たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

「夜と霧」フランクル

2008年01月27日 | 心に残る言葉

またまた間が空いてしまいました。
このところの寒さで体調が悪く
PCに向かう気力が失せていました。

本当に、この病は厄介です。
冬は寒くて身体が痛く
夏は暑さで、ぐったりし
秋は台風シーズンで具合が悪く
春は華やぐ人々を見るのが辛かったり・・・

つまり、良い時がないのです。
年がら年中、調子が悪い。

今日も、朝から久々の頭痛と、顎の締め付け感と
骨の中枢部の疼痛で、ぶっ倒れていました。

こんな時は、スポドリの水割りを枕元に置き
悶えながら嵐が過ぎるのを待ち、ひたすら耐えます。
それにしても、身体の苦痛は、プラス思考だけでは
乗り切れるもんではないなぁ~~。と改めて思います。
あまりに、痛みや苦痛の時間が絶え間なくえんえん続くと、
身も心も魂も、ぶちっと切れそうになります。

「治っていく過程の辛さなのだから・・・」と
無理やり自分に言い聞かせていても
プラス思考、前向き思考の振りをしていても
しょせんは「振り」をしているだけなので
ほんとの自分が時折、顔を覗かせます。
どうしても、「悪化への道」を突き進んでいるとしか
思えなくて
落ち込みます。

エンドレスな負のループです。

人間、生きるか死ぬか、の究極の場面で、どのように思考し
耐えて、何を希望に生き抜くのだろうか・・・・・
今、私が抱えている大きな「テーマ」です。


某ラジオで作家の小川洋子さんが語っていました。

ヴィクトール・E・フランクルの 『夜と霧』・・・。

『夜と霧』はユダヤ人精神分析学者ヴィクトール・E・フランクルが
みずからのナチス強制収容所体験をつづった本。
学生の時、倫理か何かの授業で読まされた記憶があります。

言葉では言い尽くせない恐怖を味わったフランクル。
しかし途中から、『生きるとは何か』
『希望のない状況に追い込まれた時どう生きるか』
『運命にもてあそばれた中での決断の意味』などを
学者の目を通して問いつづけます。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることが
わたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、
ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。 」

「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、
未来の目的を見つめさせること、
つまり、人生が自分を待っている、
だれかが自分が待っていると、
つねに思い出させることが重要だった。



なんか、今の自分の状況に似てるなぁ~~。

なんのために生きるのか
なんのために耐えなければならないのか

そんな事を考え始めると
この過酷な病気は耐えられないのではないか、と思います。
ワケは解らないけど、
どんな意味があるのか解らないけど

とりあえず、ひたすら、耐えて生きてみる。
きっと、そこにこそ大きな意味があるはずです。
今はワケが解らなくても
暗くて長いトンネルを抜けたら


きっと


誰かが自分を待っている



初詣

2008年01月05日 | つれづれに

平成二十年が明けました。

私は相変わらず引きこもりです。

巷の神社仏閣は初詣で賑わっているようです。

受験に合格しますように
結婚できますように
事業が成功しますように
元気な赤ちゃんが生まれますように
家族が健康でいられますように


そんな願い事を込めて、お賽銭が舞っているのでしょうか。
でも、最近の神様はそういう現世利益的な願いは叶えてくれないそうです。
だって、自分が望む事と自分にとって「イイ事」とは違う場合が多いから。

だから

本当はこんな風に願うのがいいんです。

「今年も無事に迎えられ、こうして初詣でお参りできる事に感謝します。
本年も私にとって『より良き事』がありますように。
もしそれが、一見「不運」「不幸」にみえる出来事であっても、
苦しくて辛くて、死んだ方がマシと思えてしまう事であったとしても
その運命を受け入れて、耐え抜けるだけの精神力をお与え下さい。」

と。

(これは私が発症してから毎日呪文のように唱えていた「祈り」です。
この願いは今のところ聞き届けられていると思っています。)

現世利益な願いは却下されるけど、
他人の為に願うと叶えられる事もあるようです。
たとえば医療従事者の場合。
自分のお金儲けとか名誉や出世、プライドのために、と
あくせくと動いても神様は力を貸してくれません。


でも、心の底から苦しむ患者を思い、
なんとか救ってあげたい!治してあげたい!
痛みを解ってあげたい!

その為の力と知恵と気づきをどうか自分に与えて下さい!
と真摯に願うと、光を注いでくれるそうです。
自分の利益はさておき、他人の幸せを願うと、
それは聞き届けてくれるそうです。

そのような願い事を
どれだけのドクターが初詣で、お賽銭に託してくれたでしょうか。
純粋に患者のために願ってくれたでしょうか。

難関な医学部を卒業し、国家試験を見事パス、研修医を経て
医師になられた方々は、「選ばれた民」だと思います。
人々の心身を癒す、という素晴らしい職業に就いているのです。
ある意味、神に近い場所にいるかもしれません。
どうか、その高い能力と恵まれた環境を充分に生かしてほしいです。

「人の思い」は目には見えないけれど、
何よりもすごいエネルギーが宿るものです。
特に「人の為」という思いは計り知れないパワーを生み出します。

一人でも多くのドクターに、この思いが伝わりますように。
外出もできないほど重症なのに、「異常なし」「気のせい」と放置され続けてきた
患者の思いが少しでも届きますように。

静かに願う年の初めです。

2008年1月吉日