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鴎外の「序文」代筆の先行例?

2017-04-13 | 深井智朗『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 4月13日(木)11時10分31秒

>筆綾丸さん
コプト教は宗教芸術の面でも独自の優れた伝統を有していますね。
素朴な味わいのある絵画や刺繍など、私はけっこう好きです。

『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』の深井氏による「解題」で、前回紹介した部分の少し後ろに、

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 またこの新教神学校の学生であった赤司繁太郎は、在学中にシュピナーの影響でレッシングを読むようになり、一八九二年三月三日に東京の一二三館より『独逸文学の大家 烈真具』を刊行している。その時赤司は一九歳であった。ところでこの小さな書物に序文を書き、その内容を高く評価したのは一八八八年にドイツ留学から戻った森鴎外であった。鴎外はその頃『しがらみ草紙』に「戯曲折薔薇」というタイトルでレッシングの「エミーリア・ガロッティ」を翻訳し、さらに「レッシングが事を記す」と題する解説をも掲載していた。両者がどのようにして知り合ったのかは今日なお不明であるが、新教神学校の場所が、鴎外がかつて一〇代で上京しドイツ語を習った進文学社の近くであり、そこがドイツの最先端の哲学や神学を教える学校であり、彼がしばしばこの場所に出入りしていたことを考えるならば、二人の出会いは不自然なことではない。赤司と鴎外の交流は生涯続いた。
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とありますが(p275以下)、これを読むと筆綾丸さんが以前紹介された田中耕太郎によるキューゲルゲン『一老人の幼時の追憶』の「序文」代筆を思い出してしまいますね。
深井氏は赤司繁太郎と鴎外の「両者がどのようにして知り合ったのかは今日なお不明」と書かれていますが、血気盛んな赤司が自著を鴎外に持参して序文を書いてくれと依頼したところ、<鷗外は快よく承諾してくれたが、その文章はそちらで書くようにとのことであつた>可能性も高そうです。
赤司は1862年生まれの鴎外より11歳年下ですね。

赤司繁太郎(1873-1965)

鷗外の序文を代筆した男(筆綾丸さん)
尾高朝雄と田中耕太郎

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Palm Sunday 2017/04/11(火) 15:47:53
小太郎さん
深井智朗牧師の誕生の背景には、深井英五が学んだ同志社の影響があるのでしょうね。
「父の八二歳の誕生日に」(あとがき)とありますが、ご尊父も牧師かもしれないですね。

キラーカーンさん
ラテン語の「cuius regio,eius religio」などを踏まえつつ、新プロテスタンティズムと古プロテスタンティズムに関するトレルチ説の紹介がありますが、深井氏の『プロテスタンティズム』は読まれましたか?

http://www.bbc.com/news/world-middle-east-39544451
https://en.wikipedia.org/wiki/Anba_Angaelos
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9E%9D%E7%A5%AD
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In the UK, the General Bishop of the Coptic Orthodox Church, Bishop Angaelos, condemned the "senseless and heartless brutality" of the attacks.
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BBC によれば、英国にもコプト正教会があるのですね。
コメント
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