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岐阜・山口城主居館

2007年10月01日 | お城(岐阜)

黒野城を満喫した後、山口城へ行こうと移動。
登城口まで行くも、今から登るとなると暗くなるなぁと思い断念。また別の機会に来る事にし、登城口付近にある案内板などを見て回った。
山城は無理だけど、まだ明るいし・・・と思い、山口城主居館へ行く事にした。場所はすんなり分かり、館跡の石碑の写真撮影。フェンスに囲まれた中に石碑があるのだが、石碑を正面から撮影できる付近だけ、フェンスが開いている。誰かが強引に壊したのか?と思うも、その恩恵を受ける事にした。

居館跡はほとんどが竹薮で、中に1軒家がある。ブラブラ竹薮の周りを歩いていたら、鋳物師屋敷跡の石碑発見。居館のすぐ隣にあったようだ。その石碑の写真を撮りながら、ここは館ではないのか~とブツブツ呟いていたら、通りがかったおじさまがあれこれ説明をして下さった。石碑の前に落ちている石を拾い、これが鋳物に使っていた石で、赤い部分が鉄分という(写真)。なるほど~
周辺を見ると、この石があちこちに落ちている。こうやってその場に散在したままというのも珍しいかも?

そのおじさまに、「この居館で織部は生まれたのか?」など質問したら、おじさまが「空堀が残っている」と言い出した。エーっ?それは見逃せない。ということで、どの辺りにあるのかと、竹薮に入れる場所を教えてもらい別れた。
早速見に行く。と、おじさまが後ろからやってきて、「やっぱり案内するわ」とおっしゃってくださった。このおじさま、地域の保存会の方らしく、だから色々とよくご存知だった。で、おじさまに付いて竹薮に突入。入ったらすぐに土塁が目に飛び込んできた。
そこから竹薮の中を南西に歩いたら空堀があったー!結構しっかりした空堀だ。でも、竹が邪魔で上手く写真が撮れないのが残念。ホゥと感心していたら、空堀はもともとはもっとあったけど、随分と埋めてしまい、今では残っているのが僅かになったとのこと。

暫し空堀を堪能して、藪から外に出た。石碑だけかと思っていたので、土塁と空堀が見られて大満足☆
その後、おじさまが山口城の大手口にあたる清須口登城道の場所を教えて下さったので、お礼を言ってそこへ行ってみた。入口に石碑があったが、ここから登るとかなりな距離だし、随分と登る必要があるので、今度来た時は、やはり上の方まで車で行けるさっき確認した場所から登ろうと思った。

この日はこれでおしまい。黒野城をかなり歩いたせいで時間がなくなり、平城のみ
だった。

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