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Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

衝撃❗️ネパールの家庭堂がネパール共産党と統合、北朝鮮の高官との会談も... (韓国CARPカフェの記事10.10)

2017-10-12 13:12:40 | 統一家の行くべき道

韓国CARPカフェに衝撃の記事が掲載されたとその内容を送ってくださいました。

家庭堂が共産党と統合とはどいう言うことなのでしょうか!ネパールの家庭堂の活躍は度々家庭連合内部でも報じられて来たと思いますが、事の次第、実際はどのようなことが進行しているのでしょうか?

 

衝撃❗️ネパールの家庭堂がネパール共産党と統合、北朝鮮の高官との会談も...
(韓国CARPカフェの記事10.10)

 

衝撃的なニュースをネパールの食口から聞きました。
ネパールの家庭堂がネパール共産党と統合されたそうです。
統合とは言っても吸収されたということです。
マオイスト(毛沢東主義)党も共産党と統合されました。
想像することのできないことが起こりました。
これは韓国の家庭堂が北朝鮮の労働党に吸収されたようなものです。
11月にネパールの国会議員総選挙があるのですが
エクナットが国会議員のバッジを得るためにそのような野合をしたのでしょうか?
国会議員の椅子がただなわけがないだろうし
これからは莫大な政治資金を共産党に捧げなければならないかもしれませんね。
結局、共産党員になるために家庭堂があったのでしょうか?
ヨン・ジョンシク会長が年始めに報告した時、ネパールの家庭堂員が数十万いるようなことを報告したそうなのですが、それはすべて嘘だったのでしょうか?
それとも、結局、彼らも皆、共産党員になってしまったのでしょうか。
あまりにも呆れ果てて何も言えません。
どうかお母様、しっかりなさって下さい。
代表的な保守論客であるチョ・ガプジェ氏は、
自身の記事で、お父様と統一教会を最も代表的な親北勢力であるとし
統一されれば最も先に処断されなければならない容共勢力であると評価しました。
特に最近、CBSでは北朝鮮の核ミサイルの開発と統一教会の関連性に関する疑惑を扱っていますが
ネパールのニュースが世間に知られると
統一教会は共産党であると言われるようになるでしょう。
黙って目を瞑っていようと思っていたのですが、ついでにもう一言だけ付け足すと。
今の時勢がどのような時勢なのか、このエクナットが北朝鮮を堂々と訪問し
彼らの宣伝の道具になったのですか?
北朝鮮で完全に洗脳されて戻ってきて
このように家庭堂を共産党に吸収されるようにしたのではないのでしょうか?
下の写真2枚をネパールの現地食口から受けとり、本当に気絶しそうなくらいに驚きました。
エクナットの一行が8月中旬に北朝鮮を秘密裏に訪問し
北朝鮮の高官と接触、秘密会談を行ったそうです。
写真に写っている北朝鮮の高官が誰なのか調べてみたところ
イ・スヨン朝鮮労働党副委員長のようです。
この人は、キム・ジョンウンがスイスに留学していた時に後見人の役割をした人で
現キム・ジョンウン政権においては実勢の中の実勢です。
世界を騒然とさせた北朝鮮の6回に渡る核実験は約2週間前のことでした。
どうしてこのようなことが...
一体、どのような密談が交わされたのでしょうか?
もしかして今回の共産党との合併にも関連があるのでしょうか?
どうか家の中の取り締まりはしっかりとしてほしいものです。
ただでさえ米国のサンクチュアリのニュースだけでも頭が痛いのに
こんなニュースまで聞こえてくるとは... 


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災いである!天倫を破壊したサンクチュアリ、道化芝居はもう止めろ!(パイオニアカフェ 投稿記事から)

2017-10-08 19:10:00 | 統一家の行くべき道

パイオニアカフェに匿名で投稿された記事です。最近サンクチュアリ教会で行われた真の父母様の離婚再婚儀式について記述しています。参考までに転載させていただきます。果たして我々祝福家庭は御父母様の離婚再婚と言う儀式をどう受け止めたらいいのでしょうか?


災いである!天倫を破壊したサンクチュアリ、道化芝居はもう止めろ!

 

非倫理的で反社会的な犯罪

先日に行われたサンクチュアリによる真の父母様の離婚再婚儀式は、全世界の統一家にメガトン級の衝撃を与えた。その理由は、かつての統一教会、そしてUPFの世界会長であり、統一家の後継者として知られた人物のよってYouTubeに公開されたからである。そこには四男の國進氏夫婦や劉正玉、江利川といった元老たちが参加し支持を示した。

 

祝福式はチームエルダーの司会で進行された。真のお母様の犯罪を告げる儀式で始まり、それによって真のお父様との離婚成立が宣言された。祝福家庭と思える3人の人によって犯罪の事実が朗読された。そして真のお父様の釜山避難民時代に韓国で始めて伝道された姜賢賓氏が新しい真の母として選ばれたことが発表された。姜賢賓氏は支えられながら登場した。亨進氏は、新たに真の母として選ばれた姜賢賓氏に彼と彼の息子シンジュン氏に敬拝させた。司会者は「韓鶴子の犯罪」が真のお父様の血統を敬拝しないことなので行われた儀式であるとした。亨進氏はこの祝福式を認定する祈祷を捧げた。劉正玉による祝福式の摂理的意義に関する説教が続いて行われた。

 

この事件をどのように見るべきなのだろうか。サンクチュアリによるこのような行動は非原理的であり反摂理的であるのみではなく、社会的に見ても非倫理的であり反社会的である。

 

亨進氏は自身の実母を否定し母親を取り替えた。古今東西、人類の普遍的な常識から見てもこれは天倫に反する事件である。親子の関係は永遠であり不変なものである。それは、神様が堕落した人類であったとしても子であるがゆえに放棄せず、最後まで救おうとされる理由と同じである。親が自分の志と合わなかったり、たとえ犯罪を犯したとしても、親と子の関係は断ち切れない。それが普遍的な親子の愛の秩序である。子が死んだ親を離婚させて新たに婚姻させるということはあり得ないことである。堕落した世界の倫理観に照らしてもこれは非倫理的であり反社会的な行為でしかない。

 

真の父母様の勝利圏を否定する非原理的で反摂理的な犯罪

サンクチュアリは、この儀式がこの世的に反するものだとしても原理的であると主張したいことだろう。しかしこの祝福式に原理的な部分は微塵もない。それどころかこの事件は、復帰摂理史において最も醜い反原理的で反摂理的な事件として記録されるだろう。

 

何よりも「真の父母様の勝利圏」を根こそぎ否定する事件であるからである。真の父母様の勝利圏とは、真のお父様が真のお母様を迎えて真の家庭を成し、真の家庭の実現を通して祝福の理想を世界化、天宙化することのできる勝利的基台を立てることを意味する。それが勝利圏と呼ばれる理由は、神様が真のお父様を復帰されたアダムの立場に立てる過程や復帰されたエバを探し立てる過程そのものが千辛万苦の苦労の過程であったからである。このような過程は想像もできない苦難の過程であったと真のお父様は何度も教えてくださった。1960年、聖婚式を通して夫婦を成し、最初の子女を出産されることよって真の父母の位置に立たれ、人類歴史において初めて真の家庭理想を地上に実現されたのである。人類が祝福を通して血統転換の道に参加できるのは、真の父母様が真の家庭を実体化させた勝利的基台の上にあるからである。真のお母様は生涯を通して14人の子女を出産された。これは真のお母様の絶対的な貢献である。たとえ真のお母様が現在では非原理的な立場に立っておられたとしても、サタンも讒訴できない人類歴史以来初の真の家庭を成した真の父母様の勝利圏は変わらないのである。ところが亨進氏とサンクチュアリは、真の父母様の勝利圏を否定した。これは自身の権威を立てるための目的以外の何ものでもない。

 

復帰されたエバの選択は唯一アダムの権限

真のお母様を選び、どうしようもない状況にあって変えることのできる権限は、唯一、真のお父様にある。真のお父様の最初の夫人が責任を果たせずして選ばれたのが現在の真のお母様である。創世記には神様がアダムのあばら骨をとってエバを創造したとされたとあり、それをエバと名づけたのがアダムであったと記録されている。聖書のこのような内容は、アダムがエバのアイデンティティの根であることを説明しているのである。これは、アダムがエバに対し主体的格位にあると見る原理的見解と一致する。たとえエバが堕落したとしてもアダムさえ堕落せずに原理的立場にあったならば、エバを新たに立てて復帰摂理をすることができるという原理の説明がそれに該当する。真のお父様も最初の聖婚をされたが、復帰されたエバの立場に立てられた女性が摂理的使命を悟ることができず、どうしようもない状況となり、今の真のお母様と聖婚されたのである。そのようにして新しいエバを再び探さなければならない理由は、復帰摂理の最終目的である真の家庭を成すためである。つまり、子女を産んで新しい家庭を成すためのものである。

 

ところがお父様はすでに霊界に逝かれた。霊界に逝かれたお父様は新しい夫人を選択することができず、たとえ選択されたとしても、地上の女性と子女を産むことができない。したがってメシア顕現の根本目的である真の家庭を成すこととは何も関係もないことになる。まるでイエス様が家庭を成すことができずに十字架にかかり、イエス様を中心とした真の家庭理想の実現は再臨主の時にまで延長されたのと同じである。

 

真の父母の使命と真の家庭の安着は真の子女に移譲

しかし、真のお父様は真のお母様と共に14人の子女を生んで真の家庭を地上に実体化させられた。真の父母様が果たせなかった地上におけるすべての使命は、第2世代の真の子女たちに移譲されるのである。真の子女は真の父母様が残された種である。この種を中心に救いの摂理は継続されるのである。つまり、人類歴史において初めて真の家庭理想を実体化させる勝利的基台を真の父母様が立てられ、これを安着させる責任と使命は真の子女たちに伝授されることが原則である。

 

真のお母様は「独生女」を主張され、非原理的な道を歩まれることにより摂理的混乱をもたらした。真のお母様の最大の使命は、真の子女を育てて真の家庭を安着させ、人類救済の使命を引き継がさせ、神様の摂理が後世代に相続されるようにすることであった。子女としての私たちの真のお母様に対する姿勢はどうあるべきなのか。子女として、命をかけて真のお母様の間違った選択と行動を正すことに努力するべきである。

 

姜賢賓と一世元老たちの天宙史的犯罪

真のお母様が間違った道を歩まれるのでその位置に自分が立とうとする姜賢賓の行動は、原理的に容認できない天宙史的犯罪である。韓国で真のお父様に誰よりも先に出会った姜賢賓は、真のお父様が真の家庭を立てられるにあたり、どれほど苦労の道を歩んできたのか、真のお母様の路程がどれほど辛いものだったのか、誰よりも理解できる位置にいた。そして、真の父母様の勝利圏が意味するところが何であり、なぜ真の家庭が重要なのかについても、いくら高齢の老人であったとしても知るべきである。そのような提案があったとしても、自分がどのような資格を備えているかを振る帰って見なければならない。姜賢賓に一体どのような資格があるか。すでにずいぶん前に祝福を受けており、また、聖アウグスティヌスと霊界祝福を受けるという恩恵まで受けた既婚の立場にあった。果たして霊界の真のお父様が14人の子女を生んだ真のお母様を捨て、妻として迎えられるのだろうか、一人も子女を産んだことのない自身が、一滴の血も交えない地上の真の子女たちと実体的愛の関係を結ぶことができるか、自身の知恵で判断しなければならない。

 

劉正玉、江利川といった彼らは、真のお父様に最も近くで侍ってきた元老である。彼らのこのような非原理的な行動に付和雷同することは真のお父様に対する反逆である。再臨のメシヤである真のお父様の最大の遺産は真の家庭である。したがって、真のお母様の行為が非原理的であるならば、これを正すための努力をしなければならない。ところが彼らは、その家庭を保護するのではなく破壊する先頭に立った。真のお父様を離婚させ、真の家庭の長子権を破壊することに賛同した彼らの犯罪もまた、天宙史的犯罪である。劉正玉が摂理的意義とした浅く酷い論理は、摂理史の中において永遠の審判を免れることはできないだろう。

 

サンクチュアリ、天一国二代王の道化芝居を中断せよ!

彼は自身の天一国二代王の権威を高めるために、実の母親を否定して真の父母様を離婚させるという極悪非道を犯した。このような儀式は、真の父母様の勝利圏と真の家庭の安着、人類救済の摂理のためのものではなく、ひたすら自分の権威を高めるためのものでしかない。彼が家連合の世界会長だった時に見せた奇妙な行動と説教はすべて非原理的な内容であった。今も、王冠をかぶって銃を持つという奇異な行動は見る人に悪寒を与える。

 

統一教会の指導者は真実を伝える時がきた。驚天動地のこのような事態を見ても教会が沈黙することは、事態の本質が何なのかを語っているのである。彼をフランケンシュタインにしたのはまさに統一教会の指導者である。数年前までは、彼らは文亨進氏を後継者として擁立し、知らせることの先頭に立った。彼らは共謀者であり反逆者である。そんな彼らは、今、真のお母様の独生女、偶像化に余念がない。

 

統一教会の指導者には天一国二代王の道化芝居を中断させる能力がない。この道化芝居を中断させることができる力はサンクチュアリの信徒たちにある。彼に従うサンクチュアリすべての祝福家庭は、自分たちがどのような位置にいるか原理をもって見直してほしい。そうしてこそ、彼の道化芝居をこの辺りで止めることができる。そうでなければ、自分たちはもちろん、後世までもその代価から免れることはできないだろう。銃を持って王冠かぶるその姿に対する世の中の蔑視と嘲笑はその一部に過ぎない。天の審判は炎と怒り(Fire and Fury)になるだろう。

 

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櫻井正上さんの声明文(3/3)

2017-10-04 13:56:14 | 統一家の行くべき道

櫻井正上さんの声明文(3/3)


私はかつて母の行動を止めようとしました。それは母を「守ろう」としたからです。しかし、母が切な祈りの中で、自らの立場よりも、名よりも、生活よりも、自らの聖和のことよりも、神の理を思い、父母を思い、食口を思い、「私は父母から愛された者だ、日本教会の長女なのだから」と、自らの全てをかけてを上げようとする姿にれた時、これを止めることはできませんでした。

 

私も今、それと同じ思いです。私は日本教会を、これ以上、、神の理を進めようとする方を打つ側に立たせたくないのです!どうか、一方的で誤った情報を食口たちにえることを中してください。その責任は牧者の方が負うべきではありませんし、負って頂きたくもないのです!今からでも、この船の方角をえたいのです!お母を本に支え、食口たちを神の理の方向性へ向かわせることのできる方はだ !と、私は信じます。 

 

もし、皆さんがこのメッセジを、に分派の“毒”に冒された違いの叫びだと思われるなら、石を投げつけてくださっても構いません。しかし、もし皆さんの中に、“別の”を聞かれる方がおられるなら、周や偏見にとらわれず、“真実”を求めけてください。母の二つの書簡をはじめ、自らの信仰生命をかけて真実えようとしている人の言葉に耳を傾けてください!“財産泥棒”“食口泥棒”という汚名を着せられ、あらゆる迫害を受けながらも、必死な思いで私たちにきかけてきた、真実の言葉に耳を傾けて頂きたいのです!

 

また、真実を求めようとする食口たちがいるなら、それを罪しないでください。人は真実を求めるものです。皆さんもこの道にられる時、同じだったのではないでしょうか?本に“真実”に立っている側は、「見るな、聞くな、れるな」とは言いません。見て、聞いて、れて、祈って判せよ、と言うはずです。幼い二世や食口は別かも知れませんが、先輩家庭や年食口にして「あちらの集に行ったら罪人とする」などといった況は、“正常”とは言えないでしょう!

 

真実は周が認めるから真実になるではありません。たとえ周りの全員から反されようと、真実はそれだけで真実でしょう。私たちが御言を知る者であり、神を信じる者であるなら、真偽を見分ける判基準は、本部の見解でも、威ある者の言葉でもなく、“原理”であり、“神の理”でなければならないのではないでしょうか?また、自らが何を信じるべきかは“神”と“理”によって判しなければならないのではないでしょうか?私にとって、この行動はその結果でした。 

 

仮に、皆さん一人一人が自らの信じる“真実”をげ始めることで、この教会に“混”が生ずるのだとすれば、それは今、この教会が“本的な態でない”ことの現れではないでしょうか?私も“混”を恐れてきた人間です。しかし、もしそれが、この運動の本態を取りそうとする過程の中で生じる混であるなら、私は、その混を“避けてはいけない”と思うのです。

 

最初に記したように、この運動の方向性を誤らせた原因に、祝福家庭の言動や姿勢があったのだとすれば、私たち一人一人はこの問題にする5%の責任を負っています!それを果たさないまま、全ての責任をの家庭に負わせてはいけない、と思うのです。また、ただ信じて、沈し、傍することが、その5%を果たすことではない、と、私は思うのです。

 

今、私にとって大切なことは、自らのなる本心のを信じ、沈を破って、自らが信じる真実を、皆さんにえることです。一人のはほんの小さなものでしかないのかもしれません。しかし、それが真実から語られる言葉であり、であれば、人の心にもくはずです。また、一人一人のはどんなに小さくとも、それが一つのになるなら、“潮の流れ”もえることができるのではないでしょうか?

 

かつてのお父のように、年間、どんな迫害にも、苦難にも、誹謗中傷にも、わることなく、自らの抱いた信念を、真実を語りけ、叫ばれけた方の姿を見た時、また、その方の根底にあるものが、恨みでも、怒りでも、憎しみでもない、天にする、父母する、食口たちにする“の愛”であったことに付いた時、私にも、一つの悟が生まれました。

 

難しい時代、困難な時代だからこそ、“信仰”が求められるに違いありません。私は改めて神の導きを信じたいと思います。また、真実に立つ一人一人によって、この運動がこの難局を越え、立と混の時代を越えて、神の理の中で全てが一つとなる日がることを、心から信じてやみません。

 

 

2017年10月1日 櫻井正上

 

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櫻井正上さんの声明文(2/3)

2017-10-04 13:52:10 | 統一家の行くべき道

櫻井正上さんの声明文(2/3)  

ここから字数制限の関係上字体を明朝に改めます。



2001年に始まる天一時代は、子女と祝福家庭とが一つとなって、ご父母の勝利を受けぎ、天一創建に向けた最後の峠を越えて行く時代でした。その理が座礁した原因は何だったのでしょうか?が父母順屈服できず、財産を奪して飛び出した、と、本でそう信じておられるのでしょうか?私はたとえ年間であれ、から直接、指導を受け、その思想や信念、人格にれてきた人間です。教会から聞かされる像には、大きな“歪み”を感じざるを得ませんでした。

 

もしが自らの立場に固執し、父母の座を狙うような“政治的”な方であったなら、むしろ時、お父の元を離れはしなかったでしょう。それは誰が見ても“賢くないから”です!人の誤解や不信を買い、十年の信基盤を失うことにしかなりません。それよりも、“先代”に寄り添い、自らの立場をえていく方がよっぽど“賢い”でしょう。また、もし本に弟たちに嫉妬心をえたなら、むしろ何もせずに静観し、お父の傍らにあって、彼らを讒訴する機を待ちけたに違いありません。

 

は自らの信仰生命を賭して理を守り、父母統を守ろうとした…。それが、私自身が年にわたり、時の文書に目を通し、起こってきた事をもとに考え、その場にいた人を訪ね、議論し、祈り、真実を求めようとして至った結論でした。さらに言えば、そうしたと父母との間を引き裂いたのは、他ならぬ、私たち祝福家庭であり、私たちを代表する指導者たちだった!と、私は思います。

 

批判を恐れずに言うなら、“の父母宣布文”は、本、世に出てはいけない文書だったと思えてなりません。“の父母の指示と命令に絶する”のが、本に父母の打ち立てたかった“統一家の統”だったのでしょうか?私は違う!と思います。父母が一生涯を通して打ち立てられた統とは“の愛の統”であり、“神のみ旨のために生きる統”です。私はあの文書が最初に表された時、慄をえました。部の組織闘争にお父までんだ!と思えてならなかったからです。 

 

皆さんにもう一度、思い出して頂きたいのです!父母の結は“の家庭”であり、天一時代における中心的課題は“アベルの子女とカインの子女の一体化”にありました。時、天から見て“善・悪”があったとすれば、の家庭を守り、アベルの子女をお守りする側が“善”であり、の家庭の係に裂を生じさせ、アベルの子女を打つ側が“”だったはずです! 

 

周藤先生はかつてこうえられました。「祝福家庭はカインの子女として全存在をかけてもアベルの子女を守らなければならない…カインの子女がこの責任を果たせない時にはアベルの子女が牲となり、ひいてはに勝利されたの父母にしてさえサタンが打ってくるようになる…(成約理解P272)」

 

こうしたことは、かつての私たちにとっては“常識”でした。しかし、今や“の父母”のみを絶視し、“の子女”は相化され、天の理が“の家庭”にあったことなど、とうに忘れ去られてしまったかのようです。かつて、が公的に立たれ、これを中心に二世が立ち上がっていたあの時代、サタンが何よりも打ちきたかったのは、未へとく“の家庭の基台”でしょう。父母の勝利統を本で相しようとする未の指導者を、サタンは何よりも恐れたはずです!時、を激しく糾した一連の事件が“サタンの業”でなくて何だったのでしょうか? 私たちは全員で“の子女を打った”のです! あの時の私は、半ば真実付きながらも、“自分のような小さな者にできることなど何もない”として沈し、傍した“二千年前の弟子たち”と同じだったのかもしれません。 

 

お母を信じよう、必ず解決してくださるはずだ”…、私もそう考えようと努めました。が、起こってる現をみる時、深刻な思いにならざるを得ませんでした。“の父母”の勝利は“の子女”に相されなければなりません。原理的に見るなら、“父”の統を受けぐ“息子”を立てることこそ“母”の最も本的な使命であり、それを助けるのがカインの子女の務めではないでしょうか。

 

お母が今、語られる“生女”の御言にして、皆さんは本に心から納得しておられるのでしょうか?本にそれがお父の語ってこられた容と同じものに聞こえるのでしょうか?私は祝福の講義を担してきた者として、どうしても疑問を抱かざるを得ませんでした。批判しようと思ってきたのではありません。皆さん同、“苦”してきたのです。 

 

天聖が編纂された時、私たちは「お母はお父の御言に手を加えたのではない、ただ整理されたのだ」と明してきました。その後、お母が胎中聖別をほのめかす話をされた時、本部では「血統換を意味しているのではなく、お母の出生の値を調されたのだ」と解してきました。しかし今や「お母の無原罪誕生」はほぼ公式見解となり、異論を唱えるのもはばかられるようになりました。

 

今後、「お父には原罪があった!」とされても、「お母の御言なのだから信じよ」となるに違いありません。お母がそれを語られたのは“事”だからです! 付かぬうちに、私たちが値視すべき原理や信仰の根幹がずれてきているように感じるのは、私だけではないはずです ! 

 

信仰の長い方は、こうも言われます。“私たちがそれを指摘したところでお母が考えをえてくださるではないのだから、たとえ間違っていようとも、侍って行くことが子女の道理ではないか” と。しかし、本に、ただって付きうことが“お母のため”なのでしょうか? 

 

私はお母を愛する者です。二世である私にとって、父母は、御言を知る前から父母でした。しかし、お母を愛することと、お母を神格化して無批判的になることとは違うはずです。また、私はお母のお父する深い愛情を信じる者です。しかし、そのことと、お母の語られる言葉と示される方向性とがお父の原理・摂と一致しているかは別の話ではないでしょうか?どこまでも“神の理”の方向に向かってお母を支え、共にむことが“子女の道理”ではないでしょうか? 

 

統一運動は“神の理”に生き、それを果たそうとする運動でした。私たちは、父母を崇めて天に行こう、という宗を信じてきたのではありません!父母の生き方を相し、神の願いに生きようとする群れが統一家であり、それが私にとっての統一運動でした。いつから、の父母の“一代記” を信じ崇める信仰集へとわってしまったのでしょうか? 

 

HJ 天苑は誰のためのプロジェクトなのでしょうか?食口のためでしょうか?世界平和のためでしょうか?それを見た人が、本に心から父母を慕い、そこに“神の理”を感するようになるのでしょうか? 私は平の地に新たな建造物が立ち並んでいく姿を見る度に、喜びや感動よりも“痛み” をえました。私の信仰のなさ故でしょうか? 食口たちの苦と窮を知る牧者の皆さんなら、同じような思いを抱かれないでしょうか? 

 

の父母の生涯の結は、天一の起点は、荘厳な建造物などではなく、“の家庭”であり、“祝福家庭”であるはずです!私たちの運動の本質が、“行き先”が、わっててしまっているのではないでしょうか? 私は日本教会の改革の努力を否定したいのではありません。教会改革、祝福推進、環境創造…、それは私が最も成したいことであり、皆さんと共に、夜なく、力をくしてきた容でもありました。しかし“船の中”の改革を必死に進めたとしても、もしその船の“行き先”が間違っているとしたら、そうした努力はどこに結し得るのでしょうか? 

 

私は今回の祝福が終わったら、またその一連の業務を終えたら、“表”を出そうと考えていました。その間、責任者の方に、自らの思いや危するところをえてきましたが、する姿勢も、UCI訴訟も、生女理論も、HJ天苑プロジェクトも、それらは全て“大本”の方針であって、日本教会でどうこうできる問題ではありませんでした。

 

組織の方針を受け入れられないなら、己の信念を貫きたいなら、自らが潔く、かに身を引くのが組織人としての筋でしょう。しかし、表を書き上げてみた時、思いました。これは本の意味で、責任ある行動ではないんじゃないか!と。“行き先が違うから”と言って、“家族”をし、自分だけ“船”から降りるという選ができるのか!と。私にとって、食口たちは“家族”です!苦の中を、共に“神の御旨”を果たそうとんできた方に他なりません。

 

私はこれまで、こう考えてきました。もし仮に家庭連合が“セウォル”であるなら、私は最後までその改革に死力をくして共に沈もう、と。この思いは、多くの牧者の方の思いと同じでしょう。それが“船員”としての道理なのかも知れません。しかし、私は今、思います。“船員”の本の使命とは“客”の命を最後まで守り、彼らを“目的地”にけることなのではないだろうか!と。私たちは“船”を守ろうとするあまり、本質的なことを見失っているのかも知れません。私たちが“船”にんだ理由は“目的地”のためでした。“客”もまた同じであり、彼らをその目的地まで運ぶことが“船”の目的であったはずです!

 

食口の“的生命”を守るため、と言うなら、今、この家庭連合の“本丸”がどこに向かっているのか、食口たちの汗とと精誠が、日本教会革の努力が、本に神の理に直結しているものなのか、とことん追求しなければならないのではないでしょうか?それが“船員”の務めであるはずです! 

 

無論、現にあって、食口たちが求めているのは義論真実の追求ではないのかも知れません。苦の中にあって、彼らが欲しているものは癒しであり、慰めであり、身近なサポトであることを、私もよく知っています。目の前にいる一人を助けることがこれまでの私の務めであり、私にできる唯一の貢でした。しかし、どんなに心をもってくしたとしても、食口たちを導く“行き先”が誤っているとすれば、また、私たちが食口たちを誤導してしまっているのだとしたら、私たちは何をもって、彼らの“的生命”に責任をもつことができるのでしょうか? 船員が何よりも見失ってはならないものは、彼らを導く“目的地”であり、“行き先”ではないでしょうか? 

 

思えば、がかつて私たちにえてくださったことは“の行き先”についてでした。は“自分に付きうこと”を私たちにえたのではなく、私たちが共に“神の御旨”を見つめ、その御旨に生きることをえてくださいました。父母を愛するということは、父母に名前をえられ、愛されることではなく、父母が生涯をかけて果たそうとされた“神の願い”を果たすことであり、その御旨に生きることだとえてくださったのです! 

 

がお父に異を唱えることも躊躇わなかったのは“神の御旨”にして真剣だったからだと、私は思います。弟の子女方の言動を深刻に見つめられたのも、この運動が“行き先”を見失うことを危されていからだ、と思うのです。かつて教会側が躍起になってへの批判キャンペンを展開していたっ只中でさえ、心はただ、お父のご存命中に、また基元節までに“どうお父の悲願を果たすか”だけだったように思えました。時、側のメンバと議論する度に思い知らされたのです。にとっては、ご自分の真実を明かすことよりも、父母の願い、神の理を成すことのほうがよっぽど大切なことなのだ!と。は言わば、この運動の“行き先”のために、自らの首をかけてってられたのです! 

 

私は心を決めました。真実とそのを食口たちにけます。の語る言葉に真実と原理を見出し、指し示す方向性の中に“神の理”を見るからです。「お母を守らなければならない」と語る指導者たちの孝情よりも、悲痛な心情で「お母を“勝利されたお母”として立てて差し上げなければならない !」とされるの中に“本物の孝情”を見るからです! 

 

もし兄弟たちが誤った方向に進もうとするなら、を荒げてでもそれを食い止め、万一、親が方向性を見誤るようなことが生じたなら、自分がどう言われようと、必死になって、それを食い止めようとするのがの孝子ではないでしょうか? は「自らの力をもってお母威に挑もう」というような、そんなレベルの低い方ではありません!お母を最後まで背負って、御旨をまれる方です! それが、私がその間、見聞きし、感してきた真実の姿でした。 

 

私たちが作り上げた歪んだ情報と“城壁”ゆえに、また相次ぐ分派闘争によるトラウマゆえに、その方の言葉が食口にかなくなってしまっているのだとすれば、それを正しくけなければならない…、そう思いました。その間、まない日はありませんでした。しかし、何度祈っても、拒んでも、躊躇っても、恐れても、私のく示される思いはそれでした。 

 

 

 

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全国の牧会者の皆様へ(日本二世櫻井正上)  櫻井家のお兄さんが発表した全国牧会者に宛てた声明文

2017-10-04 13:28:06 | 統一家の行くべき道

既に数多くのブロガーの皆さんが当ブログ村に掲載している「会者(日本二世櫻井正上)」の声明文です。

HOPE管理人(Y)も読ませていただきました。

篤い心と、真摯な心に触れることができて、深く感銘させていただいています。

やはり、統一家の統一丸は行き先が問題のようです。

顯進様に関する誤った情報が統一丸の乗客である教会員、食口たちを支配してきていたようです。

真のお母様に関しても、本当にお母様のことは心配し、お母様を本来の位置で愛し守って差し上げようとしているのは誰なのか、はっきりわかるようです。

この声明文は、日本家庭連合の全国の牧会者に宛てたものですが、一般食口や、様々な立場を保持している人たちにも真摯に受け止め読んでもらいたい内容です。

特に、二世のリーダーたちは正上兄の真摯な声に耳を傾けてほしいものです。櫻井正上兄は日本の二世のリーダーの中でも格段に信頼の篤い方でした。素直にその声に耳を傾ける二世のリーダーはたくさんいるものと思われます。

今、統一家はそのかじ取りを大きく変えて行くべき時が来ています。混沌と矛盾で行き場を失って彷徨する時は過ぎ去っていっています。

善悪、正邪が明らかになって行く時代です。正義と不正義が明白になる時代です。本物と偽物が分けられる時代でもあります。

今回の櫻井正上さんの声明は、新しい時代が訪れていることの大きな証でもあると思います。

『目覚めよ!』全国の牧会者、二世たち、そして古参の食口たちも すべてが目覚めて新しく出発する時が来ているようです。




以下、櫻井正上さんの声明文です。


会者(日本二世櫻井正上)

 

 

その間、胸に秘めてきた思いがありました。その思い故に、長い間、出口のない袋小路に迷いみ、答えのない問いかけを、知れず、繰り返してきました。ここに記すことは、そうした年間の苦と祈りの果てに辿り着いた私自身の結論であり、その間、私の底にありけた、らざる本心の叫びです。

 

周知の通り、我が家はいつからか“渦中の家庭”になりました。弟が、また母が、教会の志向するものとは別の方向に進み出したからです。しかし、私が見る時、彼らに問題とされる要因があったとすれば、それはただ、“真実を追求したから”に他なりません!

 

私は母よりも先にという方に出い、その指導にれました。また弟が支持を表明し、活動を始める前から、側の情報にれていました。親しかった韓の先輩たちがに付いて行った際、幾度となく、彼らと議論を交わし合ったからです。そのため、私は分前から、教会で言われる容が、事と大きく異なっていることに付いていました。いえ、もっとはっきり言うなら、私は“が愛の減少感ゆえに飛び出した”とか、“お父の前に自己否定できなかった”という話がどれほど“真実”から遠いものであるかをく感じてきた者の一人です! 

 

にもかかわらず、私が沈しようと思ったのは、多くの方の家庭の課題は私たちがれていい容でも、解決できる問題でもなく、必ずや子女御自身が、お父が、お母が解決してくださるものと信じたからです。しかし、それは違いました。この問題は“の家庭”だけの問題ではなく、私たち祝福家庭を代表する指導者たちの問題が深くわっているからです ! 

 

もし問題の端が“父母と子女との間の心情係”にあったなら、そこで解決すべきでしょう。もし問題の原因がの家庭の“兄弟間の葛藤”にあったなら、そこで和解して頂くほかありません。しかし、もし、この一連の問題を引き起こし、深刻化させた要因が“私たち自身”の信仰姿勢や言動にあったなら、この問題解決にする責任の5%は“私たち”にもあるはずです!少なくとも、私はその責任を果たそうとはしてきませんでした。或いは、自らにえられた職分をこなすことを“口”に、問題を“傍”してきてしまったのかも知れません。 

 

私がこんなことを訴えたところで、現場の理に何の益があるのかと言われるでしょう。分派闘争むな!と思われる方も多いに違いありません。しかし、私は今、改めて思います。これはなるお家動でも、分派闘争でもありません。神の理の終着点は“の家庭”であり、神とサタンの一線もそこであって、これが今後の統一運動の方向性を決する一線だと思うのです ! 

 

もし、私たちが分派だ !として叩いてきた相手が、神の理の中心に立っている方であり、もし私たちが自らの固定念と信仰をもって打ってきた相手が“神の言葉”を語っている方であり、もし私たちが二千年前、イエスキリストをの化身として民衆にえてきたパリサイ人、律法者のような立場に立っているとしたら、私たちは神の理の前に重大な“罪”を犯す立場になり得るのです! 

 

もし、今のの家庭の態と統一運動の方向性に、何の問題も感じていないと言われるなら、私に言えることは何もありません。しかし、一人の信仰者として、率直に、深刻な事態が起こっていると感じておられるなら、この問題の端がどこにあり、それらが何に起因し、何を正さなければならないのかを、もう一度、深刻に見つめ直してみなければならないのではないでしょうか? 

 

<続く>

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