Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

三亀 銀座6丁目

2007-02-27 16:54:16 | 首都圏グルメ 和食
銀座の旧い料理屋さん。以前はちょくちょくお邪魔しましたが、今の内勤の仕事になってからとんとご無沙汰。久しぶりでしたが、コリドー街の向うの筈だけどと今一うろ覚え。
ランチ1750円と中途半端なので若い人達が行列するような店ではありませんがいつも上質の魚と汁を提供します。今回はメジ鮪の刺身と鮭の焼き魚を選択。
客層は年配で時間に余裕のある感じの方たちばかり。接客もゆったりしたペースで落ち着きます。
主人はちょっとマギー審治に似ています。
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鶏飯 薩摩黒丸 汐留

2007-02-26 21:15:08 | 首都圏グルメ 和食
2時半過ぎに新橋に着いた。大概の店の昼飯営業は終わっていたが汐留OLのTake Out需要を主ターゲットとしているセントラルビル1階フードコート内の鶏飯を出している店はまだ開いていた。カウンターに座り厨房を横から覗き見ると食器や配膳用品が雑然と並んでいる、日本人とはどうしても見えない南方系の青年がトングで盛りつけている~トングはやめてくれ~。こりゃ駄目だ!と思っのだが。あっという間に出来てきてしまった。一見まともな鶏飯。汁を掛けて一口。
う~ん。やっぱり駄目。鶏肉のホグし身、錦糸卵、甘く煮た椎茸とそんなに違っていない筈だが。舌に馴染んだ味から大分距離がある。出汁のせいだろう旨くない。
奄美鶏飯は鹿児島に赴任して半年位経ってようやく食べた。当時芋焼酎を130銘柄揃えていた鰻の寝床のような「芥子菜」という小料理屋だった。鶏飯は酒席の最後の茶漬けのような位置づけで刺身、焼き魚を堪能した後に頼んだのである。
鹿児島に来るまで、つまり、神戸、大阪では「飲んだ締めはカツカレー!」と豪語していた私には当初いささか頼りない締めだったが、焼酎の締めとしてやはり最適の一品と私の中でランキングは上がっていった。なにより茶漬けやカツカレーよりみめ麗しい食い物だった。
店は夫婦と思しき2人がやっていた。女性は私より7~8歳上の色白でポチャっとしていた。他の鹿児島おごじょとは少し違う訛りがあって、しゃべり出す度に「・・・さんですね・・・」と私の名前を呼ぶのがクセだった。男性は色黒で口数の少ない人だった。
しかし通ううちにこの二人は果たして夫婦なのか疑問になってきた。夫婦らしき会話はないし、休みに日に女性と偶々遭遇すると単独行動だった。
しかし、「ご夫婦ですか?」と最後まで聞けなかった。同じ職場に後から赴任してきた同僚を連れて行って「どう思う?」と言うと「分からんな。いつか聞いてみるよ。」
その同僚が鹿児島を離れて東京で再会したときに『処であの二人どうでした?「いや~俺も聞きづらくて結局分からずだよ。」
数年前に鹿児島に行った時に店を通ると喫茶店に変わっていた。永遠に謎のままで終わりそうであるが、別れた夫婦が生活の糧だけは共にしていた、それが私の推理である。
でも鶏飯は食べたかった。仕方なくその後は鹿児島市内の鶏飯専門店で2回食している。
今回の汐留の鶏飯はどれと比べても落ちる。出汁は不味くはないがしつこい気がする。鹿児島で食べた鶏飯はもっとクリアなスープだった。
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本門寺梅園 池上 

2007-02-22 19:10:56 | Weblog
私の仕事は毎月20日過ぎから締めに入るのですが今月は折衝先担当が研修で不在。
手持ち無沙汰になるので天気も良いし休みことにしました。
朝ネットに河津桜満開の写真が出ていたので車で行こうかとも思いましたたが最近長距離ドライブをしていないし車の整備状況も不安なので止めて、「ちい散歩・・・地位武男さんが駅起点に都内各所を散歩する番組・・・欠かさず録画して見ています。」で先週紹介していた本門寺横の梅園に行ってきました。
第二京浜の本門寺口を右折するのですが、信号待ちしている間に横を見ると池上線の高架越しに梅園がみえました。右折して高架を越すと直に梅園への道とその手前に有料パーキングのゲートが見えたので慌ててハンドルを切りました。
平日の昼前だったので福祉施設の車が何台か止まっていて車椅子の昇降の最中、ちょっと車庫入れに緊張しました。
ちい散歩で紹介されていたときはチラホラでしたが、今回は風も無く絶好の梅見びよりでした。花粉症のマスクを本日から着用したので香りは分かりませんでしたが陽だまりのなか穏やかなひと時でした。
思ったより広くて梅ノ木の数320本程度、昔は伊東深水の住まいだったところの隣接地を戦後築地の業者が買い取って別宅とし大田区に後年寄贈されたようです。中に故藤山愛一郎の別邸が移築されており中々に庭園、建物共に見応えのある梅園でした。
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七福亭 カレー天うどん 鶴橋 大阪

2007-02-17 18:03:10 | 関西グルメ
実家から鶴橋駅への途中にある。駅前通りにあったのだが一本中に入った処でこぎれいな店を構えてからも結構経つ。
最近大阪に帰る機会が図らずも増えてちょくちょく行くようになった。
うどんと蕎麦と比べれば今は蕎麦の方が好みだが、ここのうどんは少し腰が強くて讃岐風だが出汁は大阪風である。
カレー天うどんが一番高いが甘く煮た牛肉をカレー汁に載せた上に海老が2尾、レンコン、カボチャ他盛りだくさんに熱々が載っている。
地元の評判も上々でミニコミに結構紹介されている。1360円でもお値打ちだと思う。

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北野天満宮 紅梅 京都

2007-02-16 16:08:59 | Weblog
翌日も天気が良かったので北野天満宮へ観梅へ。
京阪電車に乗り終点の出町柳まで。バスで行く予定でしたが母親が階段の登りで疲れたようなのでタクシーに乗りました。
ドライバーが気を利かせて正面でなく歩く距離の少ない上七軒側入り口へ着けてくれました。風もなく絶好の梅観日よりでした。5分咲きと行ったところでしょうか。人もそんなに多くなく良かったです。
タクシーの車中から上七軒の料理屋の前を通り、ぐっとそそられる風情の店があったのですが、母が又戻るのは辛いというので致し方なく市バスに乗り京都駅で昼食を済ませて帰りました。
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中国酒家 蟹と春雨炒めの土鍋 北長狭通 神戸

2007-02-15 22:10:06 | 関西グルメ
休みを三日取ったので当初、黒川温泉か石垣島、はたまた鹿児島の妙見温泉等と漫然と考えていたが優柔不断で宿の手配に至らず、結局は留守宅の様子が気になることもあって大阪に帰ることにしました。
緊急の用というわけでなく、母親の体調も良いので神戸便に乗りました。元々一日前に乗るつもりが春一番の嵐と云うので一日繰り下げたので好天の中降り立つことができました。予備知識は仕入れずに乗ったのですが、ルートは富士山北側を通過、A席だと多分真下にくっきり見えたはずです。
神戸を通り越して姫路の手前から南下、明石大橋を東向きに通り越して最後はかなり大きく左に舵をきって着陸。他はANA一機のみ。直ぐ前に関空までの高速水上バスが見えました、関空開港の際にポートアイランドまで結んでいて採算割れで廃止したいわく付きの高速船、こりゃまた赤字の塗り直しだなと思いながらポートライナーに乗りました。
10時半過ぎに三宮についたので少々時間潰ししなければなりません。西村珈琲に行きたいと思いましたが昔会員になっていた蔦の絡まる北野坂の店まで登るのは母親にはきついだろうと諦めて三宮アーケードの中の地下の西村に入ろうとしましたがどういう訳か杉本珈琲という店に代わっています。結局大丸で時間を潰し、11時半になったので鯉川筋から一つ入った北長狭通の中国酒家へ。
処がまだ「準備中」そんな訳はないと思って中を覗いて「何時からですか?}「12時からです」そういえばこの店の近くに新愛園、紅宝石、順徳と昔お世話になった店が並んでますが皆まだ準備中。東京の店で12時からってあり得ないけど、ここ神戸の店はそうだったんですね。仕方が無いので店の前の陽溜まりで待つことにしましたが程なく奥さんが「良ければ中でお待ち下さい」と声を掛けてくれました。中でお茶を頂く間に「昔、私~・・・ものでよく来てたんですけど、ご主人はお出かけですか?」と会話を始める。奥さんも思い出してくれて昔話と大震災の時の苦労話。「主人は今ちょっと買い物に出ています」「開店したとき娘が2歳で今は28歳だから、もう26年やってますね~」
私がこの店に来だしたのは1983年である。本保さんという先輩と昼飯グルメツアーをやっていて見つけた店である。店名が大仰で胡散臭いと思ったのだが手頃で本格的な料理を出してくれ、主人と直ぐに親しくなった。主人はOwnerで本業は食材、雑貨の輸入をやっている人である。
「震災の後ね。この辺が最後まで水道とガスが来なかったんですよ。家はこの店の少し上なんだけど、そこもここもガスが復旧まで2ヶ月かかりましたよ」「水はどっかから貰うて来て、ガスボンベでラーメン作って配ってたんですよ」
「私の通っている時分、この通りでヤクザの出入りが有りましたよね、何て云いましたっけ?」「一和会。今はもう無いけどあのときは警察の楯がぎっしりだったから、商売あがったりでしたよ」
奥さんは厨房と話をしながら「蕎麦屋、電話したら今出ますやて! まるっきり時そばやわ~」おやおや、まかない飯には飽きましたか。やっと12時になり「お待たせしました」
この店は広東料理である。一番好きだったのが海老を蒸した料理なのだが、今日は出来ないとのこと。それではと同じくいつも頼んでいた「炒三鮮」

このポテトの籠にもったホタテと海老とイカ、この店で味をしめてから時々他の店でも頼むのだが、久しぶりの味に感激。
そうこうする内に主人が戻ってきて私を見つけて「久しぶりやね~」ひとしきり神戸空港の話で盛り上がる。「国内線は所詮あかんわ。上海に便飛ばしてくれるとええんやけど」
話している内に蒸し海老の代わりに頼んだ蟹と春雨炒めを土鍋で焼いたもの。季節だと上海蟹で作ってくれたのだが今回はワタリガニ。少し辛くて濃厚な味。主人が鍋に貼り付いた春雨をこそげ取ってくれたがお焦げの旨かったこと。
もう一品酢豚を頂き、最後にマンゴプリンを頂いて終了。
久しぶりに満足の中華でした。
神戸支店時代は神戸生まれの同僚の女性達は良家の子女が多く、それぞれ行きつけの店をお持ちでした。曰く「牡丹園」ある人は「群愛」そういう中で当時開店2年位だったこの中国酒家は私の行きつけとして彼女達にも認知されたのです。
随分いろんな人を連れてきました。当時神戸、大阪にいた仲間は殆ど連れてきています。そして神戸を去ってから鹿児島に勤務するようになってからも2シーズンは10月中旬になると主人に電話して「もう上海がに入った?」と電話してイソイソと上海がにの蒸しものショウガ炒め、土鍋炒めを食べにに神戸に戻ってきたのです。
そして7~8年前でしょうか。函館支店時代に社員旅行に神戸ということになり、当然の事ながら私がセッティングすることとなり、この店でコースを組んで貰いました。大好評で今でも話題に出ます。
店を出た処で主人と又少し立ち話、主人は赤のチェックのシャツ姿がお似合い。
三國連太郎がPAPASで赤シャツ着てるけど、俺も赤シャツが似合う歳になったんだよな~ 秋になったら赤のチェックのPAPASを買おう!せめてLLが入る体型にならないと。PAPASの3Lはないだろうな。
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名物!インディアン!どちらが残った?自由軒 大阪千日前

2007-02-14 10:34:40 | Weblog
先日NHKの「小さな旅」で織田作之助をはぐくんだ街として『夕陽丘』が取り上げられていた。私にとっては思いで深い光景が次から次へと展開した。
若かりし織田作が密かな憧れを抱いた夕陽丘女学校の制服を来た高校生が夕陽を浴びながら歩く姿が撮られていた。織田作は私の先輩。大阪府立五中つまり高津高校の先輩である。からして私にとっても、共学にはなっていたけれども夕陽丘高校の女学生は憧れだったのである。高校に入った時先輩が『今年の夕陽は不作やて~』「ほんで高津は凶作やで~」
夕陽丘の方が美人が多いと信じて疑わなかったのは女生徒の制服が楚々としていると思ったからに違いない。
高校時代から文学はからきし分からなくても(今でもそうだが)、漱石、ドストエフスキーこそが文学であり、織田作なんて俗なものは読まないと唆されたのか、思い込んだのか定かでないが読むことが無かった。・・・受験に出題される可能性のない文学作品だったから・・・。
「ここのはあんじょうまむしてあるよってに旨い!」と織田作の夫婦善哉にでてくるのが、ここ自由軒のカレーである。
といっても、あんじょうまむしてあるから旨いのは自由軒のカレーであって、すぐ近くの鰻のいずも屋のマムシ丼ではないっ!とはなはだ確信を持っては言えないのだが。
この千日前の店と船場に支店か暖簾分けだかの店があって、数年前に東京は新橋に出来た自由軒は船場自由軒の支店となっている。しかし自由軒本店は本来この千日前店の筈である。
ルーをご飯と混ぜて真ん中を少しへこませて生卵を載せて出す。
千日間の自由軒ではこのカレーと普通のカレーがあり。普通のカレーは別カレーと呼んでいた。そしてこの混ぜカレーは「名物いっ丁!」といったり『インディアンいっ丁!」といったりしていた。
店には親父と娘が二人いた。二人とも美人と言えば美人だった。二人とも典型的な食堂の白い上っ張りを着ていたが、姉と思しき非常に甲高い声の持ち主と少しポッチャリした少し甲高く鼻にかかる声をした妹と思しき姉妹であった。
高校の先輩ゆかりの店として高校時代から通っていたがこのお二人の恐らく20代後半から60代までを折にふれ見続けたことになる。
厨房への注文連絡にどちらかは「インディアン!」と叫び、どちらかは「名物!」としたのである。何故ならインディアン一丁!は尻上がりで、名物一丁!は尻下がりに発せられていたことを私の耳が覚えているから。
二人ともいつまでたっても嫁にいった気配が無かった。白い上っ張りと甲高い声に何時いってもお目にかかるのであった。
でも今回、中を覗くと一人しかいなかった。あ~とうとう一人欠ける状況に至ったか
と感慨しきりであった。どちらが消えたのか定かでない。姉妹だから顔は似ていたし、歳を重ねてからはお二人とも揃って中年太りだったから。
ちなみに名物に旨いものなしだが、ここのカレーはどうか?
懐かしい好きな味だが、混ぜてぐちゃぐちゃになったカレーを更に生卵でどろどろにして食べるカレーが旨いといえるかどうかの判断は差し控える。
後記、本当に偶然だがこの記事をアップして数時間後、こんな記事が出ました。
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観梅 ちょっと早かった浜離宮 それに年寄りには不自由

2007-02-12 17:35:17 | Weblog
好天なのでどこかで観梅と思って最初は本門寺の梅園が近くて良いと思ったが駐車場がなさそうなのと急坂とネットに書かれていたので母を歩かすのは可哀そうと遠慮した。確か浜離宮だと入り口前の駐車場があいていれば便利と思っていってみた。しかし
16年にこの駐車場はバス及び身障者専用の駐車場に変わり一般者は汐留の都営駐車場を使えとの看板が。致し方なく地下駐車場へ。ところがこの駐車場かなり旧いらしく階段を上がるしかない。地上に上がってみると離宮入り口には又歩道橋を渡らなければたどり着けない。
よっぽど止めようかと思ったが母を説得してなんとか入園。
天気は良かったが少し風があり寒し。梅林ではないので彼方此方に梅の木は点在。
よく手入れされていてどれも見事な枝ぶりだが、まだちらほら咲き。

江戸大神楽をやっていましたが大神楽を名乗るには芸、話の間のとり方ともに未熟な演者。数分みて早々に退散しました。
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みみ卯 横浜そごう内

2007-02-11 17:58:03 | 首都圏グルメ 和食
旧い門構えの中の大阪みみ卯本店は若い頃何回か通いました。
会社の連中と行った何回かは酩酊してました。
『福寿』と言ったか『福禄寿』といったのか、凍結状態から溶けてくる濃くて冷たい酒は舌を麻痺させて度を過ごさせてくれました。
あの頃といっても70年代中ごろと次は80年台中ごろのいずれも数年間ですが、あの陶然とした酔い心地と翌日のムカムカ感を懐かしく思い出しました。
みみ卯のうどんは一種不思議です。決して腰の強いうどんでないが、うどん漉きで最後まで煮崩れない。
東京時代も京橋のみみ卯にはよく昼食に行きましたね。昼食だからうどん漉きではなくて食べ放題の「賑わい蕎麦」でしたね。
もう「賑わい蕎麦」にトライしたくありませんが、うどん漉きは機会があったら適量の凍結酒とともに味わいたいものです。
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比内重 鳥藤 築地場外

2007-02-10 18:23:33 | 市場飯
久しぶりに土曜日に築地場外で買い物。煮干と昆布はスーパーでは期待する品質のものが手に入らない。もっともこの2品目は今までは大阪の鶴橋市場で仕入れていたので、大阪と東京で消費者指向が異なるので築地でも同じものが手に入るわけでない。煮干は大阪では出し雑魚と言っているが生育環境によるらしく関東の煮干しは大体が堅過ぎる。今回も九十九里の煮干を購入したがやはり堅い。
堅いと何故困るかというと、我が家では煮干は出しを取るためではなく、頭とワタを取って半身に裂いて酒を振りレンジでチンしてそのままボリボリ食べるから。
とにかく買い物を済ませて遅めの昼食にすることにしたが。寿司屋の類はどこも長蛇の列、私の昔からの顧客の事務所のある山一漁業ビル2階の浜茂寿司なんて処は以前は閑古鳥の鳴いていたのに他店同様2階に上がる階段には蟻の如くびっしりの列。
市場通りに面した門跡通りに限らず、築地場外は横筋まで青果店等をたたんで寿司屋に化ける「寿司バブル」の真っ最中。もう手がつけられない。
なんだか悲しくなってしまう。という訳で今回も寿司屋は敬遠。
鶏肉卸の鳥藤の息子がやっている『鳥藤』へ。親子丼にしようか迷ったが一番高い、比内重1300円を注文。他の定食もそうだが丁寧な炭焼きの仕事と鮮度のいい肉を使っており右半分に敷いてあるソボロがアクセントになっていて満足した。従業員の対応も横柄さが無く気持ちいい。
この「築地寿司バブル」豊洲移転まで続くと思わないし続いて欲しくない。
個人的好みを言わせてもらえばイタ飯かスペイン飯の店が数軒できると良いなあ。

このように外食店が市場で増えている現象は市場機能そのものの衰退を意味していますね。
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