狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

化学物質無添加・天然で安全(4)・・・「塩素」の危険性

2012-11-24 16:26:18 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 医療現場等でも滅菌・消毒に使われている次亜塩素酸ナトリウムは、家庭用漂白剤や殺菌剤にも入っています。次亜塩素酸ソーダとも呼ばれて、強アルカリ性で取扱には注意を要します。酸化作用がある為に、金属を腐食させてしまいます。又、強酸性の塩酸等と反応すると塩素ガス(塩素分子:Cl2)が発生し危険です。他にも、「アンチホルミン」と言う名の水溶液の添加物を、食品・歯科医療・植物培養等に殺菌・洗浄の為に利用されています。しかし、其の使用によって有機物との遊離塩素による塩素化反応によって、トリハロメタン等の有機塩素化合物を生成します。トリハロメタンには発癌性、催奇形性が有りますが、其の内の代表的な物としてのクロロフォルムには、肝障害と腎障害を引き起こす作用が有ります。此の為、酸素系漂白剤やオゾンによる消毒によって、この生成を避ける事が出来ます。又、単体の塩素は強い毒性を持ち、目・皮膚・呼吸器等の粘膜を損傷します。更に、塩素はオゾンホール形成の原因にもなります。フロン等の塩素を含む物質が紫外線と反応する事で塩素ラジカルが発生し、此れがオゾン(O3)を分解して酸素分子(O2)とし、オゾン層を破壊します。そして、有機溶媒等が環境中に放たれた場合に化学分解され難く、ポリ塩化ビニール等のプラスチックを焼却する事で、ダイオキシンを発生させます。 又、次亜塩素酸ナトリウムは不均化反応によって容易に塩素酸ナトリウムを生成し、これが乾燥して結晶化した物は爆発性を持ち危険です
 トリハロメタンは、メタン(CH4)を構成するの4つの水素原子の内の3つがハロゲンに置換された化合物の総称です。ハロゲンとは、塩素、フッ素、ヨウ素、臭素、アスタチン、ウンウンセプチウムのことです。ハロゲンはギリシャ語の造語で、塩を作るものと言う意味があります。アルカリ金属と反応して塩を生成します。
 又、同様の物として、炭素・水素・ハロゲンを多く含む化合物である、総称フロンが有ります。日本以外ではフレオンと言い冷媒・溶剤等に使われて来ましたが、オゾン層の破壊や温室効果ガスの原因であるという理由から、大幅に規制される様になりました。中には、トリクロロエチレンやクロロホルムよりも毒性の強い物も在ります。因みに、釣り糸に使われているフロロカーボンはポリフッ化ビニリデン(PVDF)を素材とする糸の通称ですが、これは塩素を含んでいません(水素・炭素・フッ素のみ)

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化学物質無添加・天然で安全(3)・・・「フッ素」の危険性

2012-11-24 13:33:36 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 一般の歯磨き剤には、歯の強化・虫歯予防の為として「フッ素」が含まれています。此のフッ素は、リン酸塩(リン鉱石)から脱フッ素化させて精製されます。フッ素の食品摂取基準の上下限の範囲が狭く特に乳幼児や年少になる程、其の摂取は危険です。主な摂取源は水道水、動物の骨、そして歯磨き剤です。アメリカでは虫歯予防の為にサプリメントを市販したり、政府が水道水にフッ素の化合物であるフッ化物を添加し、其の過剰摂取により、歯のフッ素症(歯に茶色の点・染み、小さな穴が出来る)、骨肉腫、骨粗鬆症、骨硬化症、脂質代謝障害、糖質代謝障害等に繋がると言う事や、選択権の無い集団投薬となる事が問題になっています。歯磨き粉には、万一豆粒大の大きさの歯磨き粉を飲み込んだ場合に専門医に診てもらう様にとの注意書きが書かれています。しかし、アメリカのコップ1杯分の水道水には豆粒大のフッ素が含まれていますイルミナティー・フリーメーソンの傘下にあるWHOは、「適切な量の水道水フッ化物添加やフッ化物塗布はう歯の予防に、多大な利益がある」と表明しています。
 又、フッ素が含まれていたリン酸塩は、有機リン化合物として利用されますが、これは自然界には存在しない為に、その放出により環境悪化に繋がります。リン酸塩は合成洗剤の水質軟化剤に使われ、化学肥料を使った農地からもリンを含んだ水が流出し、元々限られた量しか存在しない水環境にリンが大量に供給されて富栄養化し、植物プランクトンや藻が大量に発生して赤潮やアオコが起こり、魚が酸素欠乏による窒息死を起こしてしまう事等、生態系のバランスが壊れる環境破壊が起こります。
 更に、有機リン化合物は第二次大戦前後から「殺虫剤」として「農薬」に使われ、化学兵器(毒ガス)としての「神経ガス」に利用されています。農薬によって害虫のみでなくミミズ等の益虫も無くしてしまい害虫はより抵抗力を付けて其れに対する農薬もより強力な殺虫力を持つ様に開発されて来たというイタチゴッコにより、自然環境が一層悪化して来ました。環境残留性もあり、人間にも神経ガス同様に影響が有ります。神経ガスはサリンやVXガス等を開発し、呼吸器系や皮膚から身体に吸入され、筋肉の収縮と痙攣により呼吸困難、吐気、嘔吐、失禁、身体全体の麻痺となり、最終的には昏睡状態となって全身が痙攣して窒息死してしまいます。
 少し話が逸れていきましたが、このフッ素についてはアメリカでも多くの方が問題が有るとして取り上げておられますが、其の内に以下の方の事が有ります。
 映画監督スタンリー・キューブリック氏は、1964年映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1963年制作・1964年1月30日公開)にて、「水道水へのフッ化物添加は共産主義者の陰謀」だと唱えました。又この映画では、上映直前のケネディ大統領暗殺事件に起因すると見られる変更箇所が、完成版には少なくとも2つ有ります。
 キューブリック氏は開業医を営むオーストリア=ハンガリー帝国に起源を持つユダヤ人の両親の長男としてニューヨークのマンハッタンに生まれました。映画「2001年宇宙の旅」(1966年5月撮影終了、1968年4月6日公開)は20世紀Foxにて撮影されましたが、1969年7月16日アポロ11号が月面着陸したとされる映像はキューブリック氏が同じハリウッドのスタジオで撮影しました。公開前の変更点の内、黒い石碑モノリスがヒトザルたちの前に出現しますが、大元では異星人が月に残していった装置はピラミッド型でした。。アポロの宇宙飛行士3人は元々石工集団であった秘密結社フリーメイソンの会員で、実際に三角定規とコンパスが描かれたフリーメイソンの旗を月面に立てました映画「アイズ・ワイド・シャット」(1999年7月16日公開)はキューブリック氏の遺作で、その中の妖しくエロティックな秘密パーティーの描写がフリーメイソンの儀礼そのものである様です。この映画が完成した直後の1999年3月7日にキューブリック氏が急死しましたが、秘密を暴露した為であると言われています。フリーメーソンが会員のモーツァルトにオペラ「魔笛」を書かせましたが、其の中でフリーメイソン儀礼の真相を公開したために変死したのと同じであると言われています。
 俳優・映画監督のメル・ギブソン氏映画「陰謀のセオリー」(1997年8月8日公開)にて、「政府が水にフッ化物を入れるのは、私たちの意思を削ぐためだ」と唱えました。
  メル・ギブソンはアメリカで生まれましが、父親の事業の失敗で1968年に家族でオーストラリアに移住しました。熱心なカトリック教徒であり純潔運動家としても知られており、避妊や妊娠中絶への反対をメディアに公言しています。
 教皇空位論(空位:名ばかりの位。実際には誰もその位に就いていない事と同じを意味します。)を信奉する、超伝統主義カトリック教徒としても知られ、その信仰の篤さは自宅近くの丘にチャペルを建設してしまった程であります。映画「パッション」(2004年2月25日公開)では、イエス・キリストの処刑までの12時間をリアルに描きました。公開前から、ユダヤ人団体等がこの映画が人々を反ユダヤ主義的な行動に駆りたてるのではないかとの懸念を表明しました。イエスへの拷問シーンが緻密に描かれているため、アメリカでの公開時にはキリスト教徒の女性観客が心臓発作で死亡する事件があり、また公開阻止デモが行われました。その一方で、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「聖書の内容に忠実だ」とコメントしました。
 世界の支配階級が、世界人口の限界、食料・エネルギー量の限界等を背景にして、NWOの方針の元、人口削減や洗脳の為の一環としての工作の一部であると解釈されます。世界全体のバランスと持続可能な生命の循環システムの一歩としての、私達消費者としての正しい姿勢が必要に感じます。

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化学物質無添加・天然で安全(2)・・・「EM菌」

2012-11-24 11:21:26 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 天然無添加石鹸と同様、持続可能な生命の循環システムの構築に役立つものとして「EM菌」が在ります。
 EM菌(エフェクティブ・マイクロオーガニズムズ)は乳酸菌、酵母、光合成細菌を主体とする微生物の共生体とされる「有用微生物群」の事で、1982年に琉球大学農学部教授比嘉照夫氏が、農業分野での土壌改良用として開発した微生物資材の名称です。悪玉菌や遺伝子組替技術によって作出された微生物は使用していません。嫌気性・微好気性の複数の有用な微生物を集め培養し、抗酸化力の強い有用な微生物群(EM)を投入することで、酸化微生物の力を弱めて酸性化しがちな土壌の改良等に利用されます。酸素の多い現在の大気中においては、酸素を使って有機物を分解する好気性の酸化微生物の勢力の方が強く、其の悪玉菌によって腐敗、腐蝕という環境悪化を招いています。そのEM菌を利用して、農業・畜産・水産・環境衛生・土木建築・医療等に用いられ、土壌改良、排水浄化、生ごみ・糞尿の堆肥化、ゴミ処理・予防医学等に役立てられています。
 植物の病気や害虫に対する農薬、動物の病気に対する抗生物質、河川等に堆積したヘドロに対する浚渫(しゅんせつ)等の対症療法は根本的な解決にはならず、それらを何時までも続けなければならないばかりか、薬を使う事でウイルスや細菌、害虫等の耐性力が強まってより強力な合成化学物質から作る殺虫剤や薬を使わなければ効かなくなり、イタチゴッコとなって且つ、余計に悪くなっていきます。根本的な解決の為には、其の深い部分・内部に存在する根本原因を取り除く、或いは変えていかなければ、表面に現れている結果は何時までも変わりません。このEM菌の酵素によって醗酵させる事で、有機物が栄養分や抗酸化物質に分解され、環境の根本的な改善に役立ちます。

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化学物質無添加・天然で安全(1)・・・「石鹸」

2012-11-24 11:09:52 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 無添加石鹸と言う物が在ります。天然の材料のみを使用し、化学物質、合成添加物を全く加えていません。入浴用、手洗い用、洗剤、歯磨き粉等、各種販売されております。手肌に優しく、身体に優しく、自然環境にも優しいです。
 大抵成分が水、カリ石ケン素地のみとなっています。原料に牛脂やパーム油、パーム核油、米ぬか油等の天然油脂を使用しています。香料、着色料、酸化防止剤、合成界面活性剤等の石油由来の化学物質や合成添加物を使用していませんので安全です。又、釜炊き職人の方が石けん素地を炊き、熟成を繰り返し、一週間から十日をかけてじっくりていねいに石鹸を炊き込んでいきます。丹念に時間をかけることで天然の保湿成分が残り、洗い上がりのしっとり感が有ります。
 界面活性剤は水と油を混ぜる乳化作用(エマルション)が有りますので、人間の身体の中に経皮的に自然のものでない有害な合成化学物質が浸透し、癌やアレルギー等の発症が考えられます。又、排水として河川等に流す事によって、人間より抵抗力・免疫力の弱い魚等の生物の生命が絶やされてしまう事になります。
 牛脂は「ケン化法」(塩析)によって、釜炊き製法による高熱処理と、強アルカリ性(強塩基)の苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を加える事を何回も繰り返す事により、純度の高い石鹸に仕上げていきますが、其々によりタンパク質が熱変成とアルカリ変成を起こし、例え牛脂の中に含まれている可能性が有る異常タンパク質のプリオンが存在しているとしても、変成により異常機能の活性が失われて安全の様に思います。 
 人間に優しく、自然・自然界の多様な生物にも優しく、消費者としてその様な商品を使う事が、自然を保護して持続可能な生命の循環システムの構築に役に立ちます。

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占領下、一九五二年日航機「撃墜」事件

2012-11-24 00:28:53 | 歴史修正
  「一九五二年日航機「撃墜」事件」(文庫版、著者:松本清張氏、出版社:角川書店、出版日:1994/12/2)
 社会派推理小説の巨匠である松本清張氏が、自ら間違いに気付いて2回も改訂して書き直したノンフィクションです。
 国内初のジェット機日本航空マーチン202型双発「もくせい号」が伊丹経由福岡行として、1952年(昭和27年)4月9日午前7時34分に荒天の中、羽田空港を離陸しました。その直後の8時過ぎ、米極東空軍ジョンソン基地(埼玉県入間基地)の管制官とノースウェスト社のパイロット(副操縦士と共に米人)との交信後に、三原山外輪山(東京都大島)に衝突しました。同日15時50分に米極東空軍・横田基地(東京都多摩、現在の米第5空軍司令部)からの通信を受けた米第5空軍・小牧基地(愛知県、当時の米第5空軍司令部)が航空庁に誤報を伝え、機体の発見と乗客乗員全員救助を発表させました翌日8時半、機体の発見と乗客乗員37名全員の死亡が確認されました。
 事故当時米軍機10機が上空を訓練飛行し、離陸前に羽田空港コントローラー(米側管制官)から、上空の米軍機の存在により館山(千葉県)通過後10分間、高度2000フィートでの飛行を命じられました。通常は6000フィートでの飛行です。三原山は高さ2500フィートで、館山からは10分以内の距離に在ります。悪天候下で三原山の南の差木地(東京都大島)のラジオビーコンの電波帯を頼りに飛行していましたが、米軍機がもくせい号を仮想敵機として攻撃し、右補助翼タブが損傷してフラッタリングを起こし、右側に航路が逸れて三原山に衝突しました。客室乗務員に異常は伝えられず、乗客はシートベルトもせずに水平飛行したまま衝突しました。この米軍機の演習では、もくせい号の飛行ルートを朝鮮北軍の飛行ルートを想定しています(米軍演習のシュミレーションは早朝、北側による攻勢が始まり北側が38度線を越えた制空権を維持している局面に国連軍(米軍)が南から反撃に転じた状況です)。
 米側の情報の偽装により、事故原因と米軍のスキャンダルが隠蔽されました。ジョンソン基地のコントローラーと、もくせい号のスチュワード機長、クレベンジャー副操縦士との交信記録テープが米軍から提供されませんでした。GHQ司令部が第一生命ビル、ノースウェスト東京支社が近くの明治生命ビルにあり、交信の「東京モニター」が明治屋(明治生命、明治生命ビルとは別)にありました。「東京モニター」は、ノースウェスト社が米軍に懐疑的であったり、GHQ内での内部抗争からマッカーサー解任の後のリッジウェイが総司令官就任(1951年4月~1952年4月)となった事が背景にあって存在しましたが、国会の事故調査委員会には先のテープ同様に生かされませんでした。CAA(米国民間航空局)ハワイ駐在員ウェーン・ブッシュが事故4日後に三原山に現地「調査」に入り、その翌日の記事で「視察」したと表記を変え、其の後の記事でブッシュと言う名前は消されました。結局米国は事故調査に協力しませんでした。ICAO(国際民間航空機関)の発行した1953年の航空機事故資料には、もくせい号の事故は記載されていませんでした
 乗客の中に唯一の女性客(烏丸小路万里子)が含まれ、米軍のリード大尉が中心となって日本銀行や交易営団から盗んだダイヤの横流しを手伝っていました。烏丸小路万里子は戦後、英仏語が出来る事から山梨県の米軍駐屯施設で働き、そこでパトロンと繋がりました。目を発表の静岡県浜名湖西南に向けさせておいて機体が発見される前に、米軍が烏丸小路の持参していたダイヤの押収と事故原因に繋がる機体の破片(右補助翼タブ)を回収しました。烏丸小路は三沢基地(青森県)や板付基地(福岡県)に、横領ダイヤを売り捌きに度々訪れていました。後に横領した者の内の一人のマレー大佐が横領罪で起訴され、横浜の軍事裁判で懲役10年・重労働10年・軍役剥奪・年金給与停止の判決が下されました。軍法会議の判事はチェイス少将を代表に7人、検察官にはバチソン大尉等2人、弁護官にも米軍人2人が選任されていました。烏丸小路の写真は公表されませんでしたが、本書には掲載されています。又、日航広報部も烏丸小路に関する資料を公表しませんでした。
 かつて航空機大国だった日本1945年(昭和20年)に太平洋戦争に敗北すると、GHQによって航空機の研究・設計・製造を全面禁止されました。GHQによって航空機産業を始め重工業全体を弱体化させ、日本が農業小国となって米国に経済依存し続ける様に図られました。しかし1950年(昭和25年)の朝鮮戦争の勃発により(1953年休戦)、日本の旧航空機メーカーに米軍機の点検・修理の依頼が増えました。翌年の1951年(昭和26年)に民間航空会社の日本航空がGHQの意向で発足しました。社長には柳田誠二郎(元日本銀行副総裁)、専務取締役に松尾静磨(元航空庁長官)が就任しました。同年9月8日にサンフランシスコでの講和会議にて署名された、日本国と連合諸国との平和条約と旧日米安全保障条約が、翌年1952年(昭和27年)4月28日に発効されて日本は一応独立しました。それで航空機の運航や製造の禁止の一部が解禁されました。同年7月には航空法が施行されました。又、其の直前の1952年2月28日には、日米安保を基にして日米行政協定が締結されました。この協定は後の1960年(昭和35年)の新日米安全保障条約に付随する日米地位協定に継承されるものであります。その様な背景のあった米軍の占領下において、航空管制は全て米軍により行われていました。『日航機「撃墜」』はその様な中で行われました。
 作者の松本清張氏は、1960年(昭和35年)「日本の黒い霧」(文芸春秋)で最初にこの事件について発表し、其の後1972年(昭和47年)「風の息」(赤旗、及び単行本(朝日新聞社))にて改版して発表、更に2回目の改版として1992年(平成4年)4月本書(単行本)を出版しました。その直後の同年8月4日に82歳で亡くなられました。2回の改版の理由として、1971年(昭和46年)7月30日全日空機雫石衝突事故(岩手県岩手郡雫石町、航空自衛隊機との衝突により乗客乗員162名全員死亡)、1983年(昭和58年)9月1日大韓航空機撃墜事件(ソ連領空侵犯に米ソ両国からの警告無く米国スパイの疑い、269人全員死亡)、1985年(昭和60年)8月12日日本航空123便墜落事故(円高バブル形成の為のプラザ合意9月22日G5により発表される直前、群馬県高天原山(=タガマ・ハラン、御巣鷹山)にて524名の内520名死亡)があった事により、旧版の誤りに気付いた事によります。
 一説によると、松本清張氏は山窩(サンカ)の出であるらしいです。生まれが福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)と一般的にはされていますが、実際は広島県広島市であるらしいです。祖父の田中雄三郎氏は鳥取県南西部の内陸部にある日南町で生活し、父の峯太郎はそこで生まれた後に鳥取県米子市の松本家の養子となりました。青年期に広島へ移住しそこで清張氏が生まれました。其の後直ぐに下関に引越し、子供の頃に小倉に引っ越しました。多民族の古代日本において、原住民族や渡来系民族で大和政権の中央の権力に従う事を嫌った人々が山へ逃げて、その存在自体を隠す様にして暮らして来ました。1952年(昭和27年)に住民登録法が施行されるまで、その一部は戸籍を持ちませんでした。清張先生の権力に反抗する強大な力は、サンカの血が流れているからかもしれません
 参考文献として、「KE007応答せよ!大韓機事件の真実」があります。1994年にフリーライターの著者が自費出版された書籍をWeb版に再編したものです。
 http://www.isao-pw-okinawa.ecweb.jp/ke007/
 このホームページの中に、「もくせい号事件の考察」が在ります。著者は松本清張氏に1985年頃「KE007応答せよ!」の資料を研究されることを希望して資料を送った経緯を持っています。沖縄では、米軍機と民間機とのニアミスが頻繁に起きています。
 
一九五二年日航機「撃墜」事件 (角川文庫)一九五二年日航機「撃墜」事件 (角川文庫)価格:¥ 580(税込)発売日:1994-12-02


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