「父の日」が近づいてきました。
父の好きなもの、、、ステーキとお酒とぬかみそ漬け。
今年はどうしようかな。去年は牛トロ肉だったから、お酒かな。
そうだ。お姉ちゃんと相談してみよう。。。
そんな夢をみていたのかもしれない。
目が覚めたら、泣いていました。。。
姉と父、もういないんだった。
三か月前に急死した姉。そして、彼女を追うように父も数日前に旅立ちました。
今年は「父の日」がないのです。
実の父なのに、親の最期なのに。
姉に続いて、今回も、最期の看取りもお通夜も葬儀も、参列できませんでした。
父の場合は、誤嚥性肺炎で病院に入院していたし、時間は残されていたのにかかわらず。
主治医にも「会わせたい人がいたら。。。」と言われていました。
義兄も母も病室に詰めていたようです。
にもかかわらず、行けませんでした。
親の最期に立ち会わないとか「普通じゃないよ!」と友人になじられ、
車で拉致されそうになったけれど。
「この病気、普通じゃないから。。。」。
ただ、座っているだけで、失神しそうになるなんて、分からないよね。
喪服を出して着替えて、お数珠はどこだっけ?。親戚の人たちに会って、色々聞かれて、
え~とそれから、長い読経を聴かされて。。。
それ、相当無理だから。もう考えただけで、あぁもう目まいにくらくら。
お線香あげただけで帰れるわけないし。。。
だって、人とのお別れは「カタチ」じゃないでしょ。本当の本物は「魂」との交わりだから。。。
もう親の葬儀も、子供の冠婚葬祭も、みんな行けないものって。受け入れているんです。
人生ってさ。絶対しなきゃいけない事って、実はそんなにないんですよ。
数年前の義父の葬儀の時から、そんな「悟り」みたいな。そんな心境にもなれてきました。
それは
「明らめる」って事でもあって。諦めるとは違います。
(※明らめる:
①物事の事情・理由をあきらかにする。 「創造の神秘を-・めて見なさい/二葉亭四迷」
②心をあかるくする。心を晴らす。 「陸奥(みちのく)の小田なる山に金(くがね)ありと申(もう)したまへれ御心を-・め給ひ/万葉集 4094
提供元:「大辞林 第三版」)
確かにね。たしかに、この三か月の間に、2人の身内に旅立たれるって。
そうそうあることではないかもしれない。
母にとっては特に。
「娘に先立たれるなんて。。。」
と日頃、強気で楽天的な母が、力なくつぶやきました。
だから、父の死も、「もうあれ以上哀しいことはないから。。。」と。明らめていると。
母は、80歳を過ぎています。
太平洋戦争も体験し、両親や兄弟や親戚や親友や、近所の方々を数多く見送ってきました。
それでも、実の娘に先立たれる以上の辛い試練はない。。という。
親より先立つ以上の親不幸はないという。
うんうん。そうだね。とりあえず、私は、父より長生きできた事に感謝したい。
(かなりやばかった時もあったけれど)
これからの目標は、母をちゃんと最期まで看取る事。母より一分でも一秒でも長生きすること。
それが今まで散々、親不幸を重ねてきた、私ができる、最期で最高の「親孝行」なのだろうと思います。
生前、おしゃべりだった姉は、あれやこれやと、喋り倒していましたが。父は寡黙で。
ただ、「今は楽になったから」とか「明るいところにいる」とか、そんなことを明るい波動と共に伝えてくれました。
安心しました。無事に姉と会えればいいのですが。。。
続くのですね。。
私の場合は、、、看取る事が出来ましたが、、、
親戚に囲まれ、ままならぬ身体で、、どんなに心苦しかったでしょうか。
最近、タイの人と話をしたのですが、、、
バンコクでは火葬したのち「灰」は、チャオプラヤー川に流すのだそうです。
葬式もなし。 お墓もなし。 仏壇もなし。。。 (←本当に!)
形にとらわれるだけが「送り方」じゃないですよね。。 きっと天国に気持は届いていると思います。
そう、続くんですよね。
でも、参列は出来なかったので、親戚に囲まれることは、避けられたけど。
おそらく、色々言われていたと思います。母や家人は辛かったでしょうね。
私は、もう何を言われようがびくともしませんが。。。
タイ人と話したんですか∑(*゜ェ゜*)
国によって、死生観はまるきり違いますよね。
タイでは、きっと「生」も「死」も自然の一部という感じなのかも。
人が生まれて、そして死んでいく。。。そんな宇宙の摂理みたいな哲学が、身体に入っているのでしょうね。
インドもそんな感じみたいですね。
韓国ドラマでも、遺灰を川に撒いてましたね。
お墓も、土を盛っただけ。。。みたいな。
キリスト教も仏壇はありません。戒名もありません。
だから、ろくろさんが言われるように、「お別れ」に決まりはないし、そこに悼む気持ちさえあれば、なんでもアリなのかな。
姉も父も、死後メッセージを送ってくれるので、それが救いですね~
大変だったのですね、心中をお察し致します。
私もドクターショッピングをしていた頃に叔父と叔母、それに社員の葬儀があり、大変に悩んだ末に如何にか参列しました。
当時は脳脊と診断が付く前で私は誰からも健康に思われていましたが、祭壇が眩しくて見ていられず、また御経の時の鐘の音が聴覚過敏で脳に突き刺さり発狂しそうでした。
前の親族席で眩しさに耐えられずにサングラスをかけていたので影で色々なことを言われたと思います。
最期を看取れなかったの辛いと思いますが葬儀は参列できなくても、それだけに囚われることはないと思います。
のぶさんが病気と闘ってることをお姉さんもお父さんも知ってたのでしょうから大事なのは心だと思います。
二人とものぶさんが元気になることを望んでいたと思いますので動けるようになったら御墓参りをして元気になった姿を見せれば良いと思います。
呑兵衛さんのブログ、時々お邪魔してますよ。
そうですか。。。
分かります。まぶしさと鐘の音の発狂状態
それでも参列された根性はすごい!です。
最期の看取りって、身内以外は、ある意味自己満足的なところもあるのかもしれませんね。
以前、癌末期の知人を見舞った時に思いました。
あのふっくらした方が、ガリガリになられていて。。。辛かったです。
どうしても、あのお姿が甦ってしまうんですよ。
数年前、女優の南田洋子さんの晩年の映像がテレビに映されていましたが、見たくなかったな~
きれいな彼女のままのイメージを残していたかった殿方も多かったと思います。
呑兵衛さん。
いつか、飲める時が来るといいですね。
私は、それを希望にに生き抜こうと思います。。。うふふ
私が函館で精神病院に入院して、一週間後、家族が主治医に会いに来た日は、父親の命日でした。
無事に?帰れたのは、亡き父のおかげだと思っています
親って、肉体が無くなっても、心配してくれるんかな?
お二人とも、のぶさんの優しい気持ちはわかっていらっしゃるはずですから…、これからも見守って下さってると思います
こんにちは~。
確かにおっしゃる通りだと思います。
自分の魂の一部が欠けてしまったような。。。そんな喪失感がありますね。
てふてふさん。そうだったのですか?
それは、絶対に、お父様が救ってくださったのですね。
ここまま、この病院にいては、本当の精神病になってしまう。。。
親だけじゃなくてご先祖様も、守護霊になっている場合が多いようです。
肉体がない分、フットワークは超いいようです
最近は、物質文明が進みすぎて、死者の魂もこの世に留まってしまう場合も多いようです。
私は、ひたすら、二人の魂が、無事に行くべきところに行けるように。アチラの世界での救われを祈ろうかと想っています