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京都東南部の名刹・東福寺拝観―重森三玲による作庭と堂本印象の蒼龍図の鑑賞

第193回通常国会は、政権の思惑通りに終了した。安倍政権のあまりの強権な専横政治に、私は無力感で一杯である。どうしてこんなに選りすぐりのタチの悪い人物が首相なのだろうか。世論調査では、それでも過半数を超えた結果を出しているのもある。支持率は思うほど落ちないのだ。この強固な安倍政権を支持する理由に“他に人物が居ない”というのがあり、結構な数を得ている。ということは、安倍氏以外はもっとタチが悪い人物ばかりだと言うのだろうか。そんなに日本の政治家の人材は質が悪いのだろうか。

安倍氏のどこがタチの悪いのか。それは国会での振る舞い、特に他人には“野次はやめて下さい。今話しているところです。”と言う一方、ご自分も平気で野次る。委員会の委員長から“閣僚席からの不規則発言は止めて下さい。”と注意を受けるほどだ。かつて、委員長からその言動に注意を受けた下品な首相が居ただろうか。このように小者感があらわになるような破廉恥な行為をした総理は居なかったのではないか。しかも他人には厳しく、ご自分は何をしても許されると考えるのは悪ガキ・お坊ちゃん以外の何者でもない。
しかもよく考えて発言しているハズの言葉の中に、差別用語が飛び出すこともあった。これは日頃そういう言葉を使って下品な会話をしているからに違いない。その品性のレベルが知れるのだ。
どうやら他人の野次を嫌がるのは、“答弁ができない”からだと御本人が“正直に”言っている。ということは、他人が何を言おうともめげない信念がない、自信がないのだと言える。ところが一方で、“信なくば立たず”とも言っている。
これまでも何度も言って来たが、日頃、“国民の生命・財産を守る”と称してはばからないが、北朝鮮の拉致被害者には何の行動も起こさず、成果が見られないし、現に中国当局によって拘束され消息不明になっている日本人も放置したままだ。米国は国交のないしかも対立の渦中にある北朝鮮と交渉し、逮捕された学生の身柄を取り返している。
典型的な“その言、虚なり”である。その場限りの、カッコよさ自己中お坊チャマなのだ。こんな人物に国を任せておいて良いのだろうか。それでもウソばかりの安倍氏以外に人物は居ないと言うのか。

こんな発言を繰り返していると、今次成立した共謀罪法に基づいて、いずれ当局から目を着けられる危険性は出て来るのかもしれない。何故ならば捜査というのは、どんな事案であっても必ず当局の任意つまり“正義感”という主観でスタートするものだからだ。その主観には客観基準はない。いずれと言うのは、どうやら本法は7月11日から施行だということだ。こういった法案は成立後、周知期間は不要だということなのだろう。実際には治安当局はいつからでも着眼着手つまり監視可能と言うことなのだろう。
それにしても共謀罪法で今も活動しているであろう北朝鮮のスパイつまり組織的犯罪者は一網打尽できるのだろうか。ベクトルは違う方向に向いているような気がしてならない。あるテレビ番組で言っていたが、この法律による逮捕者第1号は誰になるのだろうか。戦前の治安維持法の場合は京大の学生だったという。

それよりも内田樹氏は“一般市民による監視、告発が増えるだろう。”と言っている。法案成立後、“反日分子”と見做されて普段は静かなSNSが騒然としたという。攻撃者は官許・政府公認されたつもりだという。目に見えない公安警察官の増殖だ。このブログも目立てばやがて攻撃にさらされるのだろう。かくして言論の自由は奪われる。桑原、クワバラ。いよいよ日本の北朝鮮化が始まった。だとすると安倍長期政権はいずれ王朝化するのかも知れない。それとも中国的独裁であろうか。否、知己お友達独裁か。ンなアホな、笑えない現状に戦慄する。

またまた前書きが思わず長くなってしまった。安倍氏個人の問題が多すぎるのだ。もうこの話から離れよう。安倍氏の国会答弁のように肝心の本題が短くなってしまう。安倍氏は決して本題には触れずに無駄口で時間を費やし議論を誤魔化しているが、私はそこまで堕ちているつもりはない。

さて、今回の本題に入りたい。このところ、審査で先々週は山科、先週は城陽と京都の東南部に訪れていた。大阪で生まれ育っち、長じてからは神戸に住んでいるが、今まで全く訪れたことがなかった、私には盲点のような地域だ。山科では審査後毘沙門堂を訪れたが、残念ながらあまり感動がなかったので紹介しなかったが、今回は城陽市内での審査後、東福寺を拝観したので、紹介したい。

この東福寺は亡くなった父が子供の頃しばらくこの付近に住んでいて、境内でいつも遊んでいたと言っていきなり連れて来られた記憶がある。父は大阪にしか住んでいなかったと思っていたので少なからず驚いた。当時私はまだ高校生で、その記憶は風景にあまり色彩がないので、冬か初春ではなかったかと思われる。亡父は子供の頃を懐かしんだのだろうが、今度は私がそのたった一度の経験を懐かしみに来た訳だ。
そればかりではない、約10年くらい前に堂本印象画伯の記念館で東福寺に画伯の龍の図があると知って以来、ずーっといつかはもう一度東福寺に行って拝観したいと思っていたが、残念ながら京都のこの地域に縁がなかったのだ。その上、最近テレビで重森三玲氏による庭があるという。昭和の初め災害で荒れた東福寺の庭を再建して欲しいとの依頼を受けて、自費で作庭したと紹介していた。しかも元あった庭の石等の資材を全て無駄なく使用するという条件が付いていたという。昨年だったと思うが、重森三玲氏による庭は松尾神社で見たが、そんなものかという程度の感動だったので、東福寺の庭を確認してみたいと思ったのだ。

城陽市内のJR線で途中みやこ路快速に乗り換え、京都駅の一つ手前・東福寺駅で下車。実は審査先周辺では飲食店無く、駅前にあまり大きくないスーパーがあるような田園風景の広がる所で、午前の審査を終えて、空腹を抱えたまま電車に乗てやって来た。

東福寺駅前で、昼食にありつく。昼食はあまり贅沢しないつもりなので、玉丼を頼む。汗ばんだ体をクールダウンと多少の乾燥をはかる。
地図で東福寺は駅より南東にあることが分かっていたので、九条通り(府道143号線)の跨架橋の下を潜り抜け、一旦少し東進して次の辻を南下。後は適当に進んでいくと、おのずと前に来た時に見覚えがあるような、屋根のある橋の袂に至る。それは末寺境内の塀に囲まれているので、初めての人には、それが橋だとは気付き難いかもしれない。ただ、ここからそうなるという、京都市の観光案内看板が出ているので注意深くしていれば分かる。

その橋を渡っていくと、いきなり深い谷を渡っている状態であることに気づき、いよいよ異郷に入っているのだという気分になる。左手に緑深い樹木の向こうに、有名な通天橋が見える。橋を渡り終えても、実はそこは正確には未だ東福寺境内ではないことが分かり若干不思議な気分となる。左手に高い塀、右手に保育園があるからだ。
やがて左手の塀が途切れて、門に至る。どうやらここが本当の東福寺本寺の入口。

中に入ると伽藍はいずれも壮大で圧倒される。さすがに五山の禅寺だ。どうやら外国人は少ない。今やこれ見よがしの和服を着ているのが外国人だ。アジア人でもよく観察しているとどこかに違和感が漂うので判別可能だ。
左手に通天橋への入口があるようだ。受付で、聞くとここは庭の入口ではなく、それはもっと奥になるという。取敢えず有名な通天橋を渡ってみよう。その奥には開山堂という御堂がある。もらったパンフレットによれば、この寺を開いた13世紀に生きた聖一国師を祀っているという。天皇より賜った国師号第1号だという。前庭は江戸中期の作という。
周囲の森の緑は未だ新緑の風情を残していて、なんだかすがすがしい。通天橋の渡る渓谷の緑は取り分け美しい。

次はいよいよ重森三玲氏の御庭拝見。入口受付の庫裡から方丈へ渡り廊下に入ると、そこの左手に大きく開けた南庭と思しき所に大きな様々な形の岩、右手も少々狭いが東庭。方丈の東西南北に各4庭がある。
その右手の何気ない庭。実は円柱の石が7本突き立っていて、東庭とようやく気付く。テレビで三玲氏が悩んだ末に廃材の石円柱を北斗七星をあらわした配置にしたという解説があったのを思い出す。
それに引きかえ大きな南庭は壮観だ。石庭と言えば竜安寺を思い起こすが、ここはより具象的な印象で、ために分かり易いような気がする。分かり易いので安心して見れるように思う。つまり白砂は海をあらわしていると直ぐに了解できるのだ。やはりパンフレットには“渦巻く砂紋によって「八海」を表す”とあるがゴツゴツした岩のあたりでは何故だか怒涛の波を想像してしまう。岩は“東の大海の彼方に仙人が住む「蓬莱」「方丈」「瀛洲(えいしゅう)」「壺梁(こりょう)」と呼ばれる四仙島”を示す。右手西方には石庭には緑のなだらかな小山があり、これは“五山になぞらえた「築山」”だという。
私はもう一度竜安寺石庭を見直してみたいと思ったが、なんだかこちらの方が好きだ。そういう点で、この庭はやはり良い庭なのではないか。皆、ここで座り込んで落ち着いていたので、私もしばらくそうすることにした。
回廊を西に回り込むと、さつきの刈込による市松配置の庭になる。最早花の時期は去っていて、さつきとは知らず、緑も褪せていて、少々残念。塀の向こう、緑の間にわずかに通天橋が見える。
さらに順に回廊を回り込むと、ここはこけと石の市松模様。ここのこけの緑も褪せていて残念。季節に応じて様々な姿となるので、それぞれのベスト・シーズンをそれぞれに楽しむべきなのだろう。
東庭は既にみていたので、これで御庭拝見は一応終わり、もう一度南庭を見て方丈を出る。

外に出るとやはり伽藍が気になる。特に、向こうの三門と本堂(仏殿)である。そちらの方へ吸い寄せられるように赴く。
三門は特に黒く壮大である。門の前が蓮池になっていて、これを渡る橋がある。普通、こういった大きな門は山門と書くが、ここでは、三解脱門の意味。ネットによればこの三煩は貪・瞋・痴だという。
この西に結構大きなだがスカスカの風通しの良い建物がある。東司(とうす)とあり、パンフレットによれば“通称百雪隠(ひゃくせっちん)すなわち便所”とのこと。
その北側にももう少し立派な建物がある。これは禅堂。“わが国最大最古、中世から遺る唯一の禅道場”とのこと。これで、一応伽藍も全て見て回れたが、しかし堂本印象画伯の龍図を見ていない。どこにあるのだろうか。案内がないので仕方ない。何となく本堂の周りを、暑さで少々疲れた身体を引きずりながら歩き回った。ふと本堂に禅宗でどんな仏像を祀っているのか外から中を覗いてみた。何気に天井を見上げると、そこに龍が描かれていた。そうか、無料で“公開”していたのか。印象画伯が17日で描き上げたという図だが、暑さで疲れた目には何故だか迫力はあまり感じなかった。真下から見上げていないからそうなのか、良くは分からない。何故か撮影不可との掲示がなかったので、思わずこっそり撮影したが、ここには掲載しない。
まぁ、これでひとまず全て見たいものは見たので、満足して帰ることができる。

多分ここで疲れるだろうから、地元の喫茶店で一休み、と予定していたが何だか休む気にはならず、今度は京阪電車に乗って京都市街の四條へ。ここから金券ショップの阪急の株主優待券で、十三経由の帰神とした。
来年、同様の審査で訪れることがあれば、今度は山科は大石神社、或いは黄檗山・万福寺を訪れてみたい。京都は各地に名所・旧跡があり少しずつ訪れるのも面白い。

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