Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

らせん(2)。

2005-04-24 | 徒然雑記
上の写真は「エコバルブ」。
【電気エネルギー節約バルブ】と銘打った電球型蛍光灯であり、消費電力が電球の約1/4で済むということで結構な人気商品のようだ。とはいえこの商品を単にエコの文脈からのみ見て買う人間ばかりだろうかというのが率直な疑問だ。統計で引っ張り出せるものではないだろうが、明らかなる螺旋構造の美的な心地よさが全面に押し出されているような気がしてならない。螺旋というものはDNAの二重螺旋構造を見ても明らかなように、幾何学的構造であるからこそ大層機能的なのであり、幾何学的だからこそ大層美しい代物だろいうことだ。

DNAの構造と直接結びつくものではないが、螺旋構造の立体性とどこかにあるべき集約点を想起させる形は私の脳の中ではフラクタル理論と結び付けられてしまう。だって、フラクタルと螺旋との組み合わせはこんなにも美しいではないか。

螺旋構造とフラクタル概念を恐らく無意識のうちに融合させた建築物が福島県会津若松のさざえ堂だと思っている。このお堂の内部は独特な二重螺旋構造のスロープで登り下りをするようになっている。尚、その拝観順路に沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂に参拝するだけで三十三観音参りができるというある意味合理的?なお堂だ。因みに、さざえ堂と呼ばれるものは国内各地に見られ、江戸末(1780年台頃~)に流行したひとつの形態であるが、このお堂ほどに典型的かつ見事なものは他に例を見ない。

西国の三十三観音巡礼を一箇所に集約させる試みなのだが、この螺旋スロープという異空間を登り下りしている間に出逢う各観音像はそれぞれの札所に繋がっており、それぞれの札所からはまた別の世界が広がる。更に、三十三観音霊場そのものも国内の各地に存在する。さざえ堂のスロープは西国の各札所に繋がり、それぞれの札所から別の霊場へと観音世界が拡大する。代替の小さな観音像を起点とする目に見えないフラクタルが、二重螺旋という不安定で奇妙なお堂の空間の外へと広がってゆく。モロッコ、フェズのメディナが膨張したフラクタル建築の目に見える形であるとするならばこちらは目に見えぬフラクタル世界。どちらにせよ、自分がぐるぐる廻った訳でもないくせに目が廻る感覚に囚われるではないか。

このさざえ堂の構造と、三十三間堂のそれとは明らかに性格が異なることも付加しておく。ここの千体佛は「無限」を表し、ずるずるとどこか別の世界へ繋がる媒体ではなくひとつの「場」にどどんと溢れんばかりに平面構造で迫ってくるべきものという意味でさざえ堂の観音配置と明らかに異なり、むしろ浄瑠璃寺の九体佛に近い。

 螺旋とフラクタルという美しい機能美は建築の世界と仲が良い。
何故なら、幾何学的世界に自分の身体が紛れ込んでしまうことによって感じる非日常の感覚と自分の周囲を取り巻く世界の膨張。フラクタルがラビリンスに応用されるのも、世界の膨張とその中心にいる(物理的には中心と限らないが)自身の孤独感が特筆すべきものだから。

そのような空間は美しく、心細くて、大好きだ。
住んでみろと云われたらノーサンキューなのだけれど。

らせん(1)。

2005-04-23 | 徒然雑記
 時計に続いて、時間のお話を少しだけする。
まずは手始めに【円環的時間】【直線的時間】【反復的時間】【螺旋的時間】より。

針のついている時計を見ていると、ぐるぐる回る円環的時間が最も生活に密着した時間概念であることがわかる。それは1日、1週間、1年、1世紀などのある定期的な範囲をぐるぐると回る時間である。
直線的時間は文字通り、宇宙の発生や自分の誕生を起点として、死や世界のおしまいまで倦まずたゆまずまっすぐに突き進むものである。反復的時間は前のふたつと比べるとちょっとだけ原始的ではあるが、陰と陽、夜と昼などの2つの相反するものがぱたぱたと互いを繰り返すことで反復される時間である。それは砂時計を永遠にひっくり返す試みにも似ている。
螺旋的時間は円環的時間と直線的時間の概念を合わせたもので、ぐるぐると同じような周期を回っていると見せかけつつ実は全く同じではないただ一本の道を進んでいる感じ、とでも言おうか。エッシャーの無限に繋がる螺旋配置のような遠い遠い集約点がそこには見てとれる。

本題からずれるが、私達の肌感覚である上記のような時間概念をこの21世紀の始めにぶち壊してくれたのがフランク・ミューラーの機械時計「クレイジーアワーズ」(写真上)であったと思う。数字が一見バラバラに配置されており、時針が通常であれば5時間分の距離をぴょんとジャンプするのである(分針は通常通り)。円環でもなく直線でもない、まるで絡まってしまうような時間を時計として提供し、時間は勝手に流れるものではなく自分でアレンジし組み立てるもの、というメッセージ性を強く打ち出したのであろう。あまりに量産されてしまったので欲しくはなくなってしまったが、個人的美しい腕時計リストの上位に食い込むことは間違いない。

さて、螺旋的時間に話を戻す。
【らせん】巻貝のからのようにぐるぐるねじれ巻いているもの。(岩波)
【渦】  勢いよく流れる液体の表面にできる螺旋状に巻き込んだ流れ。またはそれに形が似たもの。
【とぐろ】蛇などが体をうず巻き状にぐるぐる巻くこと。

うまく区別できるか難しいところだが、螺旋は三次元的な構造であり、状態と言うこともできるかもしれない。比較すると、渦とはどこか二次元的(平面的)であるとともに、動体であることが読み取れる。とぐろは「変化することが可能な一形態」にすぎない。時間はそれ自体が動体ではない。クレイジーアワーズのようなテクニカルケースを除いて、時間そのものが形を変え伸び縮みするものでもない。さすれば、「螺旋」が時間を表すのに相応しいことになるのであろう。

個人的には「とぐろを巻く時間」というものもあってもいいような気がする。
ぐずぐずとツマラナイことで悩んで悶々とする時間、邪な計画を立てながらほくそ笑む時間。まるで凍ったように積み重ねる雌伏の時間。ぎゅっととぐろ状に押し縮められ潜められた時間がその形状を変えてひゅるりと鞭のように伸びるとき、時間そのものが生き物のようなしなる力を帯びる瞬間がある。
時間が生き物の力を帯びるとき、そこに入り込む思惑は果たして誰のもの。

ボンボン時計。

2005-04-20 | 物質偏愛
 疲れている。
 なんでだろう。
こういう時には、家の中に掛けてあるふたつの時計と枕元の目覚まし時計の秒針が刻む不揃いなカチカチいう音が気になって仕方ない。普段は全く聞こえもしないというのに。

ボーン ボーン ボーン

 時計が深夜3時を刻む。
うとうとしていたらしい。元々の体温が高いから、ちょっと眠りに落ちかけただけでどんなに薄着であっても汗をかく。隣に誰か別の生き物の体温があれば尚更だ。
隣の生き物が寝返りを打つ気配がする。寝ているのか、それとも私と同じように時計の音で目覚めかけているのかも知らない。何を考えているのかも知らない。なぜ私と一緒の時間を過ごしているのかも。いつから同じ秒針を聞くようになったのかも。

救急車の音のようにだんだん近づいてくるよとその存在を知らせながら、人が現れてくれることはまずない。時計が秒を刻むそのひとつの音と音の間にするりと突然入り込むようにして人はいきなり現れる。ひとりの人が現れる前と後ではその刻む音の意味ががらりと変わってしまうのに、そんな事にも気付かせないくらいに唐突に。それなのに、人が居なくなる瞬間は後になって考えてみてもそれがいつだったのかはっきりしない。人が死んでしまうときを除いて。不思議なものだ。

同じ秒針を聞くようになった人は、私を取り巻く時間の中に遠く近く存在することになる。
世の中にゴマンとある時計は、同じ単位で、違う時間をそこここで刻んでいる。
誰かいいひとがふと同じ時間に組み込まれていることに気付いたとき、そして誰かいいひとが知らぬ間に自分の周りで刻む時計の中から居なくなってしまったときにだけにそんなことを想い、無性に時計の存在が気になる。個人的な何かに熱中してしまっている最中には、ネジが緩んで黙りこくってしまった時計の存在にすら気持ちを掛けずに過ごすというのに。

亡くなった前の大家さんの時間を刻んでいたこの時計は、持ち主が時間を必要としなくなってしまったから、私の傍にきた。私が時間を必要とし、その中に棲まう人々を必要とする間は壊れずに動き続けていて欲しいと願う。

昨日、ある人が突然私の時計を聞いた。
たいせつにしたいと思った。

硝子の奥に棲まうもの。

2005-04-18 | 徒然雑記
 昨日、TBS世界遺産で「砂漠の真珠」ガダメス旧市街を取り扱っていた。この遠い国の不便な内陸都市のカフェには、何故だか私の写真が貼ってあるらしいが、今でもあるだろうか。
この旧市街は夏の猛暑を防ぐため、白い壁で迷路のような通路を造り、日陰で幾重にも風を折り曲げることで自然の空調としてきた。真っ暗で細いトンネルのような通路の間々を家が埋め尽くしているという感じなので各戸の壁には採光の窓がなく、高い天窓からの採光に頼るしかない。厚く塗り固められた壁いっぱいに紅く装飾されたマグレブ紋様に囲まれた何枚もの鏡と真鍮の器に僅かな光がキラキラと反射し合って、室内を角度の判らない朦朧とした光で満たす。
途轍もなく懐かしいこの閉鎖空間。最早誰も住んでいないはずのこの閉ざされた空間の至る処に先人の気配を感じる。
だけれど、振り向けば、鏡。

「君は、ぜったいに、古道具や古家具を買ってはいけないよ。」
かつての友人の言葉が頭をよぎる。
「どうして駄目なの。」
「仲良くなろうとされてしまうからだよ。」
「なにに。」
「鏡の中にはよく棲んでるから。君は鏡が好きでよく見詰めるからいけない。」

云われてみれば友人宅は日本の古家具が多くて、私は髪も短い癖にぼうっとしていたりすると何故かうっかりヘアブラシを手に取っていたりしていた(友人は男の癖に長髪)。寝惚けているんだろうと気にはしなかったが、どうやらそういうことらしい。

夜、窓の外がふっと気になる。
風呂場で髪を洗っているとき、目を瞑っていて見えない癖に鏡が怖い。
鏡やショーウインドウに、うっかり笑いかけてしまうことがある。
子供の頃、シャボン玉やビー玉に魅せられない子供がいるだろうか。
文学者や画家で光や鏡、硝子を無視できなかった人がどれだけいるだろうか。

パルミジャニーノの自画像といえば、これが思い浮かぶだろう。
アルノルフィーニ夫妻像
が衝撃的なのは、その構図と光と鏡の威力が大きい。
人間が造ったはずのガラスにいつしか人間は虜になった。
科学の果てに生まれたものの中に、科学では説明不可なものの存在を感じ、望むようにもなった。

子供の頃、ディスプレイに飾られるビー玉をこっそり持って帰りたい衝動に駆られるのは、その中に棲まうなにかに呼ばれているから。うっかり鏡に笑うのは、見えない誰かが笑ってくれたから。


髪に憑くもの。

2005-04-16 | 徒然雑記
「憑くもの」シリーズが勝手に始まりました。
気紛れなのですぐに終わると思います。ご安心ください。

私事で恐縮ですが、もうここ6年もジーン・セバーグばりの黒髪ショートヘアを貫いていた訳なのだけれど、都落ちしてからというもの、美容院までの距離と時間が足枷となって月に1度の美容院通いが難しくなってきた。ということで、しぶしぶ髪を伸ばし始めてもう5ヶ月になるのだが、いざ伸ばそうとすると伸びないもので、未だにショートヘアの域を出ない。我慢がないので苛々して、バッサリとやってしまいたくなるところをぐぐっと押さえて堪えているのだが、さていつまで持つことやら。

朝、髪がしっかり決まるかどうかで、その日一日の気合が違ったりする。
美容院に赴く日は、馴れ合いのデートなぞよりも心の弾むイベントのようなものだ。
女にとっての髪は、その長い短いを問わず、魂をこめるところ。

チャゲ&飛鳥の「万里の河」に、女性が自分の想いを髪に託して早く伸びてくれと願う歌詞があった。鬼切丸という漫画には、恋する男への念が自慢の長い髪に宿り、その髪自体が鬼化するという話がある。
女幽霊の髪は概して長いものとされるし、古代日本では女性の美とは髪の豊かさと美しさでもあった。最近の話では、学校の校則を破る反抗心を表現するものとして髪型が使われるが、失恋と同時に髪を切る女性は流石に現在では殆ど居ないようだ。

顔や肌ほど生々しくなく保存がきいて、女性的で、想いを込めるに相応しい象徴的なからだの一部。
それが髪であり、爪である。女はそこに想いと情熱を込めて飾り立てる。

 爪をぎりぎりまで短く、髪もぎりぎりまで短く。
 何かに化けかねない想いとともに、バッサリと。

女の長い髪や長い爪には、持ち主の女自身に同化して「想いの凝ったもの」が住んでいるのだけれど、私は自分の身体に寄生されるのは好きじゃない。ならばバッサリと斬った口からとろけ出た何かは固化して肩に留まるか、でなくば私自身が化けるのか。
女を象徴する髪を切り落とす試みは、女という人間らしい特徴から脱却し別の何かになろうとする想い。短く切りそ揃えた爪に人間がその身に持ち得ないおもちゃの色を塗り重ねる試みは、人間という生物ではない何かのエッセンスを身に纏わんと憧れる想い。

伸びかけた自分の髪を愛すことがなかなかできないでいるけれど、時折自らの髪を撫でてみる。髪が短かった頃には決してしなかった行為のひとつだ。
他人にも撫でて貰いたい。
様々な感情をその触手から受け入れて、甘やかされて、愛されていないと髪は私の望む何かに成長してはくれないから。

さくらの破片に憑いてくるもの。

2005-04-15 | 春夏秋冬
 かしゅかしゅかしゅかしゅ・・

半乾きになった桜の花弁が、その見てくれからは想像できない軽やかながら貧相な音を立てて転がり流れてゆく。アスファルト舗装の道路が生まれる前には、恐らく散った桜の花弁が地を這い流れる音なんてものは存在しなかったのではなかろうかと思う。

 かしゅかしゅかしゅ・・

そういえば子供の頃には、「とんとんとん、何の音?」という遊びをやっていたものだった。「おばけの音!」という声とともに、次の鬼にならないようにぱっと蜘蛛の子を散らすように逃げ廻ったものだ。
音のもたらす視覚を凌駕するリアリティー。「鬼ごっこ」方式を踏襲する孤独感と焦燥感。
妖怪やばけものは、子供の日常からそう遠くないところにあった。

あの頃は、天井の木目からぬっと浮かび上がる顔から目を背け、そのくせそういうものが何かしらこちらの言葉にいつも耳を傾けていてくれているような気もして、くだらない出来事や子供らしい不平不満、愚痴などを空中に投げていたものだった。最初は、仮想の何かに向かって話していた。そのうち、自分が話し続けた言霊が心の中で何かしらの形をとり始め、それに向けて話していたように思う。そういうものは自分の味方でもなければ敵でもなく「ただそこに居るもの」であるという存在と距離感を保ちつつそこに在った。そして優しいとも厳しいとも自分の都合がよいようにその距離感を解釈していたような気がする。自分が年を重ねたからといって話しかけるのを止めてしまったら、きっとそれは私の傍から居なくなってしまう。居続けて貰う為に語りかけ、語りかけることでその存在があることとしてきた。

一枚のガラス窓を透かした向こうの庭から聞こえてくる猫の声や風の音、素性の判らない音どもや家鳴りまでが全て、私に向かって何かを知らせてくれているものだった。その意味が判らないのは私が人間という優秀なのか不出来なのか不明な生物である所以で、残念ながらそれらのものたちとの共通言語を持ち合わせていないからであると。


 かしゅかしゅかしゅかしゅ・・

うれしいの?
かなしいの?
ごめんね、呼ばれるのは嫌いじゃないけれど、今は一緒に居られないよ。
だけど今日は久しぶりに窓を開けてあげるから、いつでも話掛けていいよ。部屋に舞い込んできてもいいよ、今日ならね。

今日は天気がいい。
近所の三叉路は私が勝手に「辻」と呼ぶところ。そこには風が渦巻いて、桜の花弁たちが吹き溜まりのようになって流れついてくるところ。
公園のふちのブロック垣に腰掛けて、頭上から注がれる花弁の束を受け止めながら暫し、煙草に火を点ける。


 かしゅかしゅかしゅかしゅ・・か・・





空印寺の人魚

2005-04-12 | 仏欲万歳
「海のある奈良」と呼ばれる福井県小浜市はなぜだか大好きな街である。
神仏習合の寺が今でも残る、往時は京のみやこに最も近い港として栄えた面影がまるで蜃気楼のように薄っすらと透けて見える、わびた風情のあるいいところだ。余談だが、日本にはじめて象が上陸したのはここ小浜であるらしく、小学校の前に何故だか表札のように立っている小象の像(笑うところではない)の由来を聞いて、そのことを知った。

ここの浜は砂浜ではないので、見るだけの浜である。入り組んだ入り江と島を見渡す海沿いの歩道には、西洋ばりの美しい人魚の像がある。象と人魚、陸のものと海のもの?決して相性がいいとは思えない小京都の浜を恋うるような姿勢で、俯き加減で海に思いを残す人魚の像。

 ・・と思っていたら。

海に思いを馳せる人魚が主役なのではなくて、その人魚の肉を食べた八百比丘尼にまつわる地ということだった。比丘尼はこの地に流れ着いた時には既に婆さんだったということなので、比丘尼をフィーチャーすると絵にならないという陳腐な判断から、比丘尼の記念?に人魚を建てたとしか思えない。捕まって捌かれて食われた人魚に存在の上で負けてしまった比丘尼。
繰り返すが、あまりに陳腐な発想のために脇に押された比丘尼の肩を持って、比丘尼伝説を以下に紹介する。

 若狭の八百比丘尼が長寿をえた話は有名で、福井県小浜市の空印寺(くいんじ)の洞窟に住み、容貌は美しく、15、6歳に見えたとされる。若さの保持は禁断の霊肉である人魚の肉あるいは九穴の貝(アワビ)を食べたためという。
隠岐島には八百比丘尼杉があり、大宮市の慈眼寺仁王門のかたわらの巨大なエノキは若狭の八百比丘尼が植えたという。全国を行脚し、貧しい人を助け、椿の種をまき花を咲かせた後、若狭に戻り亡くなったという洞穴の入口には当時を忍ぶ椿の花が今も咲き誇り、健康長寿を願う人々のお参りが絶えない。

 
八百比丘尼伝説は全国各地に点在しており、千葉県生まれという説もある。

その村の長者がある日、近隣の百姓六人を屋敷に招き、食事をすることとなった。食事を待ちきれなくなった最も食いしん坊の男が厨房をこっそり覗いたところ、人魚の肉を調理しているさまを見て、驚き慌てて他の者たちにそれを告げた。一同は気味悪がったが、長者の招待ということもあって食事を断るわけにもゆかない。食事を受け取って早々に退散し、めいめいは道中でその食事を始末することとした。

ところが六人のうち一人だけ耳の遠い男がおり、そのなりゆきを全く聞いていなかった。
事情を知らないその男は、長者の家で出された食事ををそっくり家に持って帰り、男は自分の愛娘にそのご馳走を食べさせた。
その娘はそれから殆ど年を取ることがなく、いつまでも若く美しいままだった。人々はそんな娘を不気味がり、娘は殆どその土地を追われるように遠く若狭国で尼となったと云われる。

 日本においても、猿と魚を合体した人魚の剥製が流行して多く作られた時代があった。
人魚という響き、女性に限定されたその美しい姿は洋の東西を問わず人々のイマジネーションをかきたてる。

しかしその美しさは結果として人間に幸いをもたらすことはない。
完璧な美しさというものに対しては人間の入る余地はないのであろう。言い換えれば、人間は決して完璧に美しいものにはなり得ず、人間の手から完璧に美しいものは作り出せないということか。
美は空間と時間の両方を支配するものであるのだろうから。



インバウンド考。

2005-04-08 | 異国憧憬
 ようやっと落ち着いてきたが先月は怒涛のように仕事をしていて、主な業務はフランスからの招請ツアーに随行するというものだった。
今まで私が主として接していた外国人はイコールアラブ人であったし、私が日本を出て彼の地で彼らと接するという所謂「アウトバウンド」の文脈から、彼らの文化や彼らの抱く日本への関心事に触れるといった経験しかなかった。今回はおフランス人という未知の人種であり、且つ今までと真逆のインバウンド事業。予想通り、私の思っていた風には事は進まず、フランス人とは判り合うことができずに終わった。フランスとの距離はまだ遠い。

今回は記録した報告書の一部をかいつまんで載せることにする。私が書いた文章であっても、版権は私に帰属するものではない。概してそういうものだよね。

 月  日 旅 程
3月25日 午前、関西国際空港着。京都へ。(三十三間堂他)
  26日 京都(清水寺、二条城、龍安寺、金閣寺、富田屋他)
  27日 飛騨高山(舩坂酒造、春慶会館他)
  28日 名古屋(大須観音骨董市、トヨタ博物館、名古屋城他)
  29日 名古屋(愛知万博)
  30日 東京(浅草寺、かっぱ橋、大江戸温泉物語他)
  31日 午前、成田国際空港より帰国

【フランスにおける日本ブーム】
 かつて、日本を訪れるフランス人観光客は「遥か東洋のオリエンタルな国」を求める一部のマニアに限定されていた。それが近年になって、テクノロジーやファッションをはじめとする最先端のスマートな側面が着目されると同時に、本や映画の影響もあって「武士道」や「禅」の精神が広く知られることとなる。現代のフランス人は、日本の長い歴史の中で形成されてきた伝統的なモニュメントを見に来ると同時に、歴史の中で培われた日本人の精神文化に触れることを望む。東京のお台場付近の景観や秋葉原のような現代都市、あるいはデパートの地下食品売場などは、歴史的町並みと等価値のものとして評価される。
 
【歴史・文化に対する造詣】
 フランス人にとっても日本人にとっても、観光は巡礼から生まれている。教会の中のしんとした雰囲気と比べると、かつては極彩色であっただろう寺の堂内で、その美しさ見事さに感嘆の声を上げる寛容さがかつての日本人にはあったのではないだろうか。そして今でも「綺麗だねぇ」「すごいねぇ」と声をあげて褒め讃えながら人々は堂内を歩いてゆく。その拝観スタイル自体が日本の文化のひとつと云えないこともない。文化が多様であれば、文化に対する姿勢もまた多様である。文化と向き合う姿勢にどれかひとつの正解はない。

【旅を愉しむこととは?】
 旅は進化して便利になり、そのスタイルも多様化した。今では、少しの不便を我慢すればどんな秘境にでも行くことができる。一見観光ブームにさえ見える潮流の中で、日本ではまだまだ外国人に対してユーザーフレンドリーなサービスが充実しているとは云い難いのが現状だ。しかし参加者が日本の文化についての様々な質問を我々日本人に投げかけ、初めて見る日本食の数々やマナーに積極的に挑戦し、至るところで写真を撮り、雨や風などの悪天候をも愉しんでジョークに変えるさまをずっと見てきて思うのは、旅を愉しむ主体の姿勢によっては、どんな不便もハプニングも旅のひとつの体験として愉しむことができるということ。

起こりうる全ての出来事を等価に受け止め、受け入れ、愉しみ、味わうこと。
それこそが、旅。


何十回目の誕生日。

2005-04-05 | 徒然雑記
 切羽詰って前の日に夜更かしをしたので、今年の誕生日は昼まで爆睡するつもりだった。
 でも、予定というのは自分の思う通りには進まない。それは今日に限ってのことでもない。

春の暖かさが嬉しくて真っ裸で寝ている私をたたき起こすように8時台から宅配がくる。
慌ててワンピースを着て荷物を受け取り、差出人と内容物を伝票で確認してから台所の床に無造作に置くと、再び服を脱いで勢いとともに適当な「そのへん」に投げ捨てると布団に潜り込む。
1時間もしただろうか、またもインターホンが鳴る。前の会社からの誕生日メッセージつき月刊誌だ。ポストに入れておいてくれよ、できることなら。

ついでなのでPCを立ち上げる。身勝手な祝いの言葉が並んだ寄せ書きがメールで届いている。
メールを読む限り、そこに並んだ8人が寄せる思い思いのプレゼントは「腹筋鍛えたのでいつでも触りにきてください」「プレゼントは中国からのチュー地獄でどうだ」「新宿で待ってます」「下北で待ってます」とそれぞれに云いたい放題だ。都落ちしている私の来訪を気長に待っているくらいならどうか来てくれ。なにもないけど。

諦めて起きて、PCを鞄に詰める。春休みで欠席者の多いゼミは早々に終わり、先生の用意してくれたケーキとコーヒーで祝って貰う。研究室ではケーキを食べることを想定していなかったようで、私は生まれて始めてシフォンケーキを手づかみかぶりつきで食べた。多分皆もそうだろうと思う。
バースデー夕食には、いつもよりお金をかけたビーフシチューとケーキ、そして珍しい茜色をした薔薇の花瓶が並んだ。

明日はそろそろ桜も4分咲きくらいにはなるだろう。
教授のご自宅でお花見がてら、研究室専属パティシエ(立場は同じ唯の研究者♂)による誕生日手作りケーキが振舞われるらしいとオフレコは既に当人の耳にまで届いている。お陰で、どんなに花粉がひどく舞っていようと家に引き篭もっているわけにはいかなくなった。7割方欠席の言い訳を考え始めていた身としては、先に知っていて本当によかったと思う。

明後日は友人の車で花見ドライブがてらの夕食だ。

 女は年を重ねるごとに誕生日が愉しくなくなるとよく聞くけれど、私の誕生日は年を経るごとに充実していく。
誕生日の朝も相変わらずの悪夢だったけれど、宅配と携帯メールラッシュのお陰で救われた。今年も優しくてたまらない人々のお陰で幸せにやっていくことができそうだ。

 そうだ、ほったらかしていた宅配の手作り味噌をどうにかしなければ。
 

さくら。

2005-04-03 | 春夏秋冬
この季節になるといつも見上げるあの木は、遠目からみるとその枝と全体の気配そのものがほんのりと桃色がかっているようだけれど、蕾はまだ固い。俗にいう「さくら染め」は、桜が咲く直前に枝と樹皮の間にひっそりと確実に溜め込まれた春色の色素を、いざ花が咲いてその花弁に奪われてしまうより先に横取りしてしまうというある種残酷なものだ。花が咲く直前の桜の幹と枝が、その全てからゆるゆるとと桃色がかった春の準備をほぼ済ませた様子が伺えるほんの一週間やそこらの季節になるといつも、私はその残酷なお話を思い出し、春色をした枝を見上げる。

濡れ縁でじっと待っていれば、私の目の前でその蕾を開いてくれるだろうか。毎年訪れる私をいい加減覚えてくれているであろうのに、この木は私にいつも、皮肉めいた意地悪い姿しか見せてくれようとはしない。
その年最初の花一輪は、いつもだれかほかの、それも概ね通りがかりのひとに先を越されてしまう。

何十年も前のこと。幼稚園からの帰り道、種類がよく判らない小鳥が道路に落ちていて、飛べなくなっていた。幸いなのかどうなのか判らなかったけれど、血は出ていないようだった。
金属音のように姦しい音に顔ごと空に目を向けると、恐らく親鳥だと思われるふたまわりも大きいちょっと怖そうな顔をした鳥が、明らかに慌てふためいた体でじたばたと羽を無闇矢鱈に羽ばたかせながら、黄色い帽子を被った小さな私を見下ろしていた。

 鳥は総じて、好きでもないし嫌いでもない。
だけど怪我をして動けない小鳥は私の手の中でとても恐ろしいものに変貌し、自由に動くことができず、痛みに震えているからこそ持ちうる何らかの特殊な魅力と権力があるように子供の私は感じた。それを言語で理解していたはずはないが、通常の猫や犬を撫でたりするような無邪気さは当然そこにはなく、御上に何かを献上する姿勢はまさにこうであるだろうと見えるばかりの仰々しさ。黄色い帽子を被ってちまちまと殊勝に白線の内側で足を運ぶ子供は、その風情に似合わないしかつめらしい顔をして、親戚の法事もかくやというほど無意識にも真摯な心を込めて、謎の力を私に見せ付ける動けない小鳥を掌にこめて、家までの道をしずしずと、まさに静々と、歩いた。
まるで白洲に引き出されるような、それは粛々とした長い長いみちのり。

二日して、小鳥は死んだ。
私や父や母の手からは、食事をしてくれなかったからだ。
庭が見渡せる日当たりのよい縁側で、ダンボール箱の片隅で、小鳥はずっと哭いていた。
私が見詰めている間でも、私が目を離してよその部屋に行ってしまうときも、私になにを求めるでもなく、ずっと同じ調子で哭いていた。いくら私がその目に映っていようと、彼が私の掌の中に収まっていようと、彼にとって私の存在はなにか特筆すべきものではなかった。私の存在を透かして、どこか遠く私の目には見えない何か大きなものに向かってずっと呼びかけていた。

私が小鳥に呼びかける声は最後まで届かず、
小鳥がどこか遠くの大きなものに呼びかけ続けた声は届いたのかどうか。
ほんの少しだけ目を離したすきに、彼は死んでいた。

私は家族の誰にも内緒で、彼を庭の桜の下に埋めた。
哀しいのは小鳥が死んだことではなく、私の声も心も無視したまま、その死だけをこれでもかと見せ付けられた悔しさ。彼の目の中には最後まで私は居なかった。だからこそ、私しか知らない場所に彼を永遠に葬ってあげようと。そして私だけが彼のことを想ってこれからもずっとその心と眼を手向け続けようと。

今年最初の一枝は、いつ咲くの。
最初の一枝はいつも、彼に想いを馳せた子供が精一杯の幼い愛情と悔し涙に染めた頬の色。