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●壬生(ミブ)
この付近一帯は、
湿地帯で小泉が多く、
水が良く
湧き出た事から
「水生(ミブ)」の
称が起こり、
「壬生」の文字が
当てられる様になった。
【過去問】2006年 第3回京都検定3級(9/10ページ)
[9]次の記述について、最も適当なものを(ア)~(エ)から選びなさい。
【京都の地名について】
(85) 低 . . . 本文を読む
第001回「らくたび通信ライブ版- 京、ちょっと旅へ - 」2020年4月15日(水)15時~
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●「お嫁入りには、
戻橋を渡らない」
堀川一条に
一条戻橋があり、
平安期、
文章(モンジョウ)博士
・三善清行が、
没した事を聞いた
子・浄蔵が、
この橋の上で
父の葬列に出くわし、
棺にすがり
泣き崩れると
父が一時甦り、
「戻り橋」と
呼ぶ様になった。
「戻り」にこだわり、
嫁ぎ先から
戻らぬ様に、
婚礼時には
橋を渡 . . . 本文を読む
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▼上七軒
(上京・北野天満宮東門前)
室町期、
北野天満宮修造の際、
用材で7軒の茶屋を
建てたのが始まり、
最古の花街。
天正年間、
秀吉の北野大茶湯
(キタノオオチャノユ)の
休憩所となり、
茶屋株が許された
由緒から
寛永年間に官許された。
【過去問】2006年 第3回京都検定3級(5/10ページ)
[ . . . 本文を読む
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◆工芸1/14▼京焼・清水焼
京都産・陶磁器
の総称を
「京焼」と呼び、
「清水焼」はその代表。
江戸初期、
野々村仁清(ニンセイ)が
「古清水(コキヨミズ)」
と称す
色絵陶器(イロエトウキ)を完成、
尾形乾山・光琳
(ケンザン・コウリン)の
優雅な作品は清水焼
の大衆化に寄与した。
陶器は土 . . . 本文を読む
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●善法律寺
(ゼンポウリツジ:八幡)
律宗寺院。
本尊は、
僧形(ソウギョウ)
八幡大菩薩像で、
明治の神仏分離までは、
石清水八幡宮の祭神。
正嘉年間、
善法寺宮清(キュウセイ)が建立。
開山は、
東大寺・実相上人。
室町期、
宮清の曾孫が
足利義満の母(良子)
であった為、
足利将軍家の
援助を受け、
特に義満は
. . . 本文を読む
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●単伝庵
(タンデンアン:八幡吉野垣内)
臨済宗妙心寺派。
山号、直指山(ジキシザン)。
本尊、五大釈迦牟尼仏。
通称、らくがき寺。
江戸初期の創建、
単伝和尚(タンデンオショウ)の開基。
享保年間、
中興の祖・瑞応(ズイオウ
:豊後国臼杵の月桂寺7世)
が復興。
大黒堂の白壁に
願いを書くと
叶うとされ、
通称は . . . 本文を読む
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●金地院
(コンチイン:南禅寺)
南禅寺の塔頭。
本尊は、地蔵菩薩。
応永年間、
足利義持の帰依を受け
大業徳基(ダイゴウトクキ)が
洛北・鷹峯に創立。
慶長年間、
南禅寺の中興開山
・以心崇伝(イシンスウデン)が
現在地に移し再興。
寛永年間、
大造営が行われ
本堂(方丈)は、
「 . . . 本文を読む
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●南禅寺
臨済宗南禅寺派の大本山。
山号、瑞龍山(ズイリュウザン)。
正称、太平興国南禅禅寺。
本尊、釈迦牟尼仏。
前身は、
亀山天皇が、
文永元年に
大宮院(亀山天皇の母)の
御所として造営した
離宮禅林寺殿。
開山は、
無関普門(ムカンフモン)、
永仁元年の仏殿
(金剛王宝殿)落成
から
. . . 本文を読む
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●来迎院(大原)
・山号は、魚山。
本尊は、
・薬師如来
・阿弥陀如来
・釈迦如来
の三尊仏。
仁寿年間、
円仁が
天台声明の道場
としたのが創始。
天仁2(1109)年、
融通念仏
開祖「良忍」が再興し、
来迎院と称し、
勝林院と共に
声明・音律(オンリツ)
の中心となった。
天台宗最高の
質を持つ、
聖教(ショウ . . . 本文を読む
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●青蓮院
(粟田口)
本尊は、
熾盛光如来(シジョウコウニョライ)。
「粟田御所」とも云い、
平安初期の
比叡山・青蓮房
が始まりで、
天台宗三門跡の一つ。
天養元(1144)年、
天台座主(ザス)・行玄が、
三条白川房で
門跡寺 . . . 本文を読む
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●勝林院(大原)
・山号は、魚山。
本尊は、阿弥陀如来。
長和2(1013)年、
寂源によって創建、
後に天台声明(ショウミョウ)
の根本道場。
文治2(1186)年、
天台宗・顕真が
浄土宗・法然を
当院に招き、
大原談義で専修念仏
について問答し、
本尊は
手から光明を放ち、
念仏の
衆生済度の証拠を示し、
「証拠の阿 . . . 本文を読む
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●三千院 (大原)
本尊は、薬師如来。
前身は延暦年間、
最澄が比叡山東塔
に建てた草庵。
貞観2(860)年、
承雲(ジョウウン)が
最澄自作の
薬師如来像を
お堂に安置し、
円融房(エンユウボウ)と呼び、
後に東坂本の
梶井に建てた
円融院
(エンユウイン・後の円徳院)
を里坊として
本坊となった。
. . . 本文を読む
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▼石清水八幡宮
(八幡高坊)
祭神は
・誉田別命(ホンダワケノミコト)
・息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
・比メ大神(ヒメオオカミ)
で、
かつては、
「男山(オトコヤマ)八幡宮」
とも言われ、
奈良・大安寺(ダイアンジ)
の行教(ギョウキョウ)が、
貞観元(859)年に
「宇佐(ウサ)八幡宮」
のお告げを受けて勧 . . . 本文を読む
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▼平野神社
(平野宮本町)
祭神は、
「今木神(イマキノカミ)」
「久度神(クドノカミ)」
「古開神(フルアキノカミ)」
相殿に、
「比売神(ヒメノカミ)」
平城京の
田村後宮(タムラコウキュウ)
から長岡京を経て、
平安遷都の時に
この地に移された。
朝廷に崇敬され、
源氏・平氏をはじめ
諸氏の氏神として
崇められ . . . 本文を読む