Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

ミントにレモンパイ

2009-09-01 | 春夏秋冬
  もんしろちょうちょと レモンパイ 
  おんなじ匂いと うたってた     (サトウハチロー)



 一面にわさび田がひろがる湧水のほとりに、そこだけまるで冥界みたいにモンシロチョウが群れていた。
彼らはミントがお気に入りで、爽やかなライムグリーンの葉の上にこぢんまりと咲く白い花をケンケンパするように跳び移っていた。緑地に白の斑点がゆらゆらとする景色の端々に、橙色のヒョウモンチョウが少しだけ混じっていた。わたしは両の掌でそれを包むように捕まえては、まあるく膨らませた指と指の間をちょうちょがちょこちょこと潜って出てきては、やれやれという感じで飛び立ってゆくさまを幾度かに分けて愉しんだ。

 レモンとミントの組み合わせだなんて、夏のおわりには少し爽やかすぎるかもしれないくらいに上出来だよ、とわたしはある詩のひと欠けらを思い出して、つぶやいた。
わたしの頭の上を、手のひらよりも大きなカラスアゲハがゆらりゆらりと、細い糸で操られた凧みたいに不自然な弧を描いて、山のほうへ流れていった。

 わさび田を囲むように流れる川を渡った先には水田が広がっていてそこにはちょうちょの影もなく、まだ紅めいていない柿色のアキアカネがひょんひゅんを空を切るようにして飛び交っている。紅くないアカネは敏捷でなかなか羽を休めようとしないから、わたしは彼らを捕まえられない。だからわたしは、そうと望めば自分の指に止まってくれたり、もんしろちょうちょと同じくらいに造作もなく片手で捕まえられる紅いアカネのほうが断然すきだ。


 たくさんのちょうちょが群れをなしているところには、生きるとか死ぬとかいう原始的な力に近いなにかが眠っているような気がする。
そうして、時間が遡っていくか、分かれてしまった時空に迷い込んでいくような気分になる。

 たくさんの蜻蛉が飛び交っているところには、赤外線のように目に見えない透明な糸が次々に張り巡らされて檻が形作られていくような気がする。
繭のような檻のなかではきっと時間が止まるかして、その中にはながい眠りがありそうな気分になる。



 なにかがたくさん飛んでいるところに入り込めば、ふわりと気持ちが昂ぶる。
そこには目に見えないだけで、わたしが生きているのとはまったく別の世界がゆらゆらと漂っているのだきっと。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あれ、 (なおや)
2009-09-12 01:08:03
虫、大丈夫だったっけ?
だって田舎ものだもの (マユ)
2009-09-15 16:56:18
>なおや

嫌いなのは、釣りのエサになりそうなやつとか、芋虫毛虫系とか、フナムシとか、あとは望まないのに居住空間内に沸いてくる者たち!

同世代のおんなのこたちは、『子供のころはぜんぜん平気だったのに、大人になるにつれて、明確な理由もないのに、虫がどんどん怖く(気持ち悪く)なってきた』と口を揃えていいます。

わたしが、まだ大人になれていないということ?
虫が怖い時期はこれからやってくるのかも?