アフリカ・ユーラシア見聞録

むかしむかしあるアフリカで・・・

あるエチオピア人の悲劇(ルサカ:ザンビア)

2005-06-17 21:10:04 | 1st 南部アフリカ
ザンビア





2005.06.14(火)-17(金)

 アンゴラビザの受取のためまたルサカへ、これでビザが受領できれば後は残っている南部アフリカの国々を片付けてアンゴラに向かえばいい。


 だが、ビザの受取はアンゴラ入国の2日前(ちなみにここからだと物理的に無理です)と言われた為に予定が変更となり、再度アンゴラビザを申請しなおして、受領より先に南部アフリカを周ることになる。

 (この辺りの経緯は「激闘の記録」の「第6話 アンゴラボーイ」を参照)


 ルサカも三度目になると打つ手が無い程やる事が無い。

郊外(といっても何とか歩ける範囲)のショッピングアーケード
 

政府系の建物
 


 この街にうんざりし始めていたのは何もビザ待ちだけのせいではない。

 この国は人種偏見も酷いのだ。エチオピアをメジャーとするとマイナーの域を出ないがバスターミナル付近で肉の焼き串を食べていたらそこらへんの現地人が絡んできて

 「チョッチョリー!」

 と意味不明(多分ジェットリー?かな?いずれにしても中国人に対する差別用語)な事を言ってくる。

 悪意が無いのかどうかは顔を見ると分かるが明らかに東洋人を見下して言ってくるのがこの国だ。


独立記念のモニュメント付
 

  


 そんな時、ばったりとある男に出会った。

 『トットーマス・・・!』

 彼はエチオピア人、私がバハルダールでガイドに雇った男だ。「同ブログの(湖の町(バハルダール:エチオピア))を参照」

 その後アディスで偶然の再会を果たしたもののまさかザンビアでまた会うなんて想像もつかなかった。

 私は彼にその後の経緯を聞いてみる。

1.バハルダールで官憲が彼の家を襲い、国に居られなくなり急遽高飛びしなければいけなくなった事
2.そしてケニアはきちんとしたビザを取っていたのにも拘らず出国時に「出国ビザ代」として恐喝され50ドル支払わされたこと。(他の国でも変な請求をされたといっていた)
3.その後ウガンダ、ルワンダ、ブルンジを経てタンガニーカ湖を手漕ぎボートでザンビアに渡ったこと。

 等など・・・

 『・・・』

 彼としては身の危険から生きる為に起こしたアクションだ。だが、同じようなルートをただ観光で通ってきた私には彼の話す内容、そしてアフリカ人のアフリカ人に対する容赦なさやえげつなさは衝撃的だった。

 これからどうするかと聞くとモザンビークに向かってそこから南アに密入国してヨハネスブルグで職を探すと言っている。

 『いやはや・・・、まるで映画の脱走劇だ・・・!』

 彼は余程困窮していたのだろう。私にこう言ってきた。

 「君が困るのは分かっている、でも出来れば金を貸してくれないか。君がザンビアにいる間に必ず返す・・・」

 彼が返せない事は分かっている。でも口だけでもそういってくれたのは嬉しい。

 私はポケットから50000クワチャ(約10ドル)出して彼に手渡してこう伝える。

 『いいよ、貸してあげるけど、俺も予定があるから君が返したい時にいるかどうかは分からない。だからもし会えなかったらそれはそれで忘れていいよ』

 と。

 そう伝える私に彼は「絶対返す」と言い。50000クワチャを受け取った。

 それにしてもこんな偶然があるものだと改めて思う・・・


教会
 

モスク





その国際バスターミナル



 その後トーマスとはもう一度出会う。彼は真っ先に「お金はもう少し待ってくれ」と言っていたが私は『もう出発するからいいよ』と答えた。

 私はこれから約1ヶ月でボツワナ、南ア、モザンビーク、ナミビア、スワジランド、レソトの6カ国を駆け足で見てこなくてはいけない。

 それもこれもアンゴラビザのせいだった。だが、そのお陰でトーマスに再会出来たと考えればこれはこれで良かったのだろう・・・



追記:その後トーマスとは会えなかったが数ヵ月後メールが来て無事にヨハネスへ到着してエチオピア人のコミュニティーに入れたと報告があった。
それ以降、今でも彼とメールのやりとりをしている。