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ウクライナの領土の変遷

2014-03-08 23:22:49 | 欧州情勢複雑怪奇

ウクライナはどうやって現在の姿になったか。国家としてのウクライナはソ連崩壊に伴い1991年に成立した。ではその前は?というお話。

アメリカのサイトで拾った図。

 

この図が示したいのは、

・ウクライナというのは現在の領土を持った国ではありません

・ロシアまたはソ連が強権的でなかったら、ウクライナの領土は多分増えてません

ではなかろうかと思う。多分、ロシア人による情報戦の資料投下なんでしょう。

で はなんでそのようなことをしないとならないかというと、西部のウクライナ人たちが、ウクライナはずっとウクライナでロシア人が後から入って来た、侵略してる、ってなことを強く主張しているからだと思う。つまり、東のロシア系住民には正統性がない、とか言っちゃう人たちが結構いるんです。

私自身、北米のウクライナ人コミュニティに友達がいてそういう人にあったことがあった。極東人の私が言うのもなんだ が、しかし、それはちょと違くないですか?東のロシア人は別に移住させられた人ばかりじゃないのじゃないですか・・・としばしば思うのだったが、ほぼ聞く耳持たない状態になっている人が確かにいた。

上の図は、でもちょっと足らないかなぁ。書いたら複雑になるから仕方ないのか。思うに、ほぼ真ん中から左側(現在のいわゆる欧州が好き派の西側のウクライナ)が、ポーランド・リトアニア連合王国の支配下、およびその影響下にあった時代があるというのも重要だと思う。

ウクライナ西部は、ポーランド領主(国家がなくなったとしても)、管理人としてのユダヤ人、現地農民、みたいな構造の時代がウクライナ的には悲惨な時代なんだから、よく考えれば、西ウクライナの天敵はポーランドだろうと私はずっと思っているのだが、なぜだかそうはならない。

さらに、ロシア帝国解体、オーストリア・ハンガリー帝国解体後、西ウクライナ人民共和国を宣言したのもつかの間、ほぼ同時期に国家を回復したポーランドに攻め入られてダメになってる。なぜここを問題視しないのだろう。不思議でならない。

紆余曲折あって最終的に、スターリンがそのやたらに揉める部分ガリチア地方(黄緑色の部分)をウクライナに入れちゃった。この時点でウクライナの一体性には影があるといえるかも。リヴィウが俺らはロシアじゃないというのはわかる。クラクフとか近いし。しかし、それでもポーランドと一体かというとそれは微妙。ポーランドから見たら、やつらはルーシ、だから。

しかしじゃあはどうしたらいいの? ポーランドが一番縁が深いだろうけど、ハンガリー、オーストリアも何か言いたいだろう。そうだ、EU直轄領とかどうだろう。

というか、黄緑が西ウクライナで、キエフを入れた残り全部がロシア色の濃いウクライナ、というのも一つのような気もするし、中央を本家ウクライナ、東側はサポロージャ・ウクライナとかにしちゃうとか。いやぁ、難しすぎる。結局、いろいろ考えてみるに、レーニンだのスターリンだのという、頭がおかしいほど強権発動型の人がいたからこそ、むしろ現在のような大きなウクライナが構成されたといっても間違いではないと思う。

このへんに限らず真ん中から東の欧州は、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー、ロシア帝国を一気に潰した(潰れた)上に、民族自決主義をあおっていったことが諸悪の根源だよ、ほんと。

民族国境と国籍国境、言語国境もみんな日本って本当にありがたい。


コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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今見てみると (si. yamada)
2022-04-02 14:15:02
今なんでもウクライナ正義みたいな風潮だけど
そんなに単純な話じゃないですね。
参考になる図でした。
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