またまた間が空いてしまいました。
このところの寒さで体調が悪く
PCに向かう気力が失せていました。
本当に、この病は厄介です。
冬は寒くて身体が痛く
夏は暑さで、ぐったりし
秋は台風シーズンで具合が悪く
春は華やぐ人々を見るのが辛かったり・・・
つまり、良い時がないのです。
年がら年中、調子が悪い。
今日も、朝から久々の頭痛と、顎の締め付け感と
骨の中枢部の疼痛で、ぶっ倒れていました。
こんな時は、スポドリの水割りを枕元に置き
悶えながら嵐が過ぎるのを待ち、ひたすら耐えます。
それにしても、身体の苦痛は、プラス思考だけでは
乗り切れるもんではないなぁ~~。と改めて思います。
あまりに、痛みや苦痛の時間が絶え間なくえんえん続くと、
身も心も魂も、ぶちっと切れそうになります。
「治っていく過程の辛さなのだから・・・」と
無理やり自分に言い聞かせていても
プラス思考、前向き思考の振りをしていても
しょせんは「振り」をしているだけなので
ほんとの自分が時折、顔を覗かせます。
どうしても、「悪化への道」を突き進んでいるとしか
思えなくて
落ち込みます。
エンドレスな負のループです。
人間、生きるか死ぬか、の究極の場面で、どのように思考し
耐えて、何を希望に生き抜くのだろうか・・・・・
今、私が抱えている大きな「テーマ」です。
某ラジオで作家の小川洋子さんが語っていました。
ヴィクトール・E・フランクルの 『夜と霧』・・・。
『夜と霧』はユダヤ人精神分析学者ヴィクトール・E・フランクルが
みずからのナチス強制収容所体験をつづった本。
学生の時、倫理か何かの授業で読まされた記憶があります。
言葉では言い尽くせない恐怖を味わったフランクル。
しかし途中から、『生きるとは何か』
『希望のない状況に追い込まれた時どう生きるか』
『運命にもてあそばれた中での決断の意味』などを
学者の目を通して問いつづけます。
「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることが
わたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、
ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。 」
「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、
未来の目的を見つめさせること、
つまり、人生が自分を待っている、
だれかが自分が待っていると、
つねに思い出させることが重要だった。 」
なんか、今の自分の状況に似てるなぁ~~。
なんのために生きるのか
なんのために耐えなければならないのか
そんな事を考え始めると
この過酷な病気は耐えられないのではないか、と思います。
ワケは解らないけど、
どんな意味があるのか解らないけど
とりあえず、ひたすら、耐えて生きてみる。
きっと、そこにこそ大きな意味があるはずです。
今はワケが解らなくても
暗くて長いトンネルを抜けたら
きっと
誰かが自分を待っている