Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

スマートフォンを買い替える

2013-05-26 23:29:57 | Weblog
昨年1月買った1代目の富士通スマートフォンは酷いものだった。
携帯はこの10年ほど前に、首からぶら下げるという不格好だが堅実、賢明なるスタイルに変えたことより、落とす、忘れる、水没させるという、私如きそそっかしい輩が起こすべくして起こした数々の事故が絶滅した。
スマホ1代目も従って、徐々に無くなりつつあるストラップホルダーのついた機種を選別した。

朝、フル充電状態で首からぶら下げて職場に着いた時点ではや2割程度電池が消耗し、電話をかける訳でなく、強いて言えば電話帳機能を活用するだけで、昼過ぎには電池切れ警告がなる。仕方なく予備電源で充電するのだが、夕方帰る頃には心細い状態になり、家に帰る前には再び警告がなるという案配であった。家に帰ると即、充電器にさすので、家に帰ってからの着信電話、メールに気がつかない事がしばしばだった。
自衛策として着信電話のなさそうな平日昼間は、職場で電源を切るのが標準的な使い方となった。
これではいくらなんでもスワッ地震、事故という時の連絡手段として機能する訳もない。
という事ではや1年半弱で2代目スマホを購入する事に決めました。
選別基準はやはりストラップホルダがついていること、電池持ちの一番良さそうな機種という事で今回選んだのはシャープ製、しかも先進的?な置くだけ充電方式です。
ドコモショップで順番待ち番号をとったのは午後1時、250分待ちとの考えられない掲示に怒る気もせず、一旦家に帰り夕方5時半にもう一度再来店。
結局手続き開始は7時半頃、必要データを移し終わったのは8時半。
多分ソフトバンクでもauでも大同小異だろう。なにかおかしくない この手のかかり方方?
でも、これでノマドワーキングスタイルに私は進化できるのか?

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器が小さい

2013-05-21 22:51:28 | Weblog
日曜に鹿児島に行く。昨年末孤独死した叔母の預金残高確認が取れたので来てくださいとのメールが入り、毎月仕事が中休みになる二十日前後の今の時機を逃すと先々人間の様々な欲望の糸が延びて、絡み付いて動きががとれなくなる。サッと動いて、求められている金額を処理するにしくはない、ということで日曜の朝鹿児島に降り立った。
協力者の姪御さんと落ち合い、叔母の係累の同意書を取り付けるまでの苦労をお聞きする。
「取りあえず家に行って、金庫探しましょ。」大事なものは金庫に入れてると既に縁切り状態になっていた親族に叔母は語っていたという。私も土地の権利書を探し出さないと先の作業が思いやられる。
しかし昨年末結構丁寧に探したがに見つけられなかった。従って今度も見つけられる可能性はそんなに高くないと思っていたが、私が洋服ダンスの服が畳んで重ねてある奥に手を突っ込んだ処、固いものに触れた。手提げ金庫だった。「良かったですね~、でも開かないですね。鍵無いし。」
しばし二人で思案したが、私は「取りあえず元の所に戻して、金庫業者にあたって簡単に開けてくれるもんだか何らか資格証明の書類がいるもんだかどうだか、調べましょう」と提案してその日の捜索作業を終えた。
既に名寄せ作業の済んだ預金はすぐにでも現金化出来るというので私は「これから何年か固定資産税の支払いが続くだろうし、私の名義で相続関係の管理口座を作ります」と提案。
彼女と別れてから、地銀に口座を開設しようと決めた。翌朝には地銀本店に並び口座を開設し、税の自動引き落としの手続きもとる。

金庫業者に電話すると「ハイ、開けますよ、費用は5000円位です。」とあっさり言ってくれたので翌日持ち込む予約をする。
当初は当日朝に叔母の家までタクシーで行き、車を待たせて金庫を運ぼうかと考えていたが、常識的に考えて手提げ金庫をさげて道を歩いていても、タクシーに乗っても、降車後運転手が警察に通報するかもしれない。
と言う事で私はアウトドアショップに行ってリュックを買えばいいと発想した。好日山荘で小型のリュックを買う事にしたが口の部分がこの幅と大きさだったら入るだろうというギリギリ小振りなものを選んでしまい、もし入らなかったらどうしようと途中気が気で無い。
冷静に考えてリュックなんぞ買わずキャリータイプのゼロ・ハリバートンでも買っておけば先々使えて重宝するのに思いつかなかった。「つくづく器の小さい人間だ。」とこじつけておかしくなる。
でも家に入って金庫をいれると思惑通り丁度収まった。しめしめ、これで金庫もって市電に乗っても怪しまれない。ということで前日夕方にホテルまでの移送作業は終了。

ここらの顛末を早速行きつけの和食店に行っておもしろおかしく話す事にした。

この店では大体、最初の数品は私の顔をみて、主人が貴男はこれで良いよね。と勝手に決める。

シマアジが出た。「シマアジは今日は鹿児島で一本しか上がらんだったよ。少し小さいけどね」。私はショーケースを見て「この左端の魚がシマアジだよね。という事は何かい?こいつの裏側はすっからかんな訳ね?」「面白い事言うね、そんな事言われたの初めてだよ」「でもそうだよね」シマアジはうまかった。
「アオリイカも食わんとね?」というから「いいよ」と応えておもむろに彼が分厚いまな板の上で細かい筋目を入れるのを見ている。普通筋目は切る方向と直角にさっと刃を渡すんだけど、彼は横長に置いたイカの包丁の下半分を使って下半分に筋を入れ、もう一度今度は刃先を使って上半分に筋を入れた。「なんでこんな面倒な下処理するの?」「いやあアオリは身が厚いから真ん中で膨らんでる、だから真ん中の前と後ろで別々に包丁入れてやった方が年寄りには食べやすいから」「そりゃ良いね、という事は私はその年寄りに区分された訳ね」「いやそういう訳でもないけど」

主人は明日金庫空けると、「何が出てくるか楽しみだね、インゴットでも入っとらんかね?」「そんなもの入っているわけないけど、軽い訳でもなくてゴソッゴソと音するんですよ」
他の客はすぐに居なくなったので主人夫婦と四方山話をしていい気分でホテルに戻る。

今日は姪御さんと落ち合い預金を全ておろし、親族が求めている供養料その他を即振り込み手続きして、「あ~これで肩の荷がおりましたね」「金庫の中から又国債でも出ると面倒だよね」とお互いいいながら金庫業者に向う。持ち込むと業者はちょっと触ってほんの10秒で開けた。「鍵はかかっていませんでしたよ」「千円頂いたら充分です」あっさり3分で用事は終わってしまった。

という事で当初予定していた作業は順調に終わる、金庫の中からは蛇は出なかったが思いがけないものが一点、これは後で処理を考えますと言う事にし、不動産と家財の処理は涼しくなる秋口にやりましょうという事でお開きにした。

そして鹿児島の友人に電話して「お茶するのに出て来れる?」と聞くと「すぐ行きますよ。」ということで鹿児島の代表ホテル、城山観光ホテルでお茶する事にした。「地ビールのんでみたら?」と勧められ小さな器に2杯飲んだ。友人をいつまでも引き止める訳に行かないので「後はホテルの温泉で俺はぐたっとするよ。」といって別れる。
晴れておれば桜島が望める展望温泉で「あ~片付いてよかった」と骨休めして帰路につきました。
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わらじサンダル使い始めました。

2013-05-14 09:29:25 | Weblog
膝に問題を抱えて以来色々な靴を試しています。

普段履きしているのは旭メディカル製のヒールの底に赤いゴムの円盤を付けたもの、そして有楽町のアシックス歩人館で足形測定をしてから求めているウオーキングシューズにインソールを調整してもらっているものの2種。

ゴールデンウイーク休み中には日比谷でビブラム社の五本指のランニング靴を試してみました。しかしこの製品は欧米人の足に合わせて作られており甲高、幅広の日本人には合わないようで私は指を入れることさえできず断念。
その代替として買ったのがミズノと東大で商品開発した草鞋を原型にヒールを付けたこの製品です。
売りは「一番涼しいウオーキングシューズ」。

時代劇でみる通り、腰かけて紐を結ぶので、まずホームセンターで玄関で腰を下ろすための台を買いました。
今日が2回目です。鼻緒が少し窮屈ですが片道1時間の徒歩通勤に全く問題ありませんし多分慣れるでしょう。
これからの暑くて蒸すシーズンは履く機会が増えそうです。女性用もあります。
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2日目は晴れた白神山地での面接授業 

2013-05-12 22:12:30 | 放送大学

白神山地の西側入り口にある西目屋町にある元の小学校を改築した温泉施設に泊まり、そこから山地のブナ林のとば口にある弘前大学の研究施設及びその周辺のブナ林で行われた授業。テーマは白神山地の動植物の多様性。

夕食の席でに参加者が各自自己紹介した。予想通りだが「私は後期高齢者になりましたがまだまだ続けます。」という人から「石垣島から宗谷岬まで日本縦断自転車旅行達成しました。」「オホーツクロングマラソンに出ています。」という方まで元気なシニアの集団。

一日目は雨模様で夜通し降っていたが2日目の朝には止み、研究施設で白神に生息している昆虫、動物の講義を聞いている10時ころには青空が顔を出しました。

前日に歩いたコースを再び歩くと昨日は下を向いて閉じていたカタクリの花も上を向いています。

「一週間前は全体雪で何も見えなかったですよ、皆さん精進良かったですね。」といってもまだ残雪が所々に残っていましたがエーデルワイスも数輪確認しました。斜面で猿も目撃しました。日本カモシカとツキノワグマには遭遇せずです。

普段通勤にはいているウオーキング靴で行ったのですが、2日目午後は雪の深い所を歩くという事なので長靴をかりて雪面を歩きました。

久しぶりに山道を雪の窪みを注意しながら上り下りし、写真の箇所はロープを伝っておりました。

途中で膝が酷く痛んだらどうしようかと不安だったですが、存外というか普段平地を歩いているときより膝の調子は良かったです。

山道の傾斜路を滑落しないように注意しながら歩きましたが膝のどの方向に力が掛かるか予測できないし何回も雪の中に長靴を突っ込んだわけで平地よりずっと大きな負担が掛かった筈です。

歩きながら考えました。平地を歩いて午後になるとあれだけ痛いのは筋肉疲労がたまっているだけではないのだろう。歩行姿勢に問題ありで膝、大腿骨の特定箇所に負担が集中しているんだろう。

であれば、今の筋トレでは十分でなくて、腸腰筋をもっと鍛えるとか、姿勢の横ブレを減らすバランストレーニングをいれるとか異なる対処を考えて効果的な改善策をたてることが出来るかもしれない。そんなこと考えました。

もうひとつ、普段の決まり切った生活から離れて、パソコンも遠ざけて野山に入るというのは、森林浴効果というのとは少し違いますが、私の自律神経のあり方に多少の変化をもたらしました。具体的に書くのは難しいけれど忘れていた感覚が蘇りました。

休日に自然の中で過ごすのは身心によい影響をもたらす気がします。

午後5時に授業が終わり弘前に戻りました。前日は見えなかった岩木山の夕景をみて東京に戻ってきました。

 

 

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弘前の夜桜

2013-05-10 22:18:12 | Weblog

今学期初めての面接授業の為、弘前に向かう。職場で3時少し前まで仕事して3時35分の便に乗った。誰かに手土産買う必要もなく搭乗手続きの必要もないタッチ&ゴーを利用することで可能になる ぶらり独り旅の手軽さは一種快感。

昨年からは旅にはiPadを携えるのが常だが今回はそれもやめた。代わりに着替えを多めに入れて雨具と共に、通勤に使っているいつもの赤いリュック一つに纏め青森便に乗る。

弘前の桜は例年は4月末なのだが、雪の多かった今年は10日程遅れて7日頃に満開となった。ホテルにチェックインしてニュースを見ると予定の桜まつりの期間は終了したが弘前城の夜間ライトアップは延長されているとのこと。駅前のホテルから25分くらい歩いて夜桜見物に向かう。

さすがに染井吉野はだいぶ青葉が出ているが、枝垂れは丁度満開の時期だった。昼の弘前の桜を写したのはまだ函館勤務の時だったから12年くらい前だ。母と来て津軽塗のお椀と箸を買って帰った。でも今回のライトアップに映える桜の方が見ごたえはあったというべきか。

小一時間、本丸の周りと堀の水面に映った染井を写し満足して引き上げた。もう観る機会はないだろう。

放送大学のスクーリングは当の前から日程が決まっていて、そのタイミングに桜が遅れてくれた結果で旅人しては幸運な巡り合わせだが。

地元にとって多雪に拠る農作物への影響は深刻なようである。本来なら5月10日位がフジ林檎の開花時期なのだがまだ後10日程掛かるらしい。開花、受粉の遅れは収穫を考えると林檎一個あたり一日5グラム分生長を遅らせ、今年は小ぶりなフジになりますと同じニュースで伝えていた。

花見を終わって街の中心部に向かっている積りでどんどん歩いて行ったが、段々街灯の間隔があいて暗くなる。方角を間違えたらしいが暗くて目印になる建物を確認できない。仕方なく自転車に乗った女学生に尋ねることにした。中学生の連れだろうか、親切な、しかし正確度に欠ける説明を有難く聞いて今来た道を取り敢えず2ブロック戻る。もう一度OL二人連れに尋ねて、今度は的確な説明を受けた結果、15分位余分に廻り道をして覚えのある土手町の飲食街に戻れた。

以前に入った「結き」という一見は入りにくい店にはいる。相変わらず客筋はいい。そして若くてかわいい接客係が割烹着を着て笑顔で迎えてくれる。ママがそのうち出てきたので暫く経ってから「3~4年前に来て、小難しいことを聞いた客です。」ととっかかりの会話をする。

そう、未だに私の記憶が整理できないというか安住しないのだが。10数年前、まだ函館勤務だった時に来て偶々入った、今は無い居酒屋の女主人の様子と店の佇まいと席の後ろの棚に飾ってあった、白い磁器製の一升入りの大きさの酒徳利に書いてあった、酒の銘柄名を辿りたいという小難しい話。

又その話をすると、隣の常連客が、店の名前は「かぎのはな」でしょうと言う。私のうろ覚えな店の位置と雑居ビルの外観がほぼ一致したので間違いなかろう。でも地元の人の口から確かに存在したのだという記憶を裏付してほしいと思っている「電気正宗」という徳利が並んでいたことまでは確認できなかった。今は無い店なのだから。これは私の脳裏に生涯留まって、誰かと共有するのは不可能なことになってしまいそうである。

勿論こんな、他人にとってどうでもいい話を延々していたわけでない、久しぶりに良くしゃべってよく飲んで、いい気分でタクシーの乗ってホテルに帰還しました

齢をかさねて、自らの記憶の一こまを酒の肴にして一部始終のある噺を語れるようになったという事です。

 

 

 

 

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好天の休日の墓参り

2013-05-04 15:23:18 | Weblog

根津駅で出札に向かうと女性トイレは長蛇の列、これは根津権現の躑躅見物を終えた人の列。

人ごみをかき分け見に行く気にならず不忍通りを渡る。11時少し過ぎだったが言問通りの『芯ころカツ」の信濃屋も、豆腐料理の須田も中を覗き込む客で一杯。

墓のある寺にあがってゆく坂の途中の猫グッヅが置いてある喫茶店も5人程の客が空きを待っていた。

寺に入り、人形を引き取ってもらった堂守りに挨拶するが彼女には左瞼と、額の左側に内出血の跡、顎にも痛々しい傷が。彼女の話によるとトイレで転倒し便器に顔をぶつけて口が切れ相当出血したとの事。

「腰を打ちませんでしたか?」と聞くと「痛かったの、でも東大病院で検査してもらったら骨折は無くて、「折れていたらとても歩けませんよ」と言われたと説明してくれた。「それは災難でしたね、内出血とれるまでまだ日にち掛かりますね。」とこの話は一段落にする。

彼女は週3回透析を受けているが、この1年半くらいの間で随分と体力が落ちた。だけではなくて前回話した時に気づいたのだが、言語が不明瞭になり始め、記憶力も衰え始めたのが、はっきり私には感じられた。透析生活は健常者より早く老いさせるのは避けられないのかと思う事しきり。

「お人形さん会ってゆく?」といってくれたが「今日は相談があります。来月母の一回忌です。亡くなった時と同じく私独りで伺う予定です、本堂でお経をお願い出来ますか」「12日が命日です、その日は休みとれますので命日にお願い出来ますか」「分かりました、3回忌だったのかしら」と頼りない応答だが帳面に書いていたので大丈夫だろう。

一年半程前諸々相談した時に親身に相談に乗ってくれた彼女には感謝しているが、この案配では彼女は1~2年で要介護者となり堂守りは務まらなくなるかもと気がかりである。

ともかく1周忌の予定が組めたので寺を後にし、根津方向には戻らず日暮里駅を目指した。昼を少し回っていたが薬膳カレーの店で昼食を済ませた。思えば母がまだ独りで墓参りが出来ていた5年位前まで、母はお寺に独りで行ってくると言い「日暮里にはどうして行ったら良いの?」と聞くのでJRで蒲田から行くのが一番簡単だよと都度都度に教えた。何回かこの店で「薬膳カレー食べて来たよ」と夕方報告してくれた。

結構辛い。母は辛いものが苦手だったので半分以上は残していたに違いないと思いながら美味しく頂いた。

その後、日暮里駅に近い寺でも躑躅がきれいだったので一枚撮って帰ってきました。

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