Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

カルロ・クリヴェッリ『受胎告知』(1) -クリヴェッリの遍歴-

2006-02-13 | 芸術礼賛
さて、ここらで大風呂敷を広げよう。
lapisさまのご希望により、カルロ・クリヴェッリ祭りの開催をここに宣言致します。
しかしだ。
画像や図版が容易に手に入るわけではないモノどもを相手にしたお話を詳細にわたってするのには限界がある。というのをよい言い訳にして、アスコリの受胎告知図を巡る解釈とエピソードに絞ることによって、画家と作品の簡単な紹介というところに留めたい。

現時点の予定(思いつき、ともいう)では「画家クリヴェッリの遍歴」「当時の情勢と作品製作の経緯」「イコノロジーの示す宗教性と歴史性」と追ってゆくことにより、当受胎告知図の特異性が明らかになればよしとしたい。


【作品来歴】

『受胎告知』 207×146cm 1486年  ナショナル・ギャラリー,ロンドン
       テンペラ,板(現在はカンヴァスに移行)

1486年 アスコリ・ピチェーノのサンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂に置かれる。
1811年 ナポレオン軍により没収、ミラノのブレーラ美術館に移送。
1820年 作品の状態が悪いという理由で他作品との交換、古美術商A.L.de Livryの手に渡る。
1821年 ロンドンの個人収集家Sollyに売却。
1847年 個人収集家Gravesに売却。
1864年 ロンドン・ナショナル・ギャラリーに寄贈。
1881年 支持体のパネル板劣化の為、カンヴァスに張り替えられる。


【画家クリヴェッリの遍歴】

(1)ヴェネツィア期
 クリヴェッリについての最初の記録は、1457年3月7日のヴェネツィアにおける裁判記録(船乗りの妻を誘惑、数ヶ月に渡り同棲した罪)である。この中で彼は既に「画家」と明記され、更に女性を囲うだけの経済力があったことから推測するに、当時20歳以上であったと考えられ、そこから逆算したクリヴェッリの生年は1430-1435年頃とされる。この罪で実刑を受け、その結果クリヴェッリはヴェネツィアを去ったと考えられているが、その後1465年にダルマティア(現クロアチア)のザーらに足跡を残すまでの消息は不明。以下、既往研究による推測。

 クリヴェッリは、ヴェネツィアで同じく画家であった父ヤコポ・クリヴェッリから最初に絵画の基本を学んだと考えられている。その後、ミケーレ・ジャンボーノの弟子であったとする説、ヴェネツィアのヴィヴァリーニ工房の徒弟であったとする説、その他諸説あるが、一般的な説は後者である。ビザンティンの影響を最も強く受けたヴェネツィアであったが、ピサネッロとファブリアーノの来訪により、定型化された様式に変化が生じた。その結果、ルネサンスの流れを汲むベリーニ工房とヴェネツィア風味と優雅なゴシック要素を強く残すヴィヴァリーニ工房の二つが発展した。
1468年から1473年にかけてクリヴェッリが製作した、金色を多用した8点の多翼祭壇画は、少なからずヴィヴァリーニ工房の特色を示しており、当工房で彼が修行時代を送ったという説の根拠とされる部分である。


(2)パドヴァ期(※類推)
 ヴェネツィア風の多翼祭壇画を製作していたのと同時期、1460年に製作された「聖母子(受難の聖母)」は、ヴィヴァリーニ工房の様式と全く異なるだけでなく、スクァルチォーネ工房の徒弟であったジョルジョ・スキアヴォーネがほぼ同年代に製作した「聖母子」と著しく類似している。その他、スキアヴォーネのパドヴァ滞在前後の諸作品との類似及び花綱やトロンプルイユなどパドヴァ地方の特色である様式が彼の作品に見られることなどから、クリヴェッリはヴェネツィアを去ったあとパドヴァのスクァルチォーネ工房に入ったと推測され、この推論はほぼ確実と考えられている。
尚、スキアヴォーネが1461年に既にザーラに居た記録があること及び、同じくスクァルチォーネ工房に居たマンテーニャやコズメ・トゥーラの作品とクリヴェッリのそれとの類似が薄いことなどを根拠として、クリヴェッリが1460年前後の早い段階でスキアヴォーネと共に工房を去りザーラに移住したのではないかという仮説が成り立つ。

(3)フェルモ~アスコリ(マルケ地方)期
 クリヴェッリの年記のある最初の作品は1468年の「マッサ・フェルマーナの多翼祭壇画」であり、フェルモのパトロンから依頼されたものと考えられる。この時期には既にマルケ地方のフェルモに移住していたと推測される。この時期の作風の特徴は、それまでの流れを汲みつつも、遠近法の実験や自然な人体表現などを取り入れて独自の解釈を加えた表現に変化している。フェルモでは合計3点の祭壇画を製作しているが、その結果この地域における評判を高め、マルケ地方を転々として製作を続けた晩年の基盤をこの時期に築く結果となった。
恐らく1468年以前から1470年前後まではフェルモを拠点として活動し、1470年を過ぎて間もなくアスコリ・ピチェーノに活動拠点を移したと考えられ、1486年には今回取り上げた「受胎告知」の製作をアスコリ市から依頼されるに至る。



参考ホームページ Carlo Crivelli
関連記事 カルロ・クリヴェッリに見る孔雀。

最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感激です! (lapis)
2006-02-13 23:27:55
早速、リクエストの答えていただき、ありがとうございます。お祭りは、大歓迎です。(笑)

『受胎告知』の来歴、はじめて知りました。昔、ナショナル・ギャラリーに行ったとき、このことを知っていたらより興味深くこの作品を鑑賞できたと思うと少し残念です。

『カルロ・クリヴェッリ画集』の吉澤京子の解説をのぞくと、日本語でこれだけ詳しく書かれたクリヴェッリ伝は他にないのではないでしょうか。素晴らしいです!

しかも、続きまで予定されているので、とても楽しみです。

こちらからもTBさせていただこうとしたのですが、上手くいきませんでした。後ほどあらためてTBさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
返信する
見たはずなのに・・・ (alice-room)
2006-02-13 23:44:29
うっ、記憶に無い。行ったのにナショナル・ギャラリー…。なんかすごく勿体無いことした気分です。

でも、楽しく拝見させて頂いてます。これを機会にお勉強させてもらおうっと。どうも有り難うございます(ペコリ)。
返信する
悔しいのは (マユ)
2006-02-13 23:47:18
>lapis さま



悔しいのは、lapisさまがトレヴィルの画集をお持ちであることです。

吉田氏と私それぞれが、当時入手可能だった正当なクリヴェッリ研究書であるZampettiとDavisを同じく基礎文献としているので、画家の遍歴部分の解釈については差が出ないのです。残念。特異な解釈をしている文献もありますが論拠に乏しいものが多く、吉田氏と同じところに落ち着いてしまいました。



よって、今日はいまひとつ愉しめなかったと思いますが・・・次回に期待。(※次回が失敗したら次々回に/笑)
返信する
お代は幾らかな? (マユ)
2006-02-13 23:52:02
>alice-room さま



祭りを継続させるためにも、勉強代を・・(笑)

私はナショナル・ギャラリーに行っていません。ロンドンへの往復チケットを取るまで準備したこともありましたが、イラク開戦秒読みになり、断念しました(※旅行会社の人間だったので自重して。自由な身なら行ってます)。

本当なら図版をぼこぼこ並べて解説したいところですが、キリがないのと調子に乗って凄いボリュームになりそうなので、ナシにしました。結果として、読みにくくご不便をお掛けするかと思いますが、どうぞご容赦を。
返信する
初めまして♪ (Megurigami)
2006-02-14 00:05:11
マユさん、TBいただきありがとうございます。



クリヴェッリに詳しい方がいらして、とても嬉しい限りです。先日、図書館でトレヴィルの画集を買って読んだばかりで、自分のブログでも記事にしなければ~と思いながら過ぎる日々(^-^;



今現在、Ronald Lightbownの書籍が届くのを心待ちにしているところです。早く読みたいなぁ。。。



これからもどうかよろしくお願いいたします♪
返信する
ご訪問有難うございます。 (マユ)
2006-02-14 00:10:02
>Megurigami さま



早速のご訪問有難うございます。

あぁ、買っちゃいましたか、アレ。では、お揃いですね(笑)

とはいえ、時間がないのと英語が苦手なので放置したまま、飾りとなってしまっております。本当なら、近年にどれだけクリヴェッリ研究が進んだのかを見てみたいところなのですが。

今後とも、どうぞ宜しくお付き合い下さいませね。
返信する
出ました! (seedsbook)
2006-02-14 01:58:36
こんばんわ。

受胎告知の絵が何故こんなに魅力的なのか?

今私の手元には小さい画集ですが100の受胎告知が掲載されている画集があります。

クラヴェッリの話興味深く拝読。

ナショナルギャラリーで見たときにはちゃんと見ていなかったし、残念。そのうちに又きっと。。。



返信する
出ましたよ (マユ)
2006-02-14 23:17:58
>seedsbook さま



また、お化けみたいに(笑)



私の手元にも、ほんとに小さいのですがPHAIDON社の受胎告知画集(100以上あるのかな?)があります。

受胎告知は、何故だかいくら見ても飽きません。多分、だからこそ多くの画家がその画題にトライし、しかも何通りもの受胎告知にトライしたのでしょう。

中学生の頃に魅了された受胎告知の世界は、今でも同じだけずっと魅惑的で、私を放してくれません。
返信する
そうです。 (seedsbook)
2006-02-15 02:29:11
その画集。ポケット画集。同じものです。



他にもモチーフ別に出てるけれど、この受胎告知のが一番面白いと思います。



なあんだ、持ってたのね。

何時かマユさんに会う事が出来るときにはこれお土産かしら?何て思ってたのに残念でした。(笑)
返信する
やっぱり! (マユ)
2006-02-15 22:43:58
>seedsbook さま



もしや!と思って書いてみたら、やはり!

表紙のキンキラと掌サイズが愛らしくて、一昨年に書店で見かけて即購入してしまいました。本棚の中で傾いたままになっていたので、本自体が歪んで傾いてしまいました(笑)



同じ本に惹かれ、別の時間に同じ本を購入し、愛でている方がいる。そのことを知ると、遠いドイツがすぐ手の届く距離のように感じてしまうから不思議です。
返信する