永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

戦後のデザインの核の人たち。

2009-05-08 09:05:24 | 日記・エッセイ・コラム
デザイナーの木村恒久さんが昨年末に他界されていたとの報道を知る。日本グラフィックデザイン界の戦後を築いてこられた方だ。田中一光さん、福田繁雄さん、粟津潔さん、木村恒久さんとデザインを理論と実践を展開されてこられた先輩たちが亡くなられていく。
それぞれの個性的で理論的な表現は僕たち若いデザイン志望(僕は高校生時代)の憧れであったし、灯台のようにデザインの道の標であった。当時のデザイン雑誌「アイデア誌」や「グラフィックデザイン誌」などで、先駆者の情報を知ることが勉強でもあった。日宣美という団体の展覧会では先駆者たちが実験的なデザインを発表されていた。この展覧会が九州にも巡回してくることがあり、高校生の僕にはあまりにも刺激が強く、デザインの技術的なことはもちろんだが、先駆者たちの表現の背景を知りたく、何度も会場に足を運んだ。その後社会に出て一応プロの道に入り、薄給の中をやりくりして、東京や福岡で開かれるデザインシンポジウムに行ったりした。こういう会場では会議の後はパーティがあり、そこでお目当てのデザイナーに図々しく声をかけて話しを聞くのが会議より大事であり、デザイナーの生の声が聞けた。
平成の時代になってコンピューターがデザインにも及び、作業そのものがシステマチックになり、どのデザインも同じような感覚になりデザイナーの個性が無いような気がする。経済の中のデザインは作家という位置づけは必要なく、システムとしてのデザインで大量に情報を流すことを企業が求めているのだろうが、時代は変化してもデザインコミュニケーションの基本は、デザイナーの個性なり質で伝達するほうが気持ちが伝わると思う。



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