2015年12月17日 金容成ブログ
摂理的概観 2005年~2008年の摂理の理解
お父様は基元節勝利の為、多くの摂理を実行されてきたが教権勢力は、父子協助体制の構築のための指示には反抗し、それ以外の指示には絶対服従した。お母様を中心とした教権勢力は、お父様の権威を簒奪し、母全権時代を開く為に全力を尽くした。そしてお父様の体が不自由になり、摂理現場の検証ができなくなった頃に、彼らの野心を達成する為の決定的D-dayを設定した。お母様が母子協助時代の直後からお父様とは違う道を歩まれたことは明白である。
お母様が、お父様と違う道を歩まれたということは「神様のみ旨と摂理が要求する」道を歩まれなかったことを意味し、お父様の「摂理的な指示」には絶対服従しなかったことを意味する。お父様がお母様に求めたのは、たった一つだけであった。
父子協助時代を構築するための「摂理的な指示」に「絶対服従」しなさいということだけだった。
お父様がお母様に要求した「摂理的指示」は原理を理解せよ、ということでもなく、神様の摂理を理解しろというものでもなかった。お母様に望まれたことはただ一つ「父子協助時代を受け入れろ」というものだった。
顯進様を受け入れ、顯進様がお父様の継代を継ぎ、基元節勝利の主役として立ち、真の家庭の位相を高めることができるように、協助しなさいというものであった。しかしお母様はこれを否定された。
お父様はこれを1999年9月9日から2004年9月までの6年間、お母様をはじめ、核心指導者に訴えてきた。お母様がこれに従われたならば、お父様の摂理のパートナーとして、アダムとエバの堕落による全ての蕩減を終え、勝利した基元節を迎えたことだろう。
2005年以降は、顯進様がお父様の継代を継ぐ長子として立ち、基元節を迎えることが天理原則であるという、み言が全くなかった。それはすでに過去6年間、顯進様を徹底的に拒否してきた、お母様と教権勢力の反逆の執念と意図を確認されたので、あえて彼らに繰り返して語られる必要がなかったのかも知れない。
2005年〜2012年間の歴史は、どんなことがあっても顯進様を立て、長子の威厳と位相と権威を確定し、基元節勝利を成し遂げようとするお父様と、その意志を拒否し、お母様を中心に立て、父子協助時代を破壊し、真の家庭を排除し、教権時代を確定するという反逆勢力との闘争史であった。
お父様は、たとえ真の家庭に曲折と、多くの事情があったとしても、顯進様が、その責任分担を完遂することによって、亨進様と國進様をはじめ、お母様と教権勢力の中から、一人でも悔い改めて自然屈伏し、一つになる姿を心の中に描きながら、血の涙を流されながら12年の歳月を耐えられたのであろう。
2005~2008年の4年間は、お母様と核心勢力が悔い改め、戻ってくることのできる唯一の期間であった。しかし、彼らはむしろ顯進様の歩みを妨げるために、亨進様と國進様をUCの現場に投入した。これが2005年、3人の子女様が均等に責任を与えられ、UCの現場に投入された事態であった。顯進様のみが1998年からお父様の特別配慮として9年余りの間、現場を経験された方であったが、國進様と亨進様は現場を経験したことがないのに、顯進様と同等に責任を与えられた。