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『ヴァイマールの聖なる政治的精神─ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』

2017-04-07 | 深井智朗『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 4月 7日(金)10時34分34秒

『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』第6章で、深井氏は森鴎外の「かのやうに」に触れた後、「一八七一年のドイツの統一とプロテスタンティズム」についての説明に移りますが、ここも本書の中で非常に重要な部分ですね。
ただ、この内容は深井氏の『ヴァイマールの聖なる政治的精神─ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、2012)の「プロローグ 聖なる政治的精神─近代ドイツ・プロテスタンティズムの二つの政治神学」を若干簡略化したものなので、後者から少し引用しておきます。(p2以下)

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1 一八七一年の政治神学

 「遅れていた大国」ドイツが一八七一年に悲願の統一を果たした際、この新しく生まれた帝国〔ライヒ〕は、統一国家としてのグランドデザインを、プロイセンの宗教としてのドイツ・ルター派の神学者たちの政治神学に期待し、託した。すなわちドイツ・ルター派は、いくつもの領邦〔ラント〕を統一して誕生した帝国を精神的にも統一するためのナショナル・アイデンティティーの設計と、この統一の政治的道徳性を証明するための政治神学の構築を任されたのである。それ故に、一八七一年の新国家成立をプロテスタント的な出来事であると解釈する「政治神学」の登場は、プロテスタンティズムの陣営の独善的な主張であっただけではなく、それは同時に政治的要請であった。
 わが国の研究ではそれほど注目されてこなかったが、一八七一年の政治的事件を、人々はむしろ好んで「神学的に」解釈していたのである。たとえば新しく誕生した帝国は、同じドイツ語圏であるオーストリアを排除し、フランスとの戦争に勝利することによって成立したが、ドイツ・ルター派の神学者たちは、「小ドイツ主義」を主張したドイツ国民協会寄りのリベラリストを援助して、新しい帝国はカトリック国であるオーストリアと、「一七八九年の理念」(すなわちフランス革命)を体現する不道徳で宗教的な正統性も持たないフランスを打ち破って成立したのだと主張し、彼らの政治的プログラムのために有効な援護射撃をすることができたし、そのための努力を惜しまなかった。それは「政治神学」という名の「国家神学」でもあった。
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ということで、オーストリア排除を合理化し、フランス・イギリスに対抗できる理念として「ドイツ的なもの」の淵源が探求され、ルターと宗教改革が見出される訳ですね。
上記部分の少し後を更に引用してみます。(p3以下)

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 ヴィルヘルム二世の時代に彼の正枢密顧問官となったこの時代の代表的なルター派神学者であるアドルフ・フォン・ハルナックは、帝国のナショナル・アイデンティティー創りに苦労していたリベラル・ナショナリストたちに対して「一七世紀のピューリタン革命より、一八世紀のフランス革命よりも早く近代的自由を主張したマルティン・ルターの宗教改革」という政治神学を提供したのである。人々はこのような政治神学に特別な違和感を持つこともなく、むしろその中に政治的妥当性を見出すようになっていた。つまりこの時代、マルティン・ルターとその宗教改革の精神は、神学的にというよりは、政治的に再発見されるのである。そして神学とドイツ・ルター派は、このようなルターの政治的利用を裏付けるために、宗教改革とマルティン・ルターの研究を急遽再開し、その研究を政治的な言語に再構築したのである。この時代のルター研究の復興は決して純粋に神学的な関心によるものではなく、むしろ国策とそれに呼応した世論の興隆によるものであった。そこで政治的に再発見されたルターは、近代的なヨーロッパの起源であり、近代的自由の思想の出発点であり、ドイツ精神の源流とされたのである。これを「政治的ルター・ルネッサンス」と呼ぶことができるであろう。このような社会史的な視点なしには、この時代に急増したルター研究の意図を正しく理解することはできないであろう。
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このあたりの説明で「かのやうに」に登場するハルナックの位置づけが明確になってきますが、興味深いのはハルナックが決して伝統的なルター派エリートではなく、むしろ地域的には周辺、というか辺境から出てくることですね。
少し長くなったので、ここでいったん切ります。

Adolf von Harnack(1851-1930)

>筆綾丸さん
いえいえ、筆綾丸さんにきっかけを作っていただいたおかげです。

>「等族」
私もドイツ史に疎いので手探りでいろいろ当たっている状況ですが、「等族」は西欧史の世界では定着した訳語のようですね。

等族国家

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

花見 2017/04/06(木) 16:03:22
小太郎さん
深井智朗氏『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』は、ご指摘のとおり、優れた書ですね。勉強になりました。(なお、前の投稿において、Luthers は Luther の間違いです)

ご引用の少しあとに、
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「古プロテスタンティズム」の場合には、国家、あるいは一つの政治的支配制度の権力者による宗教市場の独占状態を前提しているのに対して、「新プロテスタンティズム」は宗教市場の民営化や自由化を前提にしているという点である。(112頁)
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とありますが、「宗教市場」という語に若干の違和感を覚えました。ドイツ人研究者の間では Religionsmarkt という形で、ごく普通に用いられているものなのかどうか。また、「帝国等族(帝国議会で投票権を持つ諸侯、帝国都市、高位聖職者)」(40頁)の「等族」は、日本語として変な感じがしました。

ルターの破門(1521年1月3日付)について、「この破門は今日にいたるまで解かれていない」(64頁)とありますが、もし破門が解かれることにでもなれば、ドイツ人には大事件になるかもしれないですね。

昨夜、遅くまで花見をしていて、風邪をひきました。
一片花飛減却春   杜甫
コメント
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