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「基督教と理性とを調和する所の思想を構成し、之を世に伝ふることが私に恰好の仕事」

2017-04-27 | 深井智朗『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 4月27日(木)11時44分24秒

今日になって気づいたのですが、深井英五『回顧七十年』は「国会図書館デジタルコレクション」で全文が読めるようになっていますね。
ま、そうはいっても参照の便宜のため、重要と思われる部分を適宜文字起こしして引用したいと思います。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043448

私の当面の関心は、欧米の伝道団体が相当の人と資金をつぎ込んで援助したにも拘らず、何故に日本におけるキリスト教の布教が進まなかったのか、それなりの信者数を獲得したとしても人口比では微々たる割合に留まったのは何故なのか、というものです。
当掲示板には殆ど反映させなかったものの、去年、群馬県その他若干の地方でのキリスト教布教の歴史を概観し、この問題についての自分なりの結論は既に出しているのですが、それを深井英五の回想に照らして確認しておきたいと思います。
さて、まずは深井英五がキリスト教に入信した経緯ですが、深井自身は次のように説明しています。(p20以下)

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第三章 人生観、基督教、新島先生

 郷里に在りし幼少の時に於て、私の心境の発育に最大の影響を与へたのは、父景忠の外には、堤辰二先生であつた。【中略】
 又堤先生は、自ら英語に通ぜざるを遺憾とし、私には是非之を学べと勧めた。私はその勧めに従つて星野光多先生の教を受けるやうになつたが、更らに之を機縁として一たび基督教を信じたことは私の一生に於ける大事実の一である。星野先生は矢張群馬県の沼田より出て、横浜に於て米国宣教師と交はり、其の教を受けた。さうして私の従兄弟菅谷正樹(前掲清允の子)の知人たりしことを後から知つた。先生から伝へられた所の基督教は、狭く統一せられたる米国風の教理と先生自身の宗教的体験に立脚するものであつた。私が洗礼を受けたのは多分十四歳の時であつたと思ふ。当時信仰の友として最も親密であつたのは、同藩士にして同齢の長坂鑑次郎である。彼は後に同志社神学校に学び、組合教会の牧師となり、敬虔熱情を以て教化に力を効しつゝある。
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星野光多(1860~1932)は東條英機内閣の内閣書記官長・星野直樹(1892~1978)の父ですね。
また、南原繁の最初の妻、星野百合子の叔父でもあります。

「内閣書記官長・星野直樹」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a2bf1221bfa7d693795a7266fc53eb49

入信の経緯の次は入信の理由についてですね。(p22以下)

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 星野先生との接触が捷く私を基督教に帰依せしめたのは何故であらうか。当時の自覚は只単純に基督教を真理と認めて信仰したのだが、今から顧みて其の因縁を考へて見るに、時勢の波にさらはれて失墜せる武士の貧しき家庭に生まれ、父の感化によつて気位ばかり高く、其の矛盾に悩んで居るところへ、堤先生の哲学談の影響も加はつて、何か安心立命の基礎たるべき理念を求めつゝあつたのだらう。人生の根本的心構へたるべき訓誨や格言を種々断片的には聞いたが、纏つた世界観又は人生観として最初に私の逢着したのは基督教であつた。神を父とし、人類を同胞とすると云ふ倫理的世界観が先ず私の心を惹き付けた。それから植村正久氏の「真理一班」等を読んで其の思想上の根拠を求めた。秩序ある万有の究極原因は、盲目的の物力にあらずして、霊的存在たる造物主でなければならぬと云ふ所謂意匠論の推理で神の存在が証明されると思つた。神霊を第一次的存在と看れば、万物の本体を把握せんとする哲学上の希求も満足される。それは堤先生の語りたる唯心論的哲学と共通する所もある。此の大綱に感動して信仰が起つたのであらうと思ふ。尤も基督教会の信条中には理性に抵触するが如きものもあつて、之を受入れるには多少の摩擦を感じたが、信仰の燃ゆるときには、総て高遠なる神の意図によることゝして一応片付けられた。而して基督教と理性とを調和する所の思想を構成し、之を世に伝ふることが私に恰好の仕事であるとして、其処に生存の意義を発見したやうに思つた。此の時に同志社に入学する途が開けたのだから、喜び勇んで之に赴いたのである。
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後付けの理屈も多少あるのかもしれませんが、14歳でここまで考えていたとはたいしたものです。
深井は「新島襄先生が群馬県に帰省したとき、ブラウン(Browne)夫人と云ふ米国の友人から寄託されて居る奨学金を支給して同志社に入学せしむべきものを物色」(p10)した際に、星野光多の推薦で同志社に行くことになります。

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