シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

かぞくのくに

2014-09-08 | シネマ か行

これも公開時に見逃した作品。ケーブルテレビで見ました。ヤンヨンヒ監督の実体験を基にした作品。

北朝鮮への帰国事業で25年前に日本から北朝鮮に渡った長男ソンホ井浦新。このたび病気の治療のために日本に一時帰国することが許され、アボジ(父)津嘉山正種、オモニ(母)宮崎美子、妹リエ安藤サクラは大喜びでソンホを迎える。

帰国事業について分からない方にはググッていただくとして…ワタクシもこのお話が始まってしばらくはちょっと納得のいかないものがあった。25年振り?ソンホっていくつよ?どう見ても40歳代前半にしか見えない。ならいくつの時に日本にいる家族と別れて単身北朝鮮に渡ったの?という疑問が頭をもたげていたからだ。

しばらく見ているとどうもこの家族のアボジは、北朝鮮の社会主義と思想を同じくしているらしいということがアボジの弟テジョおじさん諏訪太朗の話から分かってくる。テジョおじさんはどうやら日本で商売に成功しお金は随分持っているっぽい。ソンホとリエのことは自分の子供のように可愛がっており、ソンホの帰国のために北朝鮮側に随分寄付もしたようだし、ソンホにもお小遣いと言ってそこそこのお金をぽんと渡してくれる。テジョおじさんはビジネスが成功している分、資本主義万歳と思っているようだけど、アボジはそうではないようだ。そのアボジの思想のためにソンホはたった16歳で単身北朝鮮に渡った。そのことがはっきりと分かるのはお話が後半になってからなので、その間さきほど書いた疑問が気になって仕方なかった。

一時帰国の期間は3か月。オモニはあまり大はしゃぎはしていないが、長男が帰って来て一番嬉しいのはもちろんオモニだっただろう。アボジは病気の治療のためにも滞在を半年までなんとか延ばせないかと働きかけをしていた。妹のリエは一番はしゃいでいて、お兄さんと買い物に出かけたり同窓会の準備をしたりして、お兄さんの当時の恋人スニ京野ことみと会わせたりなんかもしていた。

しかし、ソンホはそんなリエのはしゃぎようとは裏腹に多くを語ろうとしない。家族の側にはもちろん監視役のヤン同志ヤンイクチュンが常に見張っていて、自由な発言はできないというのもあっただろうけど、それだけではなく、どうも25年間もあの国にいたソンホは普通に何も考えずに好きなことを言うということができなくなっているように見えた。しかもそれだけではなく、リエに対し工作員のような仕事をするつもりはないかと持ちかけてきて、そのような任務を言い渡されて日本に来たことが分かる。

兄にそんなことを言わせるあの国に対するリエの怒りをヤン同志にぶつけ、それでもまるで木で鼻をくくったような態度に怒りをぶつける場所がなく苦悩する姿が真に迫っていた。安藤サクラのここんとこの演技と監督の演出が非常に良かったと思います。あのどうしようもない感じ。よくある演出ならテーブルや壁を叩くとか窓を割るとかしちゃうとこですが、あの空中を拳で叩いている表現がとてもリアルでした。

病院で脳の腫瘍を診てもらうソンホだったが、滞在期間が3か月では思うような治療はできないと手術を断られてしまう。それでも引き受けてくれる医者を探そう、滞在を半年に延ばしてもらおうと家族が奔走する中、突然の帰国命令が下る。国から帰れと言われれば理由など聞かずにただ「はい!」と言って帰る。それが当たり前の国。こちらで生まれ育ったリエにはそんなこと納得がいくはずもない。そんなリエにソンホは言う。「あの国はそういう国なんだ。ただ従って思考停止して生きるんだよ。楽だぞ、思考停止」と。兄をそんなふうにしたあの国。そんな国にたった16歳の兄を送り込んだ父。リエはそんな父親を一生許せないと思った。そんなリエの気持ちが痛いほどに伝わってきた。

本当にどうしようもない。ソンホの家族は北朝鮮に残されている。もしこのままソンホが帰らないなんてことがあったら、北朝鮮の家族は強制収容所送りになるだろう。アボジもソンホがこんな目に遭うなんて思って北朝鮮に送ったわけではない。当時北朝鮮は「地上の楽園」と考えられていたのだから。

急な帰国が決まったとき、オモニは貯金箱を壊して慌てて出て行った。何を買ってやるんだろう。そう思っているとオモニはヤン同志に新しいスーツと靴とカバンを用意した。「日本から帰すのにあんな格好で帰せない」オモニにできる精一杯のあの国への抵抗だったのか。この先ソンホをずっと監視し続けるであろうヤン同志への心づけだったのか。どちらにせよ、母親の愛に涙が止まらない。

戻って行ったしまった兄のことを思いながらリエは兄が気に入っていたスーツケースを買いに行く。「お前こういうの持って世界中旅して来いよ」そう言っていた兄。自由に旅をするなんていうことは一生できないであろう兄。そんな兄の代わりに、というリエの決意が見えるラストだった。

これは2011年の作品である。その当時に見ていたら、ワタクシも大手を振って「日本のように自由ではない国」という見方ができただろう。でもいま2014年の日本で「自由に発言できない国」というのが他人事でなくなりつつあるような気がしてならない。



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