Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

安倍文殊院(文殊菩薩)

2004-07-29 | 仏欲万歳
 もう7、8年前のことだろうか。願掛けを滅多にしない私が、寺で絵馬を奉納した。願いごとは「大学院合格」。
今になって思えば、何年次に、どこ大學のどんな研究科に入りたかったのかをきちんと記述したというはっきりとした記憶がない。その年の大学院受験には見事不合格だったのであるが、そんな記憶も薄れた今年になって社会人を辞め、今更大学院生となってしまった。
当時、絵馬を吊り下げるフックはもはやいっぱいいっぱいで、絵馬が滑り落ちることのない場所を探すのに一苦労した思い出がある。文殊菩薩の前にできた長蛇の列の順番が、何年もたってようやく自分に回ってきたということで納得したい。

 さて、遅ればせて本題に移る。
今後、ここで卑俗なまなざしで私に見られた仏像の話を時たますることがあると思う。歴史的な事実はものの本にいくらでも書いてあるので、これを書く間は敢えて本を開くことはせず、印象と感動と薄ぼんやりした記憶に頼って書いてみることとしたい。

安倍文殊院の文殊菩薩は、獅子座の足元からの像高約7メートルもある巨大木彫仏。快慶「らしさ」をぷんぷんと漂わせた「短距離走らせても速い文科系秀才」なんて感じの、躍動感と静的な知性とを同居させたきりりとした面差しの文殊に、かなりお高いところから見下ろされる快感。獅子は向かって右に顔をぐんと振って風を起こし、いまや足元の卑俗な者々を威嚇したばかり。
掲げる剣はまるで女王様がしなる鞭を構えているかのような隙のなさで、見上げる下々の私どもの口に出せず心に願うだけの欲求や祈りを透徹とした瞳で全て見透かす。俗人ではない尊いものに見詰められ、見透かされ、見出される快感は、はかりしれない。

仏(ほとけ)には触れないが、仏像には触れることができる。
見ることができる。記憶することができる。
ならば、記憶の中に美しい数々の仏像たちをとどめ、本棚に飾るようにその姿を鮮明にするために何度でも逢いにゆけばよいではないか。

妖怪と暮らす。

2004-07-27 | 徒然雑記
[妖怪]人知では不思議と考えられるような現象。特に、ばけもの。(岩波国語辞典第四版)

 鎌倉から逗子に抜ける名越切通を通ってみた。曼荼羅堂のあたりは季節柄紫陽花でいっぱいで、そこかしこをなにかの変化のように蝶がゆらゆらと弱々しく舞っていた。整備された紫陽花の植え込みとは異なり、まさしく鬱蒼と繁茂するにまかせた生い茂る木々に混じって、青、紫、白の紫陽花が緑の合間を埋め尽くす灯篭のように灯っていた。
生命を失った者々の結縁を願って建てられた五輪塔の立ち並ぶ崩れかけたやぐらを、それぞれ異なった質感と色彩のみどりが取り囲む。

そのさまはまさに幽玄。
時が止まったままの草いきれのする空間に満ち満ちている想いや願いが蝶々のかたちをとって私たちの目に映り、枯れることがないと錯覚させる木々のエネルギーが濃密な空間を包み込む。

そこに住まうことを許されるのが、人知を超えた妖怪ども。
私たちは時たまにそこを訪れ、その空気と気配に圧倒されてすごすごと逃げ帰ることしかできない。たった一人で、たかだか数十年しか生きていない私たちの存在感など、時間が凝縮されたその空間においては早送りの一コマにすぎないから。

子供の頃に、どうしても怖くて足を踏み入れることができなかった空間があった。
神社の森、夕暮れの川、田舎の親戚の家の離れ屋。
そんなことばにできない怖さが、妖怪のたまご。
心のなかに、妖怪を失ってしまってはいまいか。 

改めて云う。妖怪とは、生きものではなく、現象である。


NOT BOURGEOIS

2004-07-26 | 徒然雑記
 銀座の人波は心地よい。
とはいえ両親を連れて歩く銀座は初めてだ。
日曜日の「いかにも」な家族連れや夫婦づれに混じって、一緒に歩くことが不慣れでいまひとつ足並みの揃わない私たち三人が歩いていく。ひとりきりの銀座歩きは、雑踏に紛れる自分を俯瞰するかのような、自分が街に溶けて一体化する感覚で歩けるのに、今回はそうもいかない。一人称複数形の気分のまま歩いた。

 とある高級宝飾店に入る。
「NOT BOURGEOIS」と題されたシリーズの豪華絢爛な宝飾たちはもはや女性の身を飾るには相応しくなく、それ自体の主張を害さない配慮の下に女性が「謹んで身につけさせて頂く」代物である。そんな非日常の超高価なオモチャに対して「NOT ONLY FOR BOURGEOIS」とは恐れ入るにも程がある。そうなれば、BOURGEOISとは一体ぜんたいどんな存在、どんなものなの。所謂『毛皮を着たヴィーナス』を体現するどなたか。

ブルジョワとは、簡単に手が届いてはいけない。
卑属であってもいけない。
ましてや、軽々しくもテレビなんぞに出てはいけない。

だからこそ、頑張る目標はプチブルにあり、というところか。
俗人の私は、「NOT BOURGEOIS」のン千万するティアラをかぶって携帯でパチリ。
ブルジョワにも華族さまにもなれそうにない。なにを目指していこうか。

廃墟の唄

2004-07-26 | 異国憧憬
 雄々しい音を轟かせながら地中海から吹き上げる海風は日本海さながらに厳しく、短い私の髪はそれに呼応して火炎のように逆立ちなびく。白と灰色の微妙に交錯した空の色は、立ち尽くす私を囲む崩れかけたマーブルの色とまるで変わらず、うねりながら流れてゆく。
風に舞う霧雨を全身に纏いながら私はこの大地の一点に身動きも許されずに縛り付けられ、周囲の廃墟とともに凍り付く。
雨は私の身体を冷たく暖かく包み「そのまま、そのまま・・・」と催眠のように私の耳に語り掛ける。
私の周りだけ早回しになった時間軸とともに、私の心を置いてけぼりに身体のみ化石にするが如く空が勝ち誇ったように、ごうごうとただ流れてゆく。
ギリシア・ローマの栄華を知ろしめす海辺の半円形劇場は廃墟と言ってしまうにはあまりにも華麗で私はただいつもの冷ややかな目で通り過ぎることを許されなかった。芸術が人びとの心にこんなにもあでやかだった時代の情念がここにある。そしてその時代はこの空に、海に、それを操る無常なる時間軸にさらりと、跡形もなく呑み込まれてしまった。
それを惜しむのもまた陳腐な程に鮮やかに。

 湿気て不味い煙草を片手に静かにステージに登り中央のエコーポイントを探って立つ。水滴の流れ落ちる眼鏡を透かして、客席の遥か高い所にイタリア人とおぼしき数人の人間が居るのが見える。
構わず私は海風の煽りを伴奏にして、ともすれば短調に傾いてしまいがちな賛美歌を唄った。髪にも閉じた睫毛にも霧雨が落ち掛かり、私をきらきらと包んでゆくのがわかる。発せられた声は大理石のあちこちに反響して再び私を迎えんとする。
目を閉じて私の思い描く幾人かの生命ある者、そして多くの生命なき者たちの耳にも心にも決して聞こえやしない、哀しく力強い私のアルトは客席最上段の者の身体をこちらに振り向かせた。
「Brabo!」の声と予期せぬアンコールを浴び、トレンチコートの裾を軽くからげながら軽く片手を挙げて観客に挨拶する。
そして余韻を愉しむかのように踵で軽いステップを刻んでステージを降り、既に崩れ落ちた退場門から二度と訪れることはないであろう今日の舞台、古代の大劇場を後にした。

芸術に耽溺する心と生命を私は賛美する。

芸術が枯れ果てた骸を私は愛する。