Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

今回は2府2県 最後は神戸

2013-09-24 17:08:49 | Weblog
鶴橋という所は交通至便で国鉄時代は利用乗客数の全国第10位の駅であった。尤も降りる客が多い訳ではなくて国鉄環状線と近鉄奈良線、大阪線の乗り換え駅であったから。
今はJR各社を俯瞰した統計が無いが多分15位以内にはなるだろう。
私は高校まで徒歩通学だったし、大学時代は国鉄に乗り京橋で京阪に乗り換える、大阪で阪急に乗り換えるかであったので近鉄は余り利用しない。
でも数年前に近鉄と阪神が相互乗り入れして三宮まで乗り換えなしで行けるようになった。ついでに言うと奈良線に乗り大和西大寺で乗り換えるとそのまま京都市営地下鉄に乗り入れて市内まで少し時間はかかるものの行く事が出来る。そして昔は近鉄特急のヴィスタカーは鶴橋を出ると名古屋までノンストップだった。ということで近鉄鶴橋から奈良、三重、愛知、京都、兵庫に便利に行ける。

今回は最終日に神戸で昼食をとって伊丹空港に向うルートとなった。
友人との前日の母校訪問が無ければ最終日に京都に独りで行き、詩仙堂辺りを散策して、手始めに御料理はやし と言う店で京料理を頂いてほろ酔いで新幹線で東京に戻る予定であったのを振り替えた結果である。
初めて乗る延伸区間は尼崎で阪神本線に乗り入れる。通しで運行しているのは快速急行で、これはとても早いのかと思ったらそうでは無くて本線で特急に抜かれる事は無いものの、主要駅で隣ホームに普通電車がついて乗り換え客を乗せて発車する。ということで鶴橋から三宮の所要時間は53分。まあ大阪で阪神、阪急に乗り換える手間を考えると時間的に同じで楽チンという事になる。

神戸にはお気に入りの店があり中国酒家という。主人の関さんに会って喋って久しぶりに炒三鮮と白海老の蒸し物等食べたかったが昨日の秋分の日の振替休業であった。もう一軒の馴染みの新愛園も同じく振り替え休みで、消極的チョイスで 群愛飯店で手軽なランチとする。

空港バスまで1時間半程、西村珈琲の北野坂店を目指す。今と違って神戸支店在勤時代この店は会員制だった。細身のマダムが居て会員証のキーを渡して中のシックなソファー、オルゴールの並ぶ店内で美味しい珈琲が飲めた。
その頃と次の鹿児島勤務の頃が何の憂いも無く時間も金も自分の思うままに浪費できた時代だった。北野坂を下っていく途中にジャズクラブがあり、Swing系のジャズを聞き、ハイボールを飲んでいい気分になりきって電車で大阪に帰る。電車が混んでいる事は無く絶対座って帰れた。

その頃と比べて、今は。
浪費する程は時間も金も無いが、目的意識さえきちっとしておれば両方とも足りない訳でない。漠然と考えながら一杯800円の珈琲を飲み終える。
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新島襄、八重の墓参り

2013-09-23 22:00:50 | Weblog
テレビドラマというものを見ない。「あまちゃん」は勿論、「半沢直樹」も「相棒」も、従って「八重の桜」もNHKで一分程度流される予告ダイジェスト以外は見た事が無い。ついでに言うと国民的番組にはことごとく背を向けるので「紅白歌合戦」も見ない。 ドラマを見ない理由は 惚れたはれた、捨てられたという場面を見るに耐えないからだと思う。

今回帰って「会おう」と声をかけた友人が新島襄と八重の墓に行こうと言い出す。興味は持ち合わせないのだが「そんなもの京都に有るの、知らなんだ。」「でも哲学の道の奥に有るようやな、じゃあ天気も良さそうだし、行くか」とメールを返した。
15年程前に破綻した相互銀行で海外業務課長であった彼は、その後職業を転々として、今は高速道路料金所の監視員、従って25時間拘束勤務+休日のパターンを繰り返すシフト勤務。23日だったら終日付き合うという。
京都に着くのは昼からで良いだろう。墓参りと同志社構内を歩いて三條か四条で一杯飲んで帰ろうということにした。祇園か先斗町で京料理を食べるのを私のこれからの大阪帰りの「密かな悦楽」とするつもりでいるのだが、この十数年の彼の家計の厳しさは分かっているので、今回は諦めて居酒屋で済ますつもりである。

京阪電車の神宮丸太町で下車、平安神宮の裏手を横切り若王子神社に辿り着くまで30分近く。疎水の支流に橋がかかり、ここから哲学の道が北の方にスタートするのだが、神社の裏手からさらに東の方向につまり東山を登っていく。この辺りになると「新島襄と八重の墓」と最近設置された案内板が目につくようになる。「ここから山道を20分」と書かれている。ここから登るのかよ と一瞬息を吐く。

登り口に竹の杖が木箱に入れておかれている。お世話になった方が良かろうと借りて再び歩き出すと、小さな滝が有って、その上は小さな砂防ダム、そこを右の方に辿って登っていくのだが、もう登山道である。基本的に石が敷き詰めてあり登りやすいようになってはいるのだが余り景色も開けず少々辛い。友人は遅れだしている。私は膝がグラグラしたらどうしようと少し不安だが、そんな事も無く結局15分少しで「同志社校地」とされる墓所に着いた。途中10人くらいと行き違った。ドラマ放映前まではここを訪れるのはマニアだけだったろうに当分はここも観光名所かあ。
新島襄の左隣に八重の小さな墓、そして左の方の離れた一角に 山本覚馬、徳富蘇峰の墓が有る。この一角は楓なので多分10月下旬は綺麗だろうと思う。襄と八重の墓の後ろには楓は無いが、入り口の所に一本有るので入り口横から二人の墓を広角で撮れば紅葉と墓が写りそうな感じ。

10分くらい居ただろうか、結構蚊に食われた。

若王子神社で水分補給をして大学を目指すことにする。烏丸丸太町まで市バスで京の街を横切り地下鉄に1駅乗る事にする。御所を歩いて向っても良かったが友人は膝が笑ってるというし二人とも地下鉄に乗った事が無い。我々の時代は市電が走っていた。

烏丸今出川で下車、久しぶりに大学構内に入る。

祝日だから人がまばらなのは当然なのだが、立て看板が一切無い。「こうやってみると随分、落ち着いたええ雰囲気やな」
4年間ロックアウトされていて一度も中に入れなかった総長室のある建物、他の建物も立て看板が無い校舎というのは初めて目にして新鮮であった。同志社も我々卒業後、1回生2回生は大阪、奈良、京都県境の三角地帯で京都に辛うじて籍のある京田辺という辺鄙な所で学ぶようになったが、都心回帰で文科系学部が来年にはすべて今出川校地に帰ってくる事となり、新しい校舎が数棟新設されていて、当然ながら写真のクラーク館や文化財のチャペル等に色調を合わせた落ち着いた立派な建物群で、随分学校の格が上がったように見える。「これは一流大学と見間違うな」

そう、写真の写し方工夫次第で「ここはスタンフォードかケンブリッジか?」の如くみえるかも。それは冗談だが御所の北に位置するというのが同志社の値打ちだと思うし、「八重の桜」効果と合わせて「来年から受験生増えるで~」が我々の結論。

烏丸二乗御池まで二駅地下鉄に乗り境町下るの「イノダ本店」で珈琲を飲み、居酒屋ではないが京極のキムラという安いすき焼屋で一杯飲んで帰還しました。
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薬師寺

2013-09-22 23:39:03 | Weblog
ウオーキングイベントを済ませて一旦家に帰り、近鉄電車で薬師寺に向かう。
鶴橋から西大寺まで行き、乗り替えて2つ目の西の京駅まで。1時間はかからない。
訪ねるのは四十年ぶり位である。
2010年のブログに書いているがに母を薬師寺東京別院に連れて行った。既に薬師寺東塔の大修理が始まっており、特別写経の勧進が行われていた。
それに先立つ旧い話からすると、父存命の時だから30年以上前だろう、父と母は薬師寺金堂再建の勧進に応じて屋根瓦を寄進している。

母は写経を書いて納めたいといった。その時は癌宣告を受けた後、間質性肺炎の危機を超えて退院し投薬治療が始まっていた。逆流性食道炎が酷くてやせ細っていたから・・・果たして書き終えるまで気力が続くだろうか・・・大いに不安であったが母は頑張って5カ月位かけて十種20巻を写経し終えた。
10巻は東塔再建時に納められ、10巻はインドの布教の聖地に納められる。

結果的に母の最後の務めとなった。勿論、最後まで料理を作り、私に料理を仕込もうとしたのが彼女自身にとって私的にもっと重要な務めもしくは使命と考えていたと思うけど。

時間もあるし、ゆっくりと見て回る。母が年に少なくも4回程度は詣っていた弥勒にも聖観世音にも手を合わせて私なりに心の中で母に代わり感謝を申し述べる。
「納経の功徳が有ったかどうか、しかとは分かりませんが、多分苦しまずに逝きました。私は最後の一息まで見届けられました。病院が最後まで面倒を見てくれたお陰で私は仕事を辞めないで済み、母が亡くなってから2カ月後、病院は気の毒に破綻、閉院しました。私の分かる限りで母の友人、大阪のご近所にも最後の様子を伝えられました。父が残した会社、母の想いで命名した会社は事業を継続し、配当もくれてます。」
盛り合わせ定食の如く、脈絡なしに思いつくまま謝意を述べてきました。

午後4時半頃で、夕陽が深く堂内に入り、仏様達のお顔が輝きを増しているようで飽きず眺めて来ました。
唐招提寺にも行こうかと思いましたが午前の活動と合わせ些か疲れを感じ断念しました。

でもこれから予定では2年間、毎月実家に戻ります。奈良の秋、冬、春を京の四季と同じく、味わい尽くす積もりです。

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ノルディックウオーキング初体験

2013-09-22 18:23:24 | Weblog
2回目の帰阪は3泊4日。21日昼前に墓参りを済ませ、帰って掃除洗濯を済ませ機上の人となる。
今回の旅は天気に恵まれる。
翌朝、大阪の中心地、中之島の八軒家に赴く。昔聞き込んでいた上方落語の大ネタ「三十石」は普段は伏見での乗り合いの下りしか演じられないが、八軒家は三十石船が到着する船着き場の名称である。通して聞いたのは大阪時代に一度きりで、東京落語の故円生はかなり後半まで演じたが本来の下げまではいかず「三十石は夢の通い路」といってさげた。

今回行った目的はノルディックウオーキングである。夏場に始めるものでないと思うが、今回大阪にいる間に企画があったので電話で申し込んでおいた。体験会開催場所が八軒家ということで行ってみて、このあたりで、母に連れられて精霊流しをした幼いころをふと思い出す。

ノルディックウオーキングは1年以上前から参加したいと思っていた。全身の筋肉トレーニングになるという事もさりながら、膝の痛みが軽減するかもしれないとの期待である。

参加者は30名位か、中に上方落語協会幹事長の桂春之輔さんがいた。はっきり言って彼の事はよく知らないが「私は以前事故で両股関節骨折しておりまして」と挨拶していた。

最初に全日本ノルディックウオーキング協会長から簡単な効用説明があったので受け売りすると
「ウオーキングでは下半身を中心に全身の60%の筋肉を使います。ノルディックウオーキングは上腕も体幹もよく使うので全身の筋肉の90%を使う結果、消費カロリーは30%増しますが、身体を2点支持から3点支持、4点支持に変えることで膝、腰への負担は4割位軽減されます。難しいことは考えないでストックを持って大きく腕を振って、前に出ている足の反対側にストックを着地させてください。」

芝生の上でのレッスンが始まるが数分歩いて一応様になった。「ノルディックウオーキングを続けると歩幅が広がってきます。人間歩幅が小さくなると老けて見えるし、実際歩幅の広さと健康年齢の若さは比例してますよ。」
レッスンの後、長距離コースと中の島のバラ園を廻る短距離コースに分かれたので私は短距離コースを選び、個人指導も受けることにした。協会長から個人指導を受けながら「私はねえ。数年前に頑張って昼間ランニングをしていて、上手い具合に体重も落ちたんだけど結果として膝を痛めてしまって、今は走るのはとんでもない状態になって、いやあ失敗しましたよ。」
「そういう人結構いますよ、でもこれやれば十分に体力維持できますよ。登山もできるようになりますよ。ダブルストック使いという意味で登山と同じですから」まだまだ距離を歩いてみたいと思ったが八軒家のステーションまでついてしまい、長距離コース組みの帰還を待つ。
桂春之輔さんが戻ってきたのでタイミングをみて彼に話しかける。
「私は社会人になってからほとんど大阪に住んでいないのですが、学生時代は南の島之内キリスト教会でやっていた島の内寄席に通い詰めていたんですよ、申し訳ないがあなたの高座は記憶ないのですが、当時はどんな名前で出てました?」「同じ春之輔ですが字を助と書いとりました。」「お名前から春団治一門だと思うけど、亡くなった春蝶さんとはどんな関係になるんですか。」「私の兄弟子ですよ。」「そうですか、春蝶さんは惜しいことしたね~、彼の植木家娘と善哉公社が私は懐かしいですよ」「ほんとそうですよね。島の内を閉じて直ぐに松鶴師匠がおかしくなったし」少し昔話に花が咲いた。彼の得意ネタがなにとか一切聞かずに失礼なことであったが。「天満の繁盛亭には私の落語仲間と、そのうち伺いますよ。」

東京に戻る日に合わせてAmazonでノルディックウオーキングポールを注文したのは勿論である。週に何回かノルディック通勤をやってみるつもりである。奇異に見られるだろうが、既に奇異な人種に属しているから構わないだろう。


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