいいと思っていたところに首都リロングウェまでの直行バスが出ている。
 毎日の出発でなかったのでこれはラッキーだった。

直行バス。夕方到着したが出発は夜。
 

ソングウェ・ボーダー


 夜行バスは順調に進む。
 途中世界遺産でもあるマラウィ湖の横を通る。さざ波ぐらいは聞こえたが目視は出来ず。

到着したリロングウェのバス停。



 朝の到着は気分がいい。ホテルも随分と簡単に見つかる。


 しかし南部アフリカでの最初の首都の名がリロングウェ、そして通貨がクワチャ。一体自分がどこに来たのか疑ってしまう。


 マラウィ最大の都市はブランタイヤで以前はそちらが首都だったが、今はこちらが首都だ。
 移転して出来た都市なので街もそれ程大きくないし新しく政府機能を移転させた新市街の空間はスカスカといっていいだろう。

新市街。
 

新市街の高台にある政府関係の建物からの眺め。



 以前からあった旧市街はごみごみしているが、それでも中心にショッピングセンター等がある。

旧市街、モスクとその通り。
 

 

 

 

旧市街の中心にあるショッピングセンター
 


 ちなみにガイドブックの説明には「マラウィはアフリカの滋賀県(琵琶湖があるから)と呼ばれ」と書いてあったが国を県以下として表現するのはあまりにも失礼だろう・・・


旧市街と新市街を結ぶ橋。夕方以降は危険になる。
 



 ここで観光したのは18-20の3日、正直3日も必要なかったのだが次の目的地であるザンビアの首都ルサカ行のバスに合わせた格好だ。


 ここマラウィは南部アフリカ最初の国としてまあいいスタートだったと言えよう・・・


激闘の記録第5話予告編

2005-05-17 23:15:04 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア


 激闘の記録に第5話「ハイエナの住む町角」をアップ

ルートマップ






あらすじ:
 
 首都ダルエスサラームを出発しマラウィへと向かうデューク東城に、しかし鉄道からバスに乗り換える経由地、地方の町ムベヤでは狡猾なハイエナが口を開けて獲物が罠にかかるのを待ち構えていた...


   無事にタンザニアを抜けてマラウィへ到着する事は出来るのか?

        どうする!ゴルコサーティーワン!!



 既に公開している記事に写真を大幅に付け足しています。

 よろしく~。

4島攻略戦完了(ダルエスサラーム:タンザニア)

2005-05-15 16:05:29 | 1st 北・東アフリカ
タンザニア


 


2005.05.11(水)-15(日)

 コモロを出発してダルエスへ向かう。

 4島最後のフライトだ。

 それにしてもルートはぐちゃぐちゃだ。コモロ2回、モーリシャス3回の入国。


グダグダの4島フライト図


 出費は相当なものだったし(航空券、滞在費等で多分25万くらいかかっただろうか?)、コモロに合計7泊等という大失態も犯しているしマダガスカルではハイライトのバオバブを全く見ていない。

 それでも「行って良かったか?」と聞かれると答えは『良かった』だ。見たいもの全て見れる訳でもないし、それに最小限だったとしても見ないよりは見た方がはるかにましだ。

 フライトの中でそんな事をついつい考えてしまっていた・・・

 たが、あまり引き摺ってはいられない。

 私のダルエス発は16日、今度は有名なタザラ(日本ではタンザン鉄道というが現地ではこちらの呼び方をする)に乗ってマラウィ方向へ向かうのだ。


 フライトは順調にダルエスに到着。私は空港を出て大通りまで歩いてダラダラ(市内乗合ミニバスの名称)を拾う。

 私が泊まっているのはYWCA、女性専用が基本だがダルエスでは男も泊まれ、さらにミニバスのメインの発着場の一つがここにあるので空港や鉄道駅に行くのに何かと便利なのだ。

 ダルエスに到着してから時間は少しあったので日本人経営の旅行代理店に行ってお礼と苦情(荷物を預かってもらっていたのと、ルートでのミスを確認したり)を言ったり、4島で溜まった地図等のお土産を日本に送ったりザンビアのビザを取ったりしながら時間を潰していた。

 そして15日、これでダルエスも見納めだ。

 それなりに長い滞在だったし、結局キリマンジャロもサファリも見なかったが特に感慨は湧かない。


 次の国からいよいよ南部アフリカ、アフリカ縦断完了までもう半分は超えていた・・・

最悪のコモロ再び(モロニ:コモロ)

2005-05-10 15:34:25 | 1st 北・東アフリカ
コモロ


 




2005.05.10(火)

 モーリシャスを出発してまたコモロへ。

 『こんなところに戻りたく無い』

 というのが本音だが、チケットの関係でここで一泊してからではないとタンザニアには戻れない。

 空港に到着。対応する係官は前回と一緒で私を覚えていてくれていた。

 コモロフラン(前回訪れた時にまた来るからと経費分を取っていた)ビザ代を彼に渡してしばらく待っていると、彼から「今回はトランジット扱いに出来るからビザは要らないよ」と。

 朗報だ。

『こんなコモロでもいい事があるもんだ』

 と、彼からの返金を見ると何故か“ユーロ”だ。


 『へっ・・・?』


 私はついさっきコモロフランで払っている、返金するならそれをそのまま返すだけの事だろう。それにもう一つ、レートを考えると今貰っているユーロでは明らかに少ない金額になる。


 『ちょっと待ってくれ、俺はユーロじゃなくてさっき払ったコモロフランで欲しいんだけど・・・』

 「あのコモロフランは他の人に渡してしまったんだ、だからユーロで受け取ってくれ・・・」

 『・・・!』

 あぁ・・・

 やっぱりここはコモロだった・・・

 ビザ代がかからないのは知らなかったから確かに嬉しい。

 だが、それとこれは別だろう。

 『ちょっと待て、俺はここで一泊するからコモロフランが必要だ。それにレートの計算でいくと今貰ったユーロじゃ明らかに不足している。人が払った金を渡したのはそっちだからそっちの責任だろう。何とかしてくれ!』

 私は最初は冷静に、だが向こうは無いの一点張り。

 『ここはコモロじゃなかったのか?何故空港で、大した金額でもないのに用意できないんだっ!』
 
 私は声を荒げてしまっていた。


 すると他からコモロエアーに勤めているのコモロ人が現れて、私に不足分のコモロフランを渡してこう一言。

 「この金で納得しろ!俺たちコモロ人はそんな金のことでごちゃごちゃ言わないんだっ!」


 『・・・』


 『・・・・・・』


 まっ待て・・・

 これじゃあ俺が悪者だ・・・

 俺は単純に貰っている金が少なくて損をしているから正規なお金にしてくれと言っているだけで何故そんな言われ方をしなければならん・・・それにどう考えてもイミグレ側のミスだぞ・・・


 それに・・・


 それ以上に君から金を貰った所でまだほんの少し足りないんだ・・・


 私は彼に文句を言おうとしたら彼はもうスタスタと離れていっていた。



 『・・・ハァ・・・』

 江戸の仇を長崎で討つではないがイミグレの仇をコモロエアーで討ったと思って諦めるしかないだろう(内容は全く違います)。


 それにしても入国から嫌な気にさせやがる・・・


コモロ国際空港の入口。これで国際空港といっていいのかどうかは疑問。



 私はミニバスで前回泊まったペンションへ。前回割引してもらった料金に交渉して泊まる。

 モーリシャスと同じ料金ながらこちらは停電・断水付だ。こんなオプションはありがたくない。

 最後の夜は最悪になりそうだ。



 いずれにしても明日ここを飛び立てばこの「4島攻略戦」は完了する。



 終わり良ければ全て良し。



 諺通りにいかないのが旅行の常だ。



 今回の攻略戦。間違いなく

 
 『始め悪くて終わりダメ』



 と言わざるを得ないだろう・・・



グダグダの4島フライト図


そしてモーリシャス(ポート・ルイ:モーリシャス)

2005-05-09 15:05:03 | 1st 北・東アフリカ
モーリシャス


 


2005.05.05(木)-05.09(金)


 セイシェルを抜けてモーリシャスへ。
 実に3回目の入国だ。

 最初にイミグレで嫌な目にあったことがありいいイメージではなかったが、首都のポート・ルイは想像以上に近代的で、そして都会で私は一気に気に入ってしまった。

ただのビルがいきなり近代的。車も綺麗で新しい。
 

 虹が見える
 

 




ウオーターフロント、ショッピングモールもありかなり本格的。
 

市内のマーケット


市の中心にある公園
 

近代的な建物
 

高台からみたポート・ルイの全景
 



 
 ここではマクドナルドを発見する。アフリカでマックがある国はたったの4カ国(エジプト、モロッコ、南アフリカ共和国、そしてここモーリシャス)だ。私は半年振りのマックをここで楽しむ事が出来た。

 それに嬉しいのは値段とクオリティーだ。アフリカ本土に比べれば確かに激高だが、先程までいたセイシェルに比べれば同クオリティーでありながら激安。そしてコモロと比べればハイ・クオリティーで同料金。
 泊まっているホテルの値段は20ドルちょっととコモロと大体同じ値段にも拘らず、ここでは停電、断水等は考えられなかったし、食費に関してもコモロ以下だろう。

 それに気になっていた日本行のチケットのキャンセルも無事に果たす。

 またモーリシャスのバスは発達していて首都のバス停も2つあり、お互いにそれなりの規模を持つ。
 私はまた公共機関で島を一周する事にした。

海が綺麗。
 

道中の景色。のどか~。


それぞれ他の場所で見た海。


 

南端の町マエプール。右の像はよくわからん。
 


 ここでの人種はインド系が多い。ヒンドゥー関連の施設もよく目にしていた。


 ここで私はこの小さな島国でもう首都以外の別の都市に宿泊する事にした。

 キュールピップというその街はモーリシャス第2の都市であり、ここには火口跡のトゥル・オ・セという見物があるからだ。

キュールピップの街並、ここも近代的で綺麗だった。
 

 




丘の上にあるトゥル・オ・セ
 

キュールピップは国土のほぼ中央。
 

ポート・ルイまで見渡せる。夜景をうまく撮れなかったのが残念。



 セイシェルを高いお金を持っている人しか相手にしないリゾート国家としたら、ここはある程度のお金を持っていれば十分に楽しめるツーリスト国家という事が出来るだろう。

 モーリシャス、ここはこういわせてもらおう。

 『中々やるじゃないか!』

 と・・・


味の素の看板(キュールピップにて)
 


価格破壊の国(ビクトリア:セイシェル)

2005-05-04 17:09:12 | 1st 北・東アフリカ
セイシェル


 


2005.05.02(月)-04(水)

 次の目的地はセイシェルだ。
 
 ここで少し説明するが、私の持っていたチケットはマダガスカル→モーリシャス。それにモーリシャス⇔セイシェル往復チケットを買い足した形に成る。これも不思議な物で同じ日程なのにはじめモーリシャスの空港で買った値段よりもマダガスカル市内の旅行代理店で買った方が100ドル以下も安くなっていた。(私はマダガスカルでモーリシャスで買ったチケットはキャンセル料無しでキャンセルできるからと言われたので一度キャンセルしてまた買い直した。航空券というのが良く分からん・・・)

 一連のチケットでは無いので一度モーリシャスで降りてまたセイシェル行に乗らなければならない。

 前回嫌な思いをしたモーリシャスのイミグレは私をあっさりとスルー、少し頭にきてついつい『前回は日本までのチケットを確認させられた挙句にここで買わされたのにどうしてなんだ』と毒づいてしまった。

 そして飛行機に乗りさらにセイシェルへ。到着したのは夕方過ぎ。

 『ふぅ~』

 私は足取りも軽くイミグレへ。だが、ここにも罠が仕掛けられていたのだ!

 「あれっ?ここでのホテルの予約は?」

 私はロンプラで一番安いホテルに目をつけ、マダガスカルからわざわざ国際電話をしていた。ただ、電話が上手く通じずに、まあいいかとほっておいたのだ。

 『あっ、カードに書いてますよ』

 「うーん・・・」

 次に発っせられたのは衝撃的な一言だった。

 「このホテル・・・もう今は営業してないよ・・・」


 『がっ・・・がっびーん!』


 心境を音で表すとこんな感じだろうか?私の知るそのホテルは一番安いといっても35ドルと書いてあった。

 その上は・・・知らない・・・


 「君はここを予約したの?」

 私はマダガスカルから電話はしてみて上手く通じなかったけど、応答はされたと答える。

 私の様子を見て怪しく思ったのだろうか?彼らは所持金検査を要求してきた。

 『うーん・・・』

 このケースは仕方ないだろう。私はマネーベルトを開き、カード、キャッシュを彼らに見せる。

 彼らも「貧乏そうなのは外見だけだ」と納得したのだろう。

 「じゃあ、そこの観光案内所でホテルを予約してきて。国全部の宿泊施設が予約できるから大丈夫だよ」

 と私に勧告する。従うしかない。ただ・・・幾らだ??

 観光案内所に聞くと首都で最安の値段は・・・

 「60ドル!」

 島全体でも最安で45ドルだそうだ。(ちなみにこの時は完全に信じきれていなかったが、実際に最安と書いてあったホテルに行ったら本当に営業していなかったので多分正しいだろう)

 『ふぅぅぅぅぅ~・・・』

 
 私は諦めて首都で一番安いという宿に決める。でも・・・60ドルなんて・・・これまでの最高額だ!


 セイシェル・・・

 『リゾート国家とはこんなに恐ろしい所なのか』

 と、のっけからその価格にびっくりさせられた入国となった。


 このほか食費等の高さ(簡単に10ドル越える)にも確かに悩まされたが、それ以外はいい国だった。

 この国はアフリカ系が大半を占めるが裕福な国なのでインフラから何から整っている。

 島全体を巡るバスには時刻表が存在し、しかもその時刻表通りに運行されている等大陸のアフリカでは有り得ない高水準ぶりだ。


首都ビクトリアの街並にマーケット(中国風)
 

中心の時計塔
 

  

教会、モスク等
 

 

少し離れた丘から見たビクトリアの全景。


ビクトリアの港
 

 



そして道路のラウンドアバウトのモニュメント。
 




 滞在予定は短いがビクトリアは小さな街だ。時間も十分にあるので公共バスで島内を一周することにした。

ビクトリアのバス・ターミナル
 

訪れた島内。天気が・・・
 

土砂降り・・・
 

 

でもすぐ晴れる。変わりやすい・・・
 

途中に訪れたビーチ。
 



 島の一周は実に簡単だ。

 さらに調子にのって島中央の山(というより丘か)にあるミッションに行きそこからビクトリアまでのプチトレックなどもやってみる

ミッション付近
 

 

ミッションからの景色
 



 セイシェル・・・

 食事にせよ宿にせよ物価の高さに見合うクオリティーは確かにあった。

 だが、やはりこれまでのアフリカ諸国と比較してしまうと、この国は『価格破壊の国であった』と言わざるを得ないだろう・・・


タナでの日々(アンタナナリボ:マダガスカル)

2005-05-01 16:02:35 | 1st 北・東アフリカ
マダガスカル



 


2005.04.27(水)-05.01(日)

 モーリシャスの空港でまんじりともしない夜を過ごし、そして航空機でマダガスカルに到着。
 
 島面積が世界第4位のこの島国は第7の大陸という異名を持ち実にその国土の広さは日本の1.6倍とも言われている。
 ここで有名なのは「バオバブ街道」だ。大抵の旅行者はこれを見にこの島を訪れるだろう。

 だが、私の滞在予定はたったの5日だ。北にあるこの街道まで行く時間は無い。

 それに私は4島全部の首都を見たいだけだったので、この国は首都だけで十分と考えていたのだ。

 マダガスカル上空からの景色、赤土が川になり、海に流れ出して境目をつくっている景色はなんとも奇妙な感じがして良かった。
 


 首都のアンタナナリボ(以下タナと略称)は都会だった。
 コモロ、そして空港で壊れた私の心を癒してくれる。


 アンタナナリボの街並
 

 

 タナは丘の多い街だが市の中心には湖もある。起伏に富んだ地形と穏やかな街並は歩いていて楽しい。

 

湖の景色
 

 


丘の上にある女王宮
 

付近からの全景。




 




 人種も今までのアフリカ系ではなくアジア系の住民が殆どだ。そんな所からもアフリカにありながらアフリカを忘れさせてもらえる。




マーケットでの食事。100-200円ぐらいだったような???
 

鉄道駅。中はプチ展示場になっていて楽しい。
 

鉄道には結局乗らなかった。
 

金属マーケット、この他にも色々なマーケットエリアが市内に点在している。
 

 ここでまいったことはフランからアリアリーに通貨が変わっている途中でしかもその差が5倍(1アリアリー=5フラン)、両方の単位をつかっているので混乱する事この上ないことだろうか。

 だが、それを差し引いてもここは過ごしやすい街だった。


 私は十分に満足をして、この国を後にする事にした・・・


湖に夕日が沈む時間帯。夕焼けが綺麗。後ろのビルはヒルトンホテル。
 

出発する時にのったタクシー。レトロでよい。